クライバー/バイエルン国立歌劇場管「ベートーヴェン交響曲第7番」

             

 最近、クライバーとバイエルンによるベーム追悼コンサートでのベートーヴェンの4番がSACD化されました。名盤ですが買い直すまでではなくてパスです。ただ、久しぶりに聴いてみることにしました。CD棚のベートーヴェンのあたりを探していたところ、同じORFEOの第7番もあったのでついでに聴いてみることにしました。で、ケースを眺めていたところ・・・あれ!同じ日のコンサートだよ。1982年5月3日。ファンの方には当たり前のことでしょうが、同日の演目だったことを今更認識しました。第4番の後、第7番が演奏されたことは知っていましたが、それがディスク化されていたとは。このような基本的なことも輸入盤だと見落としてしまうことがあります。

 前置きが長くなりましたが、それで改めて第7番を聴いてみたのですが、まずディスクがSACDだったことを知りました。当時、特に意識することなく売っていたものを購入したようです。オーディオセットが強力になっていることもあり、このディスクの音、演奏にはぶったまげました。クライバーのベートーヴェン7番はウィーンフィルとの正規盤、コンセルトヘボウとの映像の他、海賊盤を何枚か持っていると思います。興奮するけど興奮慣れしてしまい新鮮な気持ちでは聴けていなかったと思います。

 迫力ある音の厚み、速いテンポの中の柔らかな表現、生命感溢れる畳み掛けるリズム、それでも全てが自然で歌があります。感動感激興奮です。

 余りにも7番がよかったので、4番の方も同じSACDで聴いてみたくなりました。国内盤の定価は4200円とかなり高めなのですが、タワーレコード横浜では3700円くらいで売っていました。
 通常盤には入っていなかった拍手から始まります。音はかなり改善されていて満足できるレベルですが、演奏の質としては(そもそもの曲の出来栄えという面もあるでしょうが)7番が素晴らしいです。

 第4番ディスクのライナーノーツにクライバーのコメントが載っています。「私にとってレコーディングに発売許可を与えるというのは常に戦慄すべきことですが、今回許可を与えたバイエルン国立歌劇場管弦楽団とのこのライブ録音には個人的にも大変満足しています。・・・・・・・この生き生きとした演奏を耳にして下さった方はどのオーケストラも、われらのオーケストラがこの日に成し遂げたほど、熱心にキビキビと霊感と喜びに満ちた演奏はできないと感じられることでしょう。本当にありがとう!」。4番はすぐにレコード化されて、7番はクライバー死後の発売なので、クライバーの言葉は4番のことを指しているのかもしれませんが、私にはこのコメントは7番も含めた当日のコンサートのことを言っているように思えます。

 第3楽章が終了して、ちょっと間を置いてすぐに第4楽章を始めるこのクライバーの指揮は本当に痺れます。演奏終了後は圧倒されて言葉がでないです。当然、会場で生演奏を聴いた聴衆は尚更のことでブラボーはなく一瞬静まり返ります。


             


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ドストエフスキー「悪霊」(亀山郁夫訳)

              

 若い頃にドストエフスキーの「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、トルストイの「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」を読み、圧倒的な感銘を受けました。今でもこれらはあらゆる小説の中の最高傑作の一つだと思っています。面白さと感動でこれらの本を読んでいた時間が体験として思い出に残っています。

 ただ、2人のロシアの巨匠の長編については4冊で満足してしまい、これ以外の作品は手に取りませんでした。もう十分、これ以上はもうない。
 話題の亀山訳でドストエフスキー作品の出版が続いており、未読の「悪霊」について「ドストエフスキーの最高の物語、最大の問題作」と紹介されているのを見て読んでみようという気になりました。第3部が昨年末に出版されたのを機に読み始めました。

 第1部(490ページ)、第2部(680ページ)、第3部(520ページ)、計1700ページの長編です。

 事件が起こることが仄めかされ、徐々に核心に向けて物語は進んでいきますが、歩みは極めて遅いです。これから読まれる方にはネタバレ注意ですが、様々なスキャンダルは順に明らかになるにせよ、はっきりした事件がようやく起こるのは第3部の100ページ過ぎです。1300ページに亘る長大な序章付きの政治的人間達の憎しみのドラマです。

 この小説は一体何なのか。ドストエフスキーの小説はもともとミステリー風ですが、この作品は特に謎が多いです。過去に何かあったみたいだ、こいつはあいつのことを憎んでいるようだ、でも何故だ、誰がメンバーなのか、何が目的なのか、何であいつと彼女の間に接点があるのか、あいつはどこへ消えてしまったのか、なぜ死ぬのか。謎だらけですがそのほとんどは明かされません。結部での作者の丁寧な解説はない。問題作といわれているのはこの点についてでしょうか。

 まるで物的証拠不十分、犯人が黙秘している事件の裁判のようです。そこにあるのは状況証拠だけ、一体何が起こったのか。語り手がこの物語のことを「クロニクル(年代記)」と呼んでいるのも手掛かりです。歴史の1ページ。ペテルブルグ近郊のある街で起こったこと。実際に起こった事実から上手く教訓を導き出し一般化できることもあれば、なぜこんなことが起こったのか理解に苦しむこともあります。この小説のメッセージは何なのか。それとも理解不能の出来事の記録なのか。

 このノンフィクション・ノベル風の小説の状況が19世紀なかばのロシアや日本をはじめ世界においてあった状況なのかどうかは分かりません。ただ、多くの若者が政治的な存在で学生運動や悲惨な内ゲバなどが盛んだった頃には共感を持って読まれたのではないでしょうか。しかし、現代の非政治的な存在である我々にはあまり親近感のある設定ではありません。神がいるかいないかの論争にも関心ありません。教理や世界観はその時代固有のものであり、そういう面では現代人には理解できない小説なのかもしれません。

 それでも、ここで示される人間の狂気、嫉妬、復讐の念、熱狂、悲劇的滑稽さには強烈なインパクトがあり、この長大な物語の読み手を飽きさせません。どの登場人物も本音らしきことを語るのはほんの僅かですが、その一言にギクリとさせられます。
 会話が前面に出てくる語り口なのですが、対話においてどっちがどっちを喋っているのか分かりにくいところがあります。顔の表情までリアルに想像させてくれるトルストイの人間の描き分けを懐かしく思い出すこともありました。ただ、この二人の巨匠の作風は違えども、人間の魂を崇高に描くという点では共通しています。

 この小説が一体何なのか、疑問点、釈然としない点は多々残りますが小説としては面白かった。人間の心の闇の暗さ、深さにぞっとします。知らなかった凄い世界を知ることが出来た満足感は大きいです。
 亀山訳の新しさについては旧訳を読んでいないので分かりませんが、活き活きとした会話をリズムよく読めたのは確かです。一般的には埋もれてしまったこのような怪作に改めて陽の光を当ててくれた亀山氏に感謝です。小説はこれで終わりですが、この後、「特別編」という何やら重要な読み物が刊行されるそうです。そちらも楽しみに待ちたいと思います。


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