「(ゆびきりげんまん)はりせんぼんの~ま~す
ゆびきった!」
とは約束を誓うときに交わす言葉。
上の文に読点を打て、そして漢字に置き換えよ。
ハリセン ボン ノマス
ハリセン ボン ノ マス
ハリセン ボンノマ ス
ハリ センボン ノマス
針千本ってどんだけ~、じゃなくてどれだけあるのかと
考えていたら、ふと、読点(、)の位置がズレ
オヤジ思考になってしまったのである。
オヤジの思考回路とは、謎が多い。常々接してそう思うのであるが、
それが自分の脳内で起きている。
ゆゆしきことだが、これは感染に相違ない、昨今の事情から考えるに。
軽い風邪みたいなものだと思う、いや思いたい。
ハリセンをボンが呑むという絵がまず眼に浮かぶ。
ボンはぼんぼんのことで、盆ではないよ。
嘘ついたぼんぼんがハリセンを飲み込むわけもない、
すると、やはり針を千本呑まねばならん、となる。
その前に指を切って(たぶん小指だろうが)、万回拳固で殴られるわけだ。
激しくも厳しい掟を子供同士で交わしていたことになるなあ。
ゆびきりげんまんと歌うのはこどものころから馴染みなのに
どうしてもハリセンとバカボンしか思い浮かばない。
兎追いしかのやま~、と歌う「ふるさと」の歌詞をずっと頭の中で
ウサギ美味しいか、野山と思っていたうさこである。
漢字に置き換わって意味を示さないかぎり音だけだと、いかようにも
解釈を許すのである。
かくして約束は守られなくとも、殴った覚えもないし、殴られたこともない。
昨夜の雨があがり、朝から晴れた日曜日。
本榊をたくさんいただいたので、庭木にするべく
ねずみ師とNつよし君はスコップで穴堀りしている。
約束を破るというのは、つまり嘘つきである。
嘘をつかない人生はない。いいえ、決してという人ほど、嘘臭い。
穴の中へ向って、これまでついた嘘を吐き出して
その上に榊を立て、封じ込める。
作業をみているうさこは、勝手な想像でにやつくのである。
古代よりこの国では神さまが降りる依代に榊を使う。
榊は旺盛な繁殖力と常緑がとりえの木、
特に稀少なものだから使われたというわけではない。
榊があるから神が降りるわけでもない。
榊は浄めた場所の目印で、結界を示すのである。
して嘘を埋めた上に、どんな神さまをお招きするか?
善神か、魔か、それがもんだいにゃ~(と、ごまかしたい問題)
天物梁命(あめのこやねのみこと)は善にはたらく。
邪をよせつけないハタラキであるから、さしずめ
うそぼんぼんにとっては、もっとも苦手な神さまだな。
千本針を飲むのも、拳固で殴られるのも、苦手な神さまといるのも
同じくつらいことだろう。
ならば、千本針を飲んで喉を血だらけにして声を失うより、
善の方へ向き直るほうを選んだほうが、まだ未来があるだろう。
‥‥というカンタンな式が悪事にまみれた脳にはわからない。
汚染、感染の悪循環から脱するには、穴堀り作業などもってこい、
坊さんが作務をするのは、空になるため、悪事を考える脳を使わないためである。
それにしても、うそぼんぼんの魂はどこへ行った?
