トニー・スコット監督最新作。メジャー大作を手掛ける職人監督なのだが、彼のアプローチは好き。兄貴のリドリーは芸術肌だがこの弟はそうではない。つまらないアクション映画のように見えても彼が作るのなら、見に行く。きっとそこには「ただのアクション」には収まらない何かがあるからだ。もちろん、それは大袈裟なテーマとかではない。ほんのちょっした拘りだ。だが、そのちょっとに彼は精魂傾ける。
娯楽映画であることは大前提だ。だが、彼は何を観客が求めているかを考え、自分の世界をそこに作る。今回彼が目をつけたのは、70年代に一世を風靡したパニック映画の隠れた傑作ジョゼフ・サージェントの『サブウェイ・パニック』のリメイクだ。あの地味な映画がこれだけの大作にリニューアルされる。だが、これはただのリメイクなんかではない。
すさまじいスピード感だ。CGを敢えて一切使わないで、ライブの魅力を追求したらしい。本物だけが持つ圧倒的な迫力。デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタが主演する。大スターの競演は興行的な問題をクリアするためだけではない。映画であることの魅力を追求することなのだ。
無線を通して2人がつながる。犯人と、地下鉄の管制センターの職員。犯人に指名され、全責任を負うことになる。デンゼル・ワシントンがわざと太って普通の親父になりこの役に挑む。ほとんど椅子から離れない。状況を判断し事件を納めようとする。だが、彼はヒーローなんかではない。ただの地下鉄職員だ。冷静な判断力を発揮し、犯人を追いつめる。まぁ、ただのパターン映画である。だが、ドキドキハラハラさせられる。娯楽映画の基本に忠実だ。これみよがしなアクションはない。だが、ド派手な映画で、アップテンポでガンガンくる。犯人グループのリーダー、トラボルタが死んでいく白昼のマンハッタン・ブリッジのシーンがいい。
これはただのアクションではない。見終えたとき、今のニューヨークの街にたたずんでいる気分にさせられる。途方に暮れる。この街の喧騒の中で、くたくたになる。ここで生きるには凄まじいエネルギーが必要なのだろう。ただのアクション映画の中に生活が見えるのだ。デンゼルが帰っていく家すら見えてくる。今日は1日御苦労さまでした、なんてねぎらいの言葉をかけてあげたくなるくらいだ。
娯楽映画であることは大前提だ。だが、彼は何を観客が求めているかを考え、自分の世界をそこに作る。今回彼が目をつけたのは、70年代に一世を風靡したパニック映画の隠れた傑作ジョゼフ・サージェントの『サブウェイ・パニック』のリメイクだ。あの地味な映画がこれだけの大作にリニューアルされる。だが、これはただのリメイクなんかではない。
すさまじいスピード感だ。CGを敢えて一切使わないで、ライブの魅力を追求したらしい。本物だけが持つ圧倒的な迫力。デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタが主演する。大スターの競演は興行的な問題をクリアするためだけではない。映画であることの魅力を追求することなのだ。
無線を通して2人がつながる。犯人と、地下鉄の管制センターの職員。犯人に指名され、全責任を負うことになる。デンゼル・ワシントンがわざと太って普通の親父になりこの役に挑む。ほとんど椅子から離れない。状況を判断し事件を納めようとする。だが、彼はヒーローなんかではない。ただの地下鉄職員だ。冷静な判断力を発揮し、犯人を追いつめる。まぁ、ただのパターン映画である。だが、ドキドキハラハラさせられる。娯楽映画の基本に忠実だ。これみよがしなアクションはない。だが、ド派手な映画で、アップテンポでガンガンくる。犯人グループのリーダー、トラボルタが死んでいく白昼のマンハッタン・ブリッジのシーンがいい。
これはただのアクションではない。見終えたとき、今のニューヨークの街にたたずんでいる気分にさせられる。途方に暮れる。この街の喧騒の中で、くたくたになる。ここで生きるには凄まじいエネルギーが必要なのだろう。ただのアクション映画の中に生活が見えるのだ。デンゼルが帰っていく家すら見えてくる。今日は1日御苦労さまでした、なんてねぎらいの言葉をかけてあげたくなるくらいだ。