こうして今見ると、これは変わることのないいつもの青年団の芝居なのだが、この作品がこんなにも何でもない会話がだらだら繰り返されるだけの芝居である、という事実に驚かされる。チラシにも告知されてあるけど、「くだらない人情喜劇」と一刀両断され、そこに「青年団史上」とついていることも含めて、この作品の特別さが際立つ。その存在意義も含めて芝居を見ながら改めていろんなことを考えさせられた。
この平田さんの初期作品の傑作を(たとえ再演であったとしても)ちゃんと見ることができてよかった。92年作品ということは、これはもう25年以上も前に作られた作品なのだ。平田さんの根底にあるものは、まず、この人間凝視の姿勢であり、人間って面白いという想いだ。個々の人間をじっくり見つめ描くとかいうのでもない。群像をさらりと捉え、俯瞰する。人と人とがぶつかり合って何かが生まれてくる、とか言うのでもない。ましてやディスカッション劇なんかでは断じてない。では、何なのかと言われると少し困る。敢えていうなら、そこに漂うなんでもない時間を感じること、か。
降り続く雨。作業は進まない。工事現場の休憩所。そこに集まる現場の労働者たち。そして。発掘の学生たち。ゼネコン職員や役所の人間。彼らの当たり障りのない会話。それだけ。でも、そこからテーマとか付随するものも(たぶん)後から付いてくるのだ、とわかる。
大上段から振りかざすテーマではなく、さりげなさが胸に沁みる芝居なのだ。なんでもないから、ここには「なんでもある」。人生に於ける劇的な場面なんかじゃない。(まぁ、それに近い人もいるけど)だけど、振り返ったなら、そんな日々の繰り返しの中に「大切なものがある」ことに気付く。いろんな立場の人たちがいろんな背景を持ち、ここにいる。そんなことに気付かないで(気付いても気付かないふりして)出会いと別れを繰り返す。そんな芝居がとても素敵だ。くだらないほど面白い。