想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ありがとうと言うのです

2008-09-29 13:44:32 | Weblog

  実りましたよ、紅いヤマボウシの実。

  6月は若葉で緑一色の森に白い花を添えてくれました。
  大きな木なので、その一角の白は華やかで、そして清冽なのでした。
  それだけでもじゅうぶんうれしくて、ありがとう、と言いました。

  


  ほんとうのことを言えば、秋の紅い実を期待して、ありがとうと言ったのですが。

  そして今年は昨年に比べても見事な実りです。
  まだこれから色づくのがたくさん生っています。
  足下にもたくさん落ちています。

  ほんとうのありがとうは、期待も形も望みもないところで抱くものです。

  だから、わたしのありがとうは、ヤマボウシの実に対してではなく
  目には見えないけれども、山に降りそそぎ満ちている気配に向けて
  もろもろのつながりの純粋な采配へ向けて。

  降り続いてうっとうしい雨に、そのあとに訪れる猛烈な湿気に、
  そしてそれを吹き飛ばす大風に、抜けるような空からの陽差しに、
  そこに生きる鳥たちに、風に乗った粒子に。

  紅い実に集約されたそれら諸々が
  今日もまた、元気に生きていろよとうながしてくれます。

  ありがとうと頭が下がります。
  
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夕陽を眺めて

2008-09-29 02:01:15 | Weblog

   むかしむかし、おおむかしの事ばかり読んでいるのである。
   同じものを読み、これは考証できぬから偽りであるという意見がある。

   また、「考証と人間の本質は違う」と言い切った人もいる。
   その人は続けて
   「憧憬や心酔は畢竟するところ何物も生みはしない」と語っている。

   旧事本紀という名の書物に、心酔している人ほど真偽にこだわり
   考証に及ばんとして議論するのである。

   心酔もしなければ、憧憬もないわたしにとって旧事とは、
   人間の本質を学ぶもの、ただそれだけのことである。



   ただそれだけ、というそのことに生涯ふりまわされ
   時間を費やし、金をかけるのである。
   人間の本質を知るために、人間をやっているわけである。

   ちがうか?
   って、隣でまた声がするんだもの。
   またまた気取っちゃって、みたいなー、
   はいはい、そうです、単に赤く染まってく空を口開けて眺めていただけですよ。


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