この夏台湾に行った時、現地ではこの映画の宣伝がもう始まっていた。8月の終わり公開だったので、見ることは叶わなかったのだが、なんと、もう日本公開である。日台ほぼ同時公開なんて、台湾映画では(アジア映画全般においても)あり得ない異例のスピードである。それくらいに、日本ではホウ・シャオシェン(侯孝賢と書く方がピンとくるのだが)監督は期待されている、ということなのか。(そんな気はしないけど)
公開2日目の日曜日に見に行った。それは期待の大きさでもあるのだが、それ以上に早く行かなくては見逃す可能性が高いからだ。関西ではなんばパークスシネマで単館公開。しかも、一番小さな劇場で、1日に3回上映。この公開規模が何を物語るかは知れたことだろう。なんらかの事情から、こういう形での公開が奇跡的に可能になったのだ。その恩恵をちゃんと受容しなくてはなるまい。
前置きばかりが長くなった。それくらいに彼は僕にとって特別な存在だというお話なのだ。(まぁ、それって、世界が認める巨匠に対して言うようなことではないけど)
武侠映画である。どうしてホウ・シャオシェンが、と思わないでもない。だが、手に汗握るアクション映画は大好きだ。彼が撮ったなら、どんなものが出来るのか、それはそれで楽しみではないか。しかし、彼のことだから、普通のアクションにはなるまいとは覚悟していた。でも、まさか、ここまでやるだなんて、思いもしない。破格の作である。 結論はまだ書かない。
昔話をしよう。僕が初めて中国映画を見て衝撃を受けたのは、チェン・カイコーの『黄色い大地』を見たときのことだ。忘れもしない。当時、中之島中央公会堂では年に1回、「中国映画祭」が開催されていた。僕には、退屈で古臭くて、つまらない映画が(当時私淑していた佐藤忠男センセイが褒めていたけど)いつも上映されていた。でも、なぜか、毎年、何本か見てしまっていた。その年、(確か、82年ではないか)たまたまこの映画が上映されたのだ。それから、僕は見識を新たにした。世の中には僕が知らないだけで、凄いものがある、と。そんなの、当たり前だろ、おまえがすべてではない、と言われそうだが、あの映画は当時の傲慢な僕を震撼せしめた。僕がチェン・カイコーを見出したのだ。そのあとのことだ。確か『坊やの人形』を見たのは。あり得ないほどの衝撃を受けた。もちろん、これがホウ・シャオシェンとの出会いである。このふたりだ。それまで、フェリーニと、アントニオーニが神さまだった僕に世界は広いのだと目を開かせてくれたのは。
さて、こんなことを書いていたなら、何時間あっても足りない。しかも、退屈だ。年寄りの昔話くらい退屈なものはない、と言われそうだし。
ただ、言いたかったことは、端折ると、こうなる。あのチェン・カイコーですら、やらなかったことを、ホウ・シャオシェンはしてしまった、ということなのだ。それが僕にはどういう意味があるのか、よくわからない。昔なら、これこそ、映画、と言ったかもしれない。だが、今の、阿呆な僕には、この映画は退屈でしかなかった。ああ、言ってしまった!
もういいや。これ嫌い。こういう芸術ぶったアート映画つまらない。もちろん、意図はわかるし、凄いとも、思う。半端じゃない緊張感だ。でも、これではわからない。もうわからなくてもいいじゃないか、と言おうと思ったけど、でも、そんなのずるい。それでは全然楽しくない。そこも、だってアートなんだから、我慢しなさい、と言われたなら、すねるけど、我慢しようか? でも、嫌だ。
世界がチェン・カイコーの『プロミス』を否定したけど、僕はあの映画を擁護した。あれでいい、と思った。アン・リーが『グリーン・ディステニー』を撮り、チャン・イーモウが『ヒーロー』を撮った時も、快哉を叫んだ。僕はただのミーハーだから、ああいう娯楽活劇は大好きなのだ。だからこそ言う。これはつまらない、と。
もちろん、僕はこのあまりに美しい映画を堪能した。それは事実だ。しかも、何の説明もいらないし、活劇ですらないこの映画は凄い。自分の信念を曲げないで、妥協なんか一切なく、作りあげたのだろうということもわかる。だが、この居直りを正しいとは思わない。信念に生きる孤高の人、なのかもしれないけど、確かにかっこいいけど、僕は『童年往時』や『恋恋風塵』の頃の彼が好きだ。