想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

魔の季節

2008-09-10 11:07:04 | Weblog

    増水した小川で、腹這いになって冷え冷えを体感するのが
    たまらんのです。

    毛皮族にしかわからんでしょうが、ヒトは森で避暑になりますが
    おいらにはアチーです。
    10分おきに水浴びし、気温が下がる夕刻には寝ます。
    昼寝がずれ込むのです。   



    空がだんだん深い色になり、夏空も見納めです。
    台風とともに、空も樹々も秋色に変わります。

    夏が育てた実り、秋は勝負どきでんねん。
    そこへ台風、つまり自然の嵐は目に見える「魔」であるなあ。
    年々、魔が大きくなるのは、やっぱエネルギー問題なんかなあ。

    すでに「素粒子を計測し、対象物の形状を透視する技術」が
    応用されるようになっとると、ニュースで知った。
    見えないものを見るように、ヒトは意気込んでいるなあ。
    見えなかったはずのものが見えるようになると、
    さらに見えないものを見ようとするなあ、科学技術で。

    想像力という知恵は、それでもたぶん、必要なんだろう。
    ニュートリノの話、二十年前にねずみ師がしていたときは
    本気で考える人はいなかったなあ。
    薄笑いしたヤツさえいたし、アイツはいま何を見てるんかなあ。
    生きて、そんで、食えてるだろうか?
    想像力と思い込みは断然、別物であると思うよ。

    

    
    


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憂いの日には

2008-09-09 10:25:59 | Weblog
                 親分にはスタイルがある。

     若い頃の悩みを、歳を経てあとで考えると
     ひとえに無知ゆえの悩みであったことがわかる。
     もし悩み苦しまなかったら、新しいことを知ることはないだろう。

     いや、苦しまなくとも知ることはできるというかもしれないが
     その知ったはずのことが生きていくうちに役立つことなど
     あまりないのである。
     苦しんで得たこと、失敗から学んだ知恵ほど人を助けるものはないだろう。     



     シマコは三度、お産した。
     そのたびに産む場所、育てる場所を移動している。
     こちらに当たりはついていても、彼女は隠しとおそうとする。
     赤ん坊が少し成長して、ひとりで歩けるようになるまで
     さまざまにフェイントかけたりアプローチして
     餌を確保しようと努力している。

     生きる知恵はどこからくるのだろうか、とシマコの瞳を
     のぞいてみる。
     顔を寄せると、カーッと歯を向いて言う。
     どうやら挨拶らしいとわかるまで威嚇しているのかと思っていた。
     シマコにはシマコの生きる流儀があって、飼い猫とはずいぶん違う。

     雇われるのがいやな人は、自分の足で立たねばならない。
     立てもしないのに、勤め人はいやだと不平をいう者もいる。
     仕事とは事に仕えること。
     不平不満の前に、事を成せるかどうかである。
     そんなことがわからんヤツはクビになるが、ならないままの
     公務員にもそのツケを返せと閻魔様がやってくる、そう思っている。

     憂いの日もはたらく、そのほうがいい。それは幸せだ。
     若かった頃を思うと、信じられないようなことを思うようになった。
     

     

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女の誘惑‥

2008-09-08 10:37:19 | Weblog

    わたしってなーんもできない‥
    そういう誰もが一芸くらいはあるものだ。



    まだベイビーがベイビーだったころ、昼間はオフィスで
    仕事場のスタッフに甘やかされていたようである。
    
    女子のおやつタイムに、「ごろんちょ」と一声かけられて
    お腹を見せる芸を仕込まれていたことに
    ほとんどオフィス内にいないわたしは気づかなかった。
    だって、わたしの前ではしないもの。
    する必要がないし‥

    ベイビーが「ごろんちょ」でスイーツをねだる相手はよそのお姉さん方。
    みんなでよってたかって、うちのベイビーに「ごろんちょ、ごろんちょ
    ベイビー、かわいいね~、ごろんちょ~~~~」と言っては
    アイスの残りやヨーグルトやクッキーのかけらをあげていたのだった。

    どうして「ごろんちょ」にわたしが気づいたかというと
    ある日、アイスクリームのカップを冷蔵庫から取り出したら
    ベイビーは突然、床にごろんとなり‥
    あれ~と思いつつ、ノーよ、アイスはノーなの、と言っても言っても
    ごろん、ごろん、と激しく繰り返し、とうとうベイビーはアイスをゲット!

    それからはうちでもごろんちょをするようになったというわけだ。
    仕事場で、こんなことするんだよーと話をすると、みんなが顔を見合わせ
    I.Aさんが「すみません、わたしが」と謝るではないか。
    「いけないいけないと思いつつ、面白いのでアイスあげました」というわけで。
    
    なんだか浮気をされた奥さんの気分、であったな。
    もう十歳、いまはアイスはなくても「プーちゃん、ごろんちょー」というと
    あの有様である。 いつでもどこでも、ごきげんちゃんである。

    ちなみに、親分の名はプーちゃんではない。
    彼の名誉のために断っておくが。
    (どんな気取った男も家の中ではほぼプーちゃんなのである)
    



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花のあとには実り

2008-09-07 10:52:18 | Weblog
      舌なめずりの季節である。



      花のあとには実がなる。
      実にはタネが入っている。

      実だけ食べて、タネを無視してはならない。

      タネのために実を食べる‥というのは
      いいすぎ、偽善である。

      おいしく食べて、おまけにタネがあるので
      また芽をだし、花が咲き、実がつく‥かもしれんという
      可能性で人を喜ばせているのがタネである。

      ぎぼうしは、花でよろこばせて、タネでさらに
      「わたし、いいでしょ」とうさこの気を惹いている。
      食べられない、と思っているのは親分で、
      うさこはタネをみて、実を開いて黒いツブツブを見て、
      けっこう喜んでいる。

      道は遠い、遥かに遠い。
      されど、希望は捨てない。
      いつか食えるものを‥
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静かな生活

2008-09-06 19:24:35 | Weblog

    一生降り続くような気がしていた灰色に濡れた日々、
    ぬかるみを歩きながら、鬱々とうなだれ
    しかし、愛することだけはやめなかった。

    ある日、郵便配達夫が晴れの日を告げる手紙を届け、
    気づいた。
    わたしにとって一番大事なことは何かってこと。

    目に見えない糸のような環のようなつながり。
    あるいは縁。
    長い雨に打たれて、気づいた。

    静かな生活。

    愛がなければ、人らしく生きることはむずかしい。
    愛するから、朝が来ることが楽しい。
    愛するから、瞬く間に過ぎる時を惜しみ、
    眠りにつくのを先延ばしにする。

    闘いつづけたのは、わたしの悔しさのためではなく
    愛を守りたかったから。
    くじけるわたしを見るあなたの目が
    濡れるのを見たくなかったから。

    あの日立っていた公園の芝生
    雨に濡れ、独りきりだと思ったのは
    わたしのまちがいだった。

    
    

    
    

    

    

    
    
    
    
    


    
    
    
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ずっと、ねんごろなのだ

2008-09-04 10:27:08 | Weblog
        いつでもいっしょです



      ついてまