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映画・演劇のレビュー

『帰れない二人』

2019-09-19 21:45:12 | 映画

 

ジャ・ジャンクーの最新作である。前作『山河ノスタルジア』と同じように今回も3部からなる。ただ、前回のような未来までを描くのではない。17年間の3つの時間。21世紀に入った中国で、ふたりの男女のすれちがいメロドラマ。01年、山西省の大同に始まる男と女の愛のドラマは北京五輪、06年三峡ダム建設の地での再会と別れを経て、17年再び大同へと帰り着く。

 

それにしても、ここまで中身のない映画だとは想像もしなかった。ラストまでたどり着いたとき、本当にこれで終わりなのか、と疑うほど。だが、それはこの映画がつまらないということではない。この空虚さが作者の意図だ。

 

背景となる時代や、それが意味するものを敢えて描かない。そんなことは周知の事実だからか。ふたりはもう戻れない。ただ、それだけのことを、丁寧に見せる.彼女はなんとかして、取り戻したいと願う。彼の身代わりになって、5年間も刑務所で暮らした。彼女の失われた5年の歳月。先に出所した彼のもとに行く。すごい距離の移動が描かれる。はてしない旅を通してその隔たれた距離を映像として見せつけられる。そこに圧倒される。この映画が描くのはお話ではない。中国という圧倒的な風景と人間だ。たくさんの顔が、そこにはある。顔の数だけドラマがある。この国で生きるすべての人たちがこの映画の主人公なのだ。これは急成長を遂げたこの国で生きて暮らす人たちの群像劇なのである。そんな何億もの名もない庶民の姿をすれちがうふたりに象徴させた。

 

『世界』でこの国の未来は暗い、ということを切実に描いたジャ・ジャンクーが『長江哀歌』を経て、たどりついたのが、この映画なのだろう。彼はもう何も言わない。声高に叫ぶことはない。静かにただ、佇むだけ。2時間15分の映画の旅の果てで、僕たちもまたそこにたたずむばかりだ。

 


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