豊田利晃監督が引き受けたということが、この映画を見た動機だ。三池崇史による大ヒットした2部作の後を受けて、その続編を手掛けるのは簡単なことではない。散々やり尽くされて作品の残り滓を集めて、しょぼい映画を作ったって意味はない。では、前2作以上に過激なアクション映画を作ったならどうか。でも、それではコメディにしかならない。では、どうするのか。そこで、豊田監督の個性が発揮されることになる。
過激なアクションはお約束なので、どんどん加速するしかない。でも、それだけでは飽きる。では、どこにこの映画のポイントを設けるのか。リアルの先にあるファンタジーまで昇華させる学園ドラマを目指す。あくまでもシリアスに不良たちの本気の戦いを彼ら目線で描く。豊田監督は彼らの内部に入って、彼らの本気を刺激する。ばかばかしいとは思わさない。こんなアホな学校は現実にはないけど、本気で殴り合い、鈴蘭の頂点を目指すガキたちの戦いをリアルに見せていく。
鈴蘭はサイコーだった、と語る大人のやべきょうすけを配することで、これは学園ドラマの王道を行く。「何か」に熱くなることの大切さを描く映画なのだ。普通の映画なら、それはスポーツだったり、恋愛だったりするけど、この映画ではそれは「喧嘩」なのである。だから、映画はとことん、戦い続ける。それだけの映画にする。理由なんかない。ただ、鈴蘭のテッペンを獲る。それだけのために血みどろになり、ボロボロになるまで、殴りあう。
バカである。だが、誰もそれを疑わない。高校の中ではすべてが許される。不良たちの毎日をただ喧嘩だけに明け暮れる姿を、どこまでも追及する。冷静にならない。どうしてこの学校には先生はいないのか、とか、授業はないのか、とか、そんなことは問題外なのだ。豊田監督の選択はその一点に尽きる。
不敵な面構えの男たちが殴りあうだけの映画に熱狂する。延々と戦いを見せるばかりだ。この思い切った映画に乗れるかどうかは結構微妙だろう。だが、三池監督が距離を保って彼らの戦いを描いた以上豊田監督にはこの選択肢しかない。しかも、その結果、三池版以上に冷静な映画になったのだ。さぁ、観客はどう受け止めるのか、気になるところだ。
過激なアクションはお約束なので、どんどん加速するしかない。でも、それだけでは飽きる。では、どこにこの映画のポイントを設けるのか。リアルの先にあるファンタジーまで昇華させる学園ドラマを目指す。あくまでもシリアスに不良たちの本気の戦いを彼ら目線で描く。豊田監督は彼らの内部に入って、彼らの本気を刺激する。ばかばかしいとは思わさない。こんなアホな学校は現実にはないけど、本気で殴り合い、鈴蘭の頂点を目指すガキたちの戦いをリアルに見せていく。
鈴蘭はサイコーだった、と語る大人のやべきょうすけを配することで、これは学園ドラマの王道を行く。「何か」に熱くなることの大切さを描く映画なのだ。普通の映画なら、それはスポーツだったり、恋愛だったりするけど、この映画ではそれは「喧嘩」なのである。だから、映画はとことん、戦い続ける。それだけの映画にする。理由なんかない。ただ、鈴蘭のテッペンを獲る。それだけのために血みどろになり、ボロボロになるまで、殴りあう。
バカである。だが、誰もそれを疑わない。高校の中ではすべてが許される。不良たちの毎日をただ喧嘩だけに明け暮れる姿を、どこまでも追及する。冷静にならない。どうしてこの学校には先生はいないのか、とか、授業はないのか、とか、そんなことは問題外なのだ。豊田監督の選択はその一点に尽きる。
不敵な面構えの男たちが殴りあうだけの映画に熱狂する。延々と戦いを見せるばかりだ。この思い切った映画に乗れるかどうかは結構微妙だろう。だが、三池監督が距離を保って彼らの戦いを描いた以上豊田監督にはこの選択肢しかない。しかも、その結果、三池版以上に冷静な映画になったのだ。さぁ、観客はどう受け止めるのか、気になるところだ。