24ステージ。約1ヶ月のロングラン。しかも、この公演の後、1年間は本公演をしない。劇団員のみでの上演。かなり思い切ったことをする。それだけ、今回に賭ける意気込みは強いものと思われる。僕にとっては、久しぶりのデス電所である。彼らの作品はデビューの頃からずっと見ていた。それだけに思い入れも強いから、だから、ここ数年見ていない。なんだか少し違う気がして、少しずつ足が遠のいてしまっていた。嫌いになったのではない。
いろんな意味でこの4年ほどのブランクを埋めてくれて、僕を驚かして欲しい、なんて期待して見た。過大な期待に応えてくれるなんて思わない。こちらの勝手な期待なんて吹き飛ばすような芝居であればいいな、なんて。(やはり期待してるじゃん)
思ったほどストーリーが広がっていかないのは辛い。もともとデス電は「針小」を「棒大」にしてしまういい加減なまでもの思いつきパワーが魅力だった。野暮ったさを武器に何をしてもいい、という強引さが凄かった。しかし、少しずつ洗練されていく過程で、そのいい加減さが無くなってしまい、なんだかおしゃれになり、とても上手い芝居を作るようになっていった。
もちろんそのこと自身はよいことだと思うし、いつまでも下手糞な芝居を作り続けていくのはバカなので、彼らの成長を嬉しく思う。だが、当然のことだが、初期の頃の作品にあった「バカであること」の瑞々しい魅力は失われたことも事実だ。そのことをとやかく言うつもりはない。仕方がないことなのだから。だが、そんな中で、どう変化していくのかが大切なことだと思う。彼らが成功とともに手にしたものを武器にして自分たちの芝居を作り続けて欲しいと願う。
よく似た傾向の芝居を作る彼らの大先輩であるクロムモリブデンは、いつまでたってもバカを棄てずに芝居を続けている。青木さんたちはほんとに変わらない「キチガイ」集団である。デス電は、彼らと違いもっとインテリジェンスを感じさせる集団だ。だが、頑固一徹のクロムの強さと比較したとき、デス電の芝居はとてもひよわなものに見える。それが、今回の芝居の不満の原因なのだが、そこにこそ彼らの可能性もある気がした。
以前は3時間くらいの芝居を平気で作っていたのに今回はコンパクトに100分に収めた。とても丁寧に作られてあるし、歌ったり踊ったりするのも、いつもながら楽しいし、ドラマ自体もよく考えられてある。しかし、以前のような情報量はないし、設定を生かした仕掛けもない。幾分単調な芝居になっている。
自分(山村涼子)と一体となったアンドロイド(丸山英彦)。二人でひとりなので彼女は孤独ではない。自分をアンドロイドだと思い込んで生活する。自分の存在を消してアンドロイドの保護者的な位置にいることで、バランスを取って生きる。誰かを守り続けているという幻想が彼女を生かす。外では、戦争が続いており、彼女の住む町もまもなく戦場になる。政府による立ち退き勧告が出ている。しかし、応じない。ここで死んでしまうことを望む。
9つの白いドア。出入りする人々。隣の女は、彼女のアンドロイドに色目を使う。彼のお金が目当てだ。ここで死んでしまった男の弟が、兄の死体を捜しにくる。立ち退き勧告に来た男は、応じない彼らを殺すことで、立ち退きを全うしようとする。女は殺されることを望む。自分の存在自体を抹消することで生きていることを実感する。
この芝居はすべてがこの女の見た幻想として理解してもいい気がする。冒頭の聞いてはならない会話を聞き、そのために殺されそうになるというエピソードが実に面白く、衝撃的だ。このスリリングな場面の緊張と笑いは秀逸だ。ここからすべてが始まる。
だが、そこから生じる彼女の絶対の孤独をもう少し突き詰めて描かなくてはこの芝居は成立しない。彼女のもとにやって来る人々は彼女と繋がろうとするわけではない。反対に彼女を排除する。彼女は自分を守るために自分を殺すことも厭わない。彼女の白い部屋は幾つものドアを持ち、そこから平気で人々は彼女の内面世界に土足で入って来る。この芝居にはそんな彼女のたったひとりでの痛ましい戦いが描かれてある。決して悪い芝居ではない。力の籠った作品だ。それだけに、彼女の孤独の正体をもっと見極めたかった。
