ウイングフィールドで1カ月に及ぶロングラン公演をした。なんと、44ステージだったらしい。もちろん、あの時にも見ている。このド派手な芝居があの狭いウイングの空間で演じられ大変だった。だが、あの熱気は今も僕の心の中にある。戦場をここに作った。彼らの臨む局地戦が、目の前で展開し、その迫力に圧倒された。みのべなおこさんが主人公のキリコを演じた。懐かしい。
もう18年前になるらしい。(らしい、ばかりになる。ちゃんと覚えていないからだ。)パンフによると1995年「往来初のロングラン公演」とある。上演は確か4月頃だったのではないか。10年くらい前、僕の高校の演劇鑑賞でも、この作品を取り上げた。その時は、大ホールでの公演だったが(団体鑑賞なので仕方ない)この芝居が大きなホールでも充分に通用するのだな、と感心したのは覚えている。
さて、今回の再演である。僕が見た回は、主人公のクジラを桂米紫が演じる。今回はキャストがすべてトリプルキャスト以上になっている。(パパのみがダブルだが)その複雑な組み合わせで、たまたま米紫ヴァージョンにあたった。とても新鮮でよかった、と思う。決して上手くはない。というか、下手だ。でも、自分の個性をちゃんと前面に押し出して誠実な芝居をしているのに共感した。もちろん、オリジナルの要冷蔵や、若き劇団エースの川口透によるヴァージョンにもそそられたけど、意外性を期待して、これが一番見たいと思ったヴァージョンだったのでラッキーだった。
しかも、今回の拾いものは、キリコを演じた染谷有香。彼女がすばらしい。主人公2人の掛け合いでお話は進行していくのだが、この作品は特にキリコの芝居が大事になる。ストーリーテラーであり、作品世界を支える。自分を前面には出さないのに、芝居全体を俯瞰して、作品を推し進める。これはとても難しい役なのだ。しかも、達者な演技も必要とされる。彼女は見事その困難を乗り越えた。
残念だが、田中守幸によるこの台本はもう古い。レプリカントを主人公にした芝居というのは、明らかに『ブレードランナー』の影響なのだが、あの作品の普遍性の前では、この作品の世界観では、太刀打ちできない。アンドロイドによる代理戦争の先に何があるのか。格差社会がどう進展していくのか。描くべきものはもうずっと先を行っている。ここでの警告はもう当然のことになった。
とてもよく出来た芝居であることは認める。劇団の十八番であり、代表作なのだが、世界は恐るべきスピードで変化している。ウェルメイドだけではない怖さが欲しい。
もう18年前になるらしい。(らしい、ばかりになる。ちゃんと覚えていないからだ。)パンフによると1995年「往来初のロングラン公演」とある。上演は確か4月頃だったのではないか。10年くらい前、僕の高校の演劇鑑賞でも、この作品を取り上げた。その時は、大ホールでの公演だったが(団体鑑賞なので仕方ない)この芝居が大きなホールでも充分に通用するのだな、と感心したのは覚えている。
さて、今回の再演である。僕が見た回は、主人公のクジラを桂米紫が演じる。今回はキャストがすべてトリプルキャスト以上になっている。(パパのみがダブルだが)その複雑な組み合わせで、たまたま米紫ヴァージョンにあたった。とても新鮮でよかった、と思う。決して上手くはない。というか、下手だ。でも、自分の個性をちゃんと前面に押し出して誠実な芝居をしているのに共感した。もちろん、オリジナルの要冷蔵や、若き劇団エースの川口透によるヴァージョンにもそそられたけど、意外性を期待して、これが一番見たいと思ったヴァージョンだったのでラッキーだった。
しかも、今回の拾いものは、キリコを演じた染谷有香。彼女がすばらしい。主人公2人の掛け合いでお話は進行していくのだが、この作品は特にキリコの芝居が大事になる。ストーリーテラーであり、作品世界を支える。自分を前面には出さないのに、芝居全体を俯瞰して、作品を推し進める。これはとても難しい役なのだ。しかも、達者な演技も必要とされる。彼女は見事その困難を乗り越えた。
残念だが、田中守幸によるこの台本はもう古い。レプリカントを主人公にした芝居というのは、明らかに『ブレードランナー』の影響なのだが、あの作品の普遍性の前では、この作品の世界観では、太刀打ちできない。アンドロイドによる代理戦争の先に何があるのか。格差社会がどう進展していくのか。描くべきものはもうずっと先を行っている。ここでの警告はもう当然のことになった。
とてもよく出来た芝居であることは認める。劇団の十八番であり、代表作なのだが、世界は恐るべきスピードで変化している。ウェルメイドだけではない怖さが欲しい。