想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

憂いの日には

2008-09-09 10:25:59 | Weblog
                 親分にはスタイルがある。

     若い頃の悩みを、歳を経てあとで考えると
     ひとえに無知ゆえの悩みであったことがわかる。
     もし悩み苦しまなかったら、新しいことを知ることはないだろう。

     いや、苦しまなくとも知ることはできるというかもしれないが
     その知ったはずのことが生きていくうちに役立つことなど
     あまりないのである。
     苦しんで得たこと、失敗から学んだ知恵ほど人を助けるものはないだろう。     



     シマコは三度、お産した。
     そのたびに産む場所、育てる場所を移動している。
     こちらに当たりはついていても、彼女は隠しとおそうとする。
     赤ん坊が少し成長して、ひとりで歩けるようになるまで
     さまざまにフェイントかけたりアプローチして
     餌を確保しようと努力している。

     生きる知恵はどこからくるのだろうか、とシマコの瞳を
     のぞいてみる。
     顔を寄せると、カーッと歯を向いて言う。
     どうやら挨拶らしいとわかるまで威嚇しているのかと思っていた。
     シマコにはシマコの生きる流儀があって、飼い猫とはずいぶん違う。

     雇われるのがいやな人は、自分の足で立たねばならない。
     立てもしないのに、勤め人はいやだと不平をいう者もいる。
     仕事とは事に仕えること。
     不平不満の前に、事を成せるかどうかである。
     そんなことがわからんヤツはクビになるが、ならないままの
     公務員にもそのツケを返せと閻魔様がやってくる、そう思っている。

     憂いの日もはたらく、そのほうがいい。それは幸せだ。
     若かった頃を思うと、信じられないようなことを思うようになった。
     

     

コメント
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