こんなにもオーソドックスな小劇場っぽい芝居を見るのって、ほんとに久しぶりのことだ。最近、いかにもこれぞ小劇場ならでは、と思わせるようなケレン味たっぷりの芝居が珍しくなっている。エンタメではなくても、こういう芝居は、かっては盛んにあった。しかし、この芝居は「いかにも小劇場演劇」というような見せ方は敢えて狙ったわけではない。
始まった時には、「これはかっての小劇場のパロディーなのか」なんて思った。
だが、作者にはそんな気はさらさらなく、大真面目だ。これって決してパロディーではなく、「自分のなかの物語への欲求」を満たすための芝居だと作、演出の蟻蛸蛆さんはパンフに書いている。では、彼が求めた物語とは何だったのか。
4人の名探偵がこの館に招かれる。金田一耕介、明智小五郎、シャーロック・ホームズ、オーギュスト・デュパン(アルセーヌ・ルパンが偽名を使っている)。この人選はとてもあざとい。もう少し捻ってもいいのにと思わせる。でも、この種の芝居の王道を行く選択でもある。
彼らの目の前で、支配人のウラノ氏が殺される。完全な密室で、犯人は彼ら4人の中にいる。そして、4人がそれぞれ別々の人物を犯人として指摘する。その根拠は実に曖昧で、これではとても彼らが名探偵には見えない。
ミステリー仕立てであるにも関わらず犯人探しと、謎解きはまるでなされず、お互いがお互いを犯人だといい募るだけ。これでは意味がない。どうしてこんな杜撰なドラマ作りをするのか、と思い見ていた。しかし、そのうちこれも作者の意図だと気付く。彼らの中にいる真犯人を捕まえようとする刑事たち。明智を助けようとこの館に忍び込む小林少年と謎の男。さらにはこの事件の秘密を知るらしい老夫婦。様々な人物が入り乱れて、話は展開していく。そして、死んだはずのウラノ氏の謎が解き明かされていくことで、この事件が30年前に起きた同一の事件の忠実な再現だったことがわかる。ウラノ氏は30年間死んだ先代の支配人に変わってこの館を守ってきた。その任務がこの死によって終わる。
30年前のウラノ氏は実はもうひとりの小林少年だった。犯人のいない犯罪なんてない。だから、犯人は誰かがならなくてはいけない。明智探偵を救い、事件を解決するために、小林少年は自らが犯人になることを決意する。4人の名探偵が探偵であるためには犯人は必要なのだ。だから、小林少年は怪人20面相になり、探偵達は命を得ることになる。
こういうストーリーを作り上げるために、前半一見杜撰に見えるドラマ作りをわざとしてきたことに、気付く。考えてみればよく出来た物語かもしれない。抽象的な舞台美術もこれがリアリズムではない象徴の世界の物語であると考えれば、納得がいく。
しかし、前半の摑みの部分があまりの弱すぎてとっかかりで乗り切れない。終盤畳み掛けるような見せ方をしてもいいにに、あまりにあっさりしているのも気になった。意図的に熱のない芝居の作り方をしているようにも見える。この芝居は敢えてかっての熱い小劇場演劇に対する冷静な批評を示そうとしたのではないか、なんて思わせる。虚構の魅力を熱く語った物語らしい芝居を再現しつつも、そこに一歩距離を取り、それを見せることで、今、僕たちがどんな物語を欲しているのかを考察しようとした、そんな芝居なのかも知れない。
幻想的な物語を、いかにもな作り方であざとく見せていくのが彼らのやり方なのか、初めて見たのでよく分からない。中途半端な芝居のようで、でも、何もかも分かった上でしているようにも見えるのが、なんだか気になる。決して凄いなんてことはないが、いろんなことを考えさせてくれた芝居だった。
始まった時には、「これはかっての小劇場のパロディーなのか」なんて思った。
だが、作者にはそんな気はさらさらなく、大真面目だ。これって決してパロディーではなく、「自分のなかの物語への欲求」を満たすための芝居だと作、演出の蟻蛸蛆さんはパンフに書いている。では、彼が求めた物語とは何だったのか。
4人の名探偵がこの館に招かれる。金田一耕介、明智小五郎、シャーロック・ホームズ、オーギュスト・デュパン(アルセーヌ・ルパンが偽名を使っている)。この人選はとてもあざとい。もう少し捻ってもいいのにと思わせる。でも、この種の芝居の王道を行く選択でもある。
彼らの目の前で、支配人のウラノ氏が殺される。完全な密室で、犯人は彼ら4人の中にいる。そして、4人がそれぞれ別々の人物を犯人として指摘する。その根拠は実に曖昧で、これではとても彼らが名探偵には見えない。
ミステリー仕立てであるにも関わらず犯人探しと、謎解きはまるでなされず、お互いがお互いを犯人だといい募るだけ。これでは意味がない。どうしてこんな杜撰なドラマ作りをするのか、と思い見ていた。しかし、そのうちこれも作者の意図だと気付く。彼らの中にいる真犯人を捕まえようとする刑事たち。明智を助けようとこの館に忍び込む小林少年と謎の男。さらにはこの事件の秘密を知るらしい老夫婦。様々な人物が入り乱れて、話は展開していく。そして、死んだはずのウラノ氏の謎が解き明かされていくことで、この事件が30年前に起きた同一の事件の忠実な再現だったことがわかる。ウラノ氏は30年間死んだ先代の支配人に変わってこの館を守ってきた。その任務がこの死によって終わる。
30年前のウラノ氏は実はもうひとりの小林少年だった。犯人のいない犯罪なんてない。だから、犯人は誰かがならなくてはいけない。明智探偵を救い、事件を解決するために、小林少年は自らが犯人になることを決意する。4人の名探偵が探偵であるためには犯人は必要なのだ。だから、小林少年は怪人20面相になり、探偵達は命を得ることになる。
こういうストーリーを作り上げるために、前半一見杜撰に見えるドラマ作りをわざとしてきたことに、気付く。考えてみればよく出来た物語かもしれない。抽象的な舞台美術もこれがリアリズムではない象徴の世界の物語であると考えれば、納得がいく。
しかし、前半の摑みの部分があまりの弱すぎてとっかかりで乗り切れない。終盤畳み掛けるような見せ方をしてもいいにに、あまりにあっさりしているのも気になった。意図的に熱のない芝居の作り方をしているようにも見える。この芝居は敢えてかっての熱い小劇場演劇に対する冷静な批評を示そうとしたのではないか、なんて思わせる。虚構の魅力を熱く語った物語らしい芝居を再現しつつも、そこに一歩距離を取り、それを見せることで、今、僕たちがどんな物語を欲しているのかを考察しようとした、そんな芝居なのかも知れない。
幻想的な物語を、いかにもな作り方であざとく見せていくのが彼らのやり方なのか、初めて見たのでよく分からない。中途半端な芝居のようで、でも、何もかも分かった上でしているようにも見えるのが、なんだか気になる。決して凄いなんてことはないが、いろんなことを考えさせてくれた芝居だった。