野山をかけめぐり逃げて行ったのかもしれないなあ、穴の中は暗くてやだもんなあ。
妄想を繰り広げている間に植え込みが終わってしまいました。
どうせ、猫の手とうさこの手はあてにされておりません。
十三夜(12日撮影)
十五夜(14日撮影)
夜になり、満月を観ることが叶いました、高速バス停まで送ったN君から
「高速道路は雨降ってますよ」とケータイメールで。
なのにこちらの空は晴れて、雲間から月光。
神々のお遊び~。
「お父さん、ありがとうございます」とおつきさんへ向かってつぶやいた。
月が見たくてガン飛ばしてたうさこにしては、チョーうれしい夜であった。
ゆびきった!」
とは約束を誓うときに交わす言葉。
上の文に読点を打て、そして漢字に置き換えよ。
ハリセン ボン ノマス
ハリセン ボン ノ マス
ハリセン ボンノマ ス
ハリ センボン ノマス
針千本ってどんだけ~、じゃなくてどれだけあるのかと
考えていたら、ふと、読点(、)の位置がズレ
オヤジ思考になってしまったのである。
オヤジの思考回路とは、謎が多い。常々接してそう思うのであるが、
それが自分の脳内で起きている。
ゆゆしきことだが、これは感染に相違ない、昨今の事情から考えるに。
軽い風邪みたいなものだと思う、いや思いたい。
ハリセンをボンが呑むという絵がまず眼に浮かぶ。
ボンはぼんぼんのことで、盆ではないよ。
嘘ついたぼんぼんがハリセンを飲み込むわけもない、
すると、やはり針を千本呑まねばならん、となる。
その前に指を切って(たぶん小指だろうが)、万回拳固で殴られるわけだ。
激しくも厳しい掟を子供同士で交わしていたことになるなあ。
ゆびきりげんまんと歌うのはこどものころから馴染みなのに
どうしてもハリセンとバカボンしか思い浮かばない。
兎追いしかのやま~、と歌う「ふるさと」の歌詞をずっと頭の中で
ウサギ美味しいか、野山と思っていたうさこである。
漢字に置き換わって意味を示さないかぎり音だけだと、いかようにも
解釈を許すのである。
かくして約束は守られなくとも、殴った覚えもないし、殴られたこともない。
昨夜の雨があがり、朝から晴れた日曜日。
本榊をたくさんいただいたので、庭木にするべく
ねずみ師とNつよし君はスコップで穴堀りしている。
約束を破るというのは、つまり嘘つきである。
嘘をつかない人生はない。いいえ、決してという人ほど、嘘臭い。
穴の中へ向って、これまでついた嘘を吐き出して
その上に榊を立て、封じ込める。
作業をみているうさこは、勝手な想像でにやつくのである。
古代よりこの国では神さまが降りる依代に榊を使う。
榊は旺盛な繁殖力と常緑がとりえの木、
特に稀少なものだから使われたというわけではない。
榊があるから神が降りるわけでもない。
榊は浄めた場所の目印で、結界を示すのである。
して嘘を埋めた上に、どんな神さまをお招きするか?
善神か、魔か、それがもんだいにゃ~(と、ごまかしたい問題)
天物梁命(あめのこやねのみこと)は善にはたらく。
邪をよせつけないハタラキであるから、さしずめ
うそぼんぼんにとっては、もっとも苦手な神さまだな。
千本針を飲むのも、拳固で殴られるのも、苦手な神さまといるのも
同じくつらいことだろう。
ならば、千本針を飲んで喉を血だらけにして声を失うより、
善の方へ向き直るほうを選んだほうが、まだ未来があるだろう。
‥‥というカンタンな式が悪事にまみれた脳にはわからない。
汚染、感染の悪循環から脱するには、穴堀り作業などもってこい、
坊さんが作務をするのは、空になるため、悪事を考える脳を使わないためである。
それにしても、うそぼんぼんの魂はどこへ行った?
野山をかけめぐり逃げて行ったのかもしれないなあ、穴の中は暗くてやだもんなあ。
妄想を繰り広げている間に植え込みが終わってしまいました。
どうせ、猫の手とうさこの手はあてにされておりません。
十三夜(12日撮影)
十五夜(14日撮影)
夜になり、満月を観ることが叶いました、高速バス停まで送ったN君から
「高速道路は雨降ってますよ」とケータイメールで。
なのにこちらの空は晴れて、雲間から月光。
神々のお遊び~。
「お父さん、ありがとうございます」とおつきさんへ向かってつぶやいた。
月が見たくてガン飛ばしてたうさこにしては、チョーうれしい夜であった。