昨日『敵』を見た後、凄く不快で、あれってなんだろうか、と考えた。醜悪だと思った。そして、僕は渡辺儀助に感情移入しすぎていたのだと気づく。77歳の老人に12年後の自分を重ねて、こんな老残はあり得ないとひとり憤慨していた。感情的になりすぎていたのだ。冷静になって映画を見ていない。
情けない話だ。だけど、たまたま最近高齢者の仲間入りを果たして少しテンションが上がっていた。まだ以前とまるで変わらないのに調子に乗って老人グループに自分を分類して悦に入っていたのだろう。
大学を退職してシンプルなシングルライフを満喫しているはずの渡辺儀助の妄想の暴走は無残だ。あんなふうには死にたくない。老人になっても性に執着するのを否定したいわけじゃない。そこは人それぞれだから構わない。だけど彼の妄想への執着は美しくない。あれは筒井康隆の妄想だ。長塚京三ではない。どうせならあの役は筒井本人が演じるべきだった。彼ならこの露悪的な役を見事に演じることが出来る。だけどナイーブな長塚は無理。上手い役者だから求められたものは体現するけど、それはただの演技でしかない。心から出たものじゃないから感動しない。
あれだけ現世には執着しないふりをして、あの遺書はなかろう。みっともない。だけどそれが人間なのか。お金には執着はないといいつつ、死ぬまでのお金の計算をしている。元大学教授へのこだわりを捨てきれない。遺産分割への言及で家はそのまま残して欲しい、等々。なんなのって感じ。死んでからもどんだけ執着しているのか。しかも幽霊としてまだここにいるし。これはやはりブラックコメディである。だから真面目な長塚京三には荷が重い。