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映画・演劇のレビュー

真夏の會『エダニク』

2011-08-17 20:01:01 | 演劇
 この芝居について、書き始めて、すぐ筆が止まった。確かに面白いのだ。それは保障する。だが、なんだか割り切れないものが残る。そのもやもや感を払拭できないから、筆が進まない。

 初演を見たときの衝撃は大きかった。トリイホールの狭い空間の中でたった3人の役者たちが作りあげる極度の緊張に震えた。何かが起こる予感。その不穏な空気。それがこの芝居を支配していた。

 しかし、今回の再演では、そういうイメージが払拭されている。それは僕が初演を見ていて、この作品の内容を知っていたから、だけではない。芝居自体がとても客観的なものとなっていたからだ。アイホールへと変更され、空間が広がる。しかも、額縁舞台という距離感も影響した。それらがこの作品の本来孕み持つ熱を拡散させる。

 芝居の後半、初演にはあった「わけのわからない恐怖」が勢いをもって雪崩うっていくダイナミズムが損なわれた。しかし、最初から最後まで冷静さを保ち、全体がフラットなドラマとなったこの作品が、人々の目からは隔離された屠場という空間を舞台にしたこの芝居が持つ不穏な空気観や世界観、そんなものを明確にする。対象と距離を置くことでとてもクリアなものとなった。その分、作品の不気味さは損なわれた。

 わかりやすさは時に作品をダメにする。とても感覚的な意見ばかりで、恐縮なのだが、今回の違和感をなんとか言葉で説明しようとすればするだけ、なんだかこの作品の本質から離れて行く気がして、しんどい。とても丁寧に作られてあるし、この芝居が傑作であることは疑う余地もない。だが、なんか違う。

 当日パンフのあらすじにも違和感があった。あの説明はいらない。あんなふうに説明されてわかったことはこの芝居を損なう。なんだかよくわからない気味の悪さがこの芝居の魅力だったのに、あのわかりやすい解説はなんか違う。

 例えば、夏さん演じる伊舞という男の不気味さは、夏さん自身のキャラクターもあるのだろうが、観客である僕を不安にさせる。底知れないものがある。彼が偶然のようにここに現れ、去っていく。伊舞ファームという会社の後継ぎであることが分かっても、その不安は消えない。彼がここにやってきた理由なんかどうでもいい。更には、なくなった延髄を巡るドタバタというのも、この際どうでもいい。ただ、彼がここにいるだけで、この場の雰囲気が変わるのがいい。何かが違う。もどかしい。そんな気分をこの芝居は大切にした。原真さん演じる「良識ある大人」沢村との対峙がこの芝居のすべてだ。

 不気味さが前面に出た初演と、対象との距離感が前面に出た本作との差は大きい。それがいいとか、悪いとか、そんなことはどうでもいい。

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