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映画・演劇のレビュー

『希望の国』

2012-10-28 21:46:54 | 映画
 希望の国。この皮肉なタイトルのもと、園子温監督が今までのタッチを棄てて、正攻法で、ストレートな映画に挑んだ。ここには遊びや冗談は一切ない。もちろんこの題材でそんな不謹慎なことは、描けない。今、この問題に劇映画で真正面から挑むということだけでも不謹慎の謗りを受けかねない。だが、園子温は一切怯まないし、妥協もしない。撮影の協力を取り付けるのも大変だったのではないか。かなり危険な内容だ。

 でも、堂々たるタッチで、原発事故をテーマにして、こんなにも希望のない映画を、堂々と作る。見ながら、もうやめてくれ、と何度も思った。老夫婦が自殺して死んでいくラストや、希望のない世界でそれでも愛があるから、と生きていこうとする若い夫婦たちの涙や、一歩、一歩と雪の中を進んでいく絶望的な風景。この最後の3景に至るドラマは、タイトルとは裏腹にこの希望のない世界をどこまでもどこまで突き詰めていくばかりだ。

 だが、そんな映画から僕たちは目が離せない。ここにある冗談のような現実が今回の福島原発の事故の現実なのだろう。園監督は地道な取材を通して、この国のシステムの腐敗をリアルに再現する。福島から数年後、20XX年。この国を再び三度襲った地震により、津波が発生し、稼動中の原発がやられて、放射能もれの危機に陥る、という話だ。大前提にあるのは、先の震災と、まるで同じようなことが起きた、というその事実である。この映画を貫くのは、福島の教訓はこの国ではまるで生かされていない、というシニカルな視点だ。ここまで、同じことがまたぞろ起こるなんて、普通ならありえない。政府はこの映画に厳重な抗議をしてもいいはずだ。これは危機意識をあおる映画だ、と。だが、それは不可能だろう。現に原発は再起動しているし、今のこの国の実情から鑑みると、原発ゼロは難しい。対策はない、というのではない。だが、絶対に安全だ、なんていうことはない。

 ある家族の話である。酪農を営む4人家族。放射能漏れのため、家を離れなくてはならなくなる。目の前の家の庭がちょうど原発から20キロ圏。そこで無情にも立ち入り禁止区域の指定を受ける。向かいの家から先は強制避難区域にされる。老夫婦はここに残る。息子夫婦にはここを離れるように奨める。「おまえたちには、未来があるから、」と。だが、この現状の先にどんな未来があるというのか。「死ななかっただけでも助かった」とみんなは言う。それはそれで確かな事実だ。そのことに感謝すべきだ、という言い分もわかる。だが、それだけではないか。

 被災地の住民は不当な差別を受ける。「 [放射能] は近寄るな」とか。被害者が被差別者になるという図式はどこにでもある。あらゆるケースでも生じることだ。原発事故という問題の中で、そこにも足を踏み入れる。奇麗事では済まされないさまざまな問題が生じる。映画はあれもこれもと詰め込みすぎている。だが、それでも足らない現実があるのだ。これでも、この家族と、向かいの家族の2組の話に集約してある。描かれないところにも、ありとあらゆる問題はある。

 ここには希望はない。はっきりとこの映画はそう言う。見終えてぐったりとする。だが、この現実を受け止めたその先に向かって、僕たちは一歩、一歩と歩いていかなければならないのだ。その覚悟はあるか、と園子温監督は僕たちに突きつけてくる。困難だがそこには確かに希望の国があるはずだ、と。


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