これはきつい映画だ。今までの周防監督の作品にあった笑いの要素はここには一切ない。『Shall we ダンス?』から16年、草刈民代、役所広司コンビとのコンビ再び、という宣伝に乗せられた観客は唖然とすることだろう。だが、それでいい。映画自身はとてもよく出来ているから、きついけど最後まで見ると、この映画の持つ力に引き込まれて、満足することだろう。騙されたとは思うまい。だが、ここまで緊張されられ、辛い思いをさせられるなんて、娯楽映画を期待した人には酷だろう。
もちろん、あのポスターや宣伝からこれが簡単な娯楽映画だとは、誰も思いもしないはずだ。だが、ここまで突き詰められるとは思わない。確かにこれはラブストーリーなのだ。でも、この愛の物語は単純な恋愛ではない。
その行為はそれでも殺人なのか、それとも愛情からのものと判断されるのか。映画は、きっぱりと後者だとはいいきれないところで、空中分解している。この映画が苦しい理由は、観客は、100パーセントは彼女の側に立てないところにある。もちろん検察官の言い分はあまりに通り一遍なものでしかなく、それを受け入れるわけにはいかないが、それでも人の命の問題である。この判断は難しい。しかも、彼女は感情論で物事を判断している。医者がそこまで患者に寄り添うことをしてもいいのか、と思う。
家族以上に彼女は彼に想いを寄せている。だからこれはラブストーリーになるのだが、単純に彼のことが好きだから、ではすまないし、すまされない。もちろんお互いに愛しているから、とかいうわけではない。信頼のもとでつながっているだけだ。当然、肉体的な関係もないし、恋愛感情を根底にした精神的な関係もない。尊敬と信頼。医者と患者。表面的にはその境界を越えるものはない。だからこそ、純粋にお互いのことを愛することができたのかもしれない。彼女は同僚の妻がいる医者と関係を持っていた。彼のことが好きで、なんとかしたいと願う。だが、かなわない。40代になり、精神的に支えとなる人がいないことが、不安だった。だから、その恋人に寄り添うことを望んだ。だが、彼から拒否され、自殺未遂を引き起こす。本当はそんなつもりはなかった。だが、結果的には、職場の仮眠室で睡眠薬を多量に服用し、病院に迷惑をかけてしまう。そんなことで死ねないことなんか医者だから十分理解していたが、そんな自分を止められなかった。
弱くなった心をどうするあてもない。そんな彼女が頼りにしたのは重度の喘息を抱え、これ以上進んだら命が危ない初老の男である。患者である彼の気持ちに寄り添う。自分の弱さを、彼を守る行為を通してなんとかバランスを取る。これは誤った感情の持ち方だ。公私混同も甚だしい。だが、そうすることが、今の彼女の正義だった。だから、最終の選択は、彼女の判断ミスである。
だが、そんな彼女を断罪できるのか。法は通り一遍な判決で、求刑する。彼女は受け入れる。犯罪者となる。この映画は安楽死の問題にメスをいれるのではない。これが描くのは、ひとりの弱い女が、どう自分と戦うのか、という問題だ。医者という仕事は今、とんでもない困難な状況にある。センセイと呼ばれていい気になっていられるものではない。人の命を扱う仕事の困難は僕たち凡人には計り知れないものがあるのだろうことは、想像に難くない。医療の現場を扱う映画やドラマは枚挙に暇がない。それくらいに感心も高いということだ。この映画は当然のことだが、従来のものとは、一味もふた味も違う。
検察庁に呼ばれて、やってくる場面から始まる。そして、最後に手錠をかけられるまでのドラマを通して、彼女の中で「何か」がはっきりとしていく。法が彼女を裁くのでも、自分で自分を断罪するのでもない。もう一度最初から自分を見つめなおすことを通して、何があったのかを、検証するのだ。2時間半の気の遠くなるような時間の先には、その答えがある。
もちろん、あのポスターや宣伝からこれが簡単な娯楽映画だとは、誰も思いもしないはずだ。だが、ここまで突き詰められるとは思わない。確かにこれはラブストーリーなのだ。でも、この愛の物語は単純な恋愛ではない。
その行為はそれでも殺人なのか、それとも愛情からのものと判断されるのか。映画は、きっぱりと後者だとはいいきれないところで、空中分解している。この映画が苦しい理由は、観客は、100パーセントは彼女の側に立てないところにある。もちろん検察官の言い分はあまりに通り一遍なものでしかなく、それを受け入れるわけにはいかないが、それでも人の命の問題である。この判断は難しい。しかも、彼女は感情論で物事を判断している。医者がそこまで患者に寄り添うことをしてもいいのか、と思う。
家族以上に彼女は彼に想いを寄せている。だからこれはラブストーリーになるのだが、単純に彼のことが好きだから、ではすまないし、すまされない。もちろんお互いに愛しているから、とかいうわけではない。信頼のもとでつながっているだけだ。当然、肉体的な関係もないし、恋愛感情を根底にした精神的な関係もない。尊敬と信頼。医者と患者。表面的にはその境界を越えるものはない。だからこそ、純粋にお互いのことを愛することができたのかもしれない。彼女は同僚の妻がいる医者と関係を持っていた。彼のことが好きで、なんとかしたいと願う。だが、かなわない。40代になり、精神的に支えとなる人がいないことが、不安だった。だから、その恋人に寄り添うことを望んだ。だが、彼から拒否され、自殺未遂を引き起こす。本当はそんなつもりはなかった。だが、結果的には、職場の仮眠室で睡眠薬を多量に服用し、病院に迷惑をかけてしまう。そんなことで死ねないことなんか医者だから十分理解していたが、そんな自分を止められなかった。
弱くなった心をどうするあてもない。そんな彼女が頼りにしたのは重度の喘息を抱え、これ以上進んだら命が危ない初老の男である。患者である彼の気持ちに寄り添う。自分の弱さを、彼を守る行為を通してなんとかバランスを取る。これは誤った感情の持ち方だ。公私混同も甚だしい。だが、そうすることが、今の彼女の正義だった。だから、最終の選択は、彼女の判断ミスである。
だが、そんな彼女を断罪できるのか。法は通り一遍な判決で、求刑する。彼女は受け入れる。犯罪者となる。この映画は安楽死の問題にメスをいれるのではない。これが描くのは、ひとりの弱い女が、どう自分と戦うのか、という問題だ。医者という仕事は今、とんでもない困難な状況にある。センセイと呼ばれていい気になっていられるものではない。人の命を扱う仕事の困難は僕たち凡人には計り知れないものがあるのだろうことは、想像に難くない。医療の現場を扱う映画やドラマは枚挙に暇がない。それくらいに感心も高いということだ。この映画は当然のことだが、従来のものとは、一味もふた味も違う。
検察庁に呼ばれて、やってくる場面から始まる。そして、最後に手錠をかけられるまでのドラマを通して、彼女の中で「何か」がはっきりとしていく。法が彼女を裁くのでも、自分で自分を断罪するのでもない。もう一度最初から自分を見つめなおすことを通して、何があったのかを、検証するのだ。2時間半の気の遠くなるような時間の先には、その答えがある。