いろんな意味でこの4年ほどのブランクを埋めてくれて、僕を驚かして欲しい、なんて期待して見た。過大な期待に応えてくれるなんて思わない。こちらの勝手な期待なんて吹き飛ばすような芝居であればいいな、なんて。(やはり期待してるじゃん)
思ったほどストーリーが広がっていかないのは辛い。もともとデス電は「針小」を「棒大」にしてしまういい加減なまでもの思いつきパワーが魅力だった。野暮ったさを武器に何をしてもいい、という強引さが凄かった。しかし、少しずつ洗練されていく過程で、そのいい加減さが無くなってしまい、なんだかおしゃれになり、とても上手い芝居を作るようになっていった。
もちろんそのこと自身はよいことだと思うし、いつまでも下手糞な芝居を作り続けていくのはバカなので、彼らの成長を嬉しく思う。だが、当然のことだが、初期の頃の作品にあった「バカであること」の瑞々しい魅力は失われたことも事実だ。そのことをとやかく言うつもりはない。仕方がないことなのだから。だが、そんな中で、どう変化していくのかが大切なことだと思う。彼らが成功とともに手にしたものを武器にして自分たちの芝居を作り続けて欲しいと願う。
よく似た傾向の芝居を作る彼らの大先輩であるクロムモリブデンは、いつまでたってもバカを棄てずに芝居を続けている。青木さんたちはほんとに変わらない「キチガイ」集団である。デス電は、彼らと違いもっとインテリジェンスを感じさせる集団だ。だが、頑固一徹のクロムの強さと比較したとき、デス電の芝居はとてもひよわなものに見える。それが、今回の芝居の不満の原因なのだが、そこにこそ彼らの可能性もある気がした。
以前は3時間くらいの芝居を平気で作っていたのに今回はコンパクトに100分に収めた。とても丁寧に作られてあるし、歌ったり踊ったりするのも、いつもながら楽しいし、ドラマ自体もよく考えられてある。しかし、以前のような情報量はないし、設定を生かした仕掛けもない。幾分単調な芝居になっている。
自分(山村涼子)と一体となったアンドロイド(丸山英彦)。二人でひとりなので彼女は孤独ではない。自分をアンドロイドだと思い込んで生活する。自分の存在を消してアンドロイドの保護者的な位置にいることで、バランスを取って生きる。誰かを守り続けているという幻想が彼女を生かす。外では、戦争が続いており、彼女の住む町もまもなく戦場になる。政府による立ち退き勧告が出ている。しかし、応じない。ここで死んでしまうことを望む。
9つの白いドア。出入りする人々。隣の女は、彼女のアンドロイドに色目を使う。彼のお金が目当てだ。ここで死んでしまった男の弟が、兄の死体を捜しにくる。立ち退き勧告に来た男は、応じない彼らを殺すことで、立ち退きを全うしようとする。女は殺されることを望む。自分の存在自体を抹消することで生きていることを実感する。
この芝居はすべてがこの女の見た幻想として理解してもいい気がする。冒頭の聞いてはならない会話を聞き、そのために殺されそうになるというエピソードが実に面白く、衝撃的だ。このスリリングな場面の緊張と笑いは秀逸だ。ここからすべてが始まる。
だが、そこから生じる彼女の絶対の孤独をもう少し突き詰めて描かなくてはこの芝居は成立しない。彼女のもとにやって来る人々は彼女と繋がろうとするわけではない。反対に彼女を排除する。彼女は自分を守るために自分を殺すことも厭わない。彼女の白い部屋は幾つものドアを持ち、そこから平気で人々は彼女の内面世界に土足で入って来る。この芝居にはそんな彼女のたったひとりでの痛ましい戦いが描かれてある。決して悪い芝居ではない。力の籠った作品だ。それだけに、彼女の孤独の正体をもっと見極めたかった。