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映画・演劇のレビュー

烏丸ストロークロック『短編 神ノ谷㐧二隧道』

2014-10-13 08:30:16 | 演劇
 実に刺激的な作品を見た。昔、キャンパスカップの予備選考をしていた時、彼らの作品を推した。あの時も、とても刺激的な作品を作る集団だ、と思ったけど、(同じこと言ってる! 語彙少なすぎ)今回、久々に柳沼さんの作品を見て、こういうアプローチが好き、と改めて思う。それは前作『国道、業火、背高泡立草』のチラシを見た時にも、感じたことだ。「これを見たい、」と心から思った。年間、1000本くらい(いや、もっとかもしれない。2000枚でもきかないか?)のチラシは見るけど、その中でもベストの趣味のよさだ、と思ったのに、見に行けなかったのが、くやしい。

 今回も、手にしたときに、「これは、」と思う。そして、やはり、その通りの芝居だった。チラシを見れば、芝居はわかる。今回も案内を頂いたから見たのだが、(残念ながらなかなか京都まではいけない)自分が「これは、」と思う芝居なんか1年に10本もないのだから、その時はちゃんと見なくてはならない、と改めて思う。(もちろん、自分に必要な芝居は、ほとんど欠かさず見ているはずだけど。でも、時間がないから、見に行けない場合も多々あるし)

 閑話休題。本題はこの芝居の話だったのではないのか。

 全然今の彼らの芝居についての知識はない。今回の作品が前作『国道、業火、背高泡立草』のスピンオフで、前作のもとになった短編『火粉、背高泡立草』が、同時上演されていることすら、本編の後で知る。それだけに当日パンフの製作過程の説明は興味深かった。

 そこで、ようやく簡単な感想だが、今回これを見て、こんな風に思った。

 2つの短編からなる。これは大きな物語のワンピースにすぎない。『国道、業火、背高泡立草』から続く大栄町シリーズの1篇となる。この作品単独では、ひとつの世界を作りえない。大きな物語の断片でしかない。短編としての独自性よりも、これが形作るはずの、背後にある巨大な闇のひとかけらを丁寧に掬いあげる。彼らの関係性すら、明確にはならない。だが、ここにある緊張感は半端ではない。この村(町)を舞台にした彼らの物語のその瞬間を見るだけでいい。わからないということが、この場合ハンディにはならない。

 父の死。町を出て行った男。ここに残って他の男と結婚し、そしてもうすぐ子供を産む。再会、悔恨、溢れる想い。それが一瞬の風景として描かれていく1話目が実に面白い。ドキドキした。いったいどうなるのか。何なのか、舞台から目が離せない。この作品が終わった後、『短編 神ノ谷㐧二隧道』と、タイトルが出る。実に見事な幕開けだ。今回の本編はこの、『短編 神ノ谷㐧二隧道』である。敢えてメインタイトルに『短編』と銘打たれる。(チラシにもちゃんと短編という表記がある)40分くらいの作品だろうか。

 雑然としている。ラフスケッチにも見える。しかし、シーン、シーンの孕む緊張感は半端ではない。「神ノ谷」という場所の持つ気分。その片鱗が伝わる。トンネルとその先、その手前。トンネルを隔てて向こうとこちら。ドラマと空間の重層性。神ノ谷の再開発が何を生むことになるのか。

 昨年の『国道、業火、背高泡立草』のスピンオフであり、再度リメイクを依頼された企画を進化形として、次年度上演に向けてのトライアウトとして上演した作品なのだろうが、A級MissingLinkがやる方法とは違い、こちらの方がより確信犯だ。土橋さんは中編として作ったものを、長編化するのだが、柳沼さんはイメージ、断片としての短編を作る。そこを足がかりにして、長編に仕上げるようだ。これがどういう形の作品になるのか、楽しみだ。

 
 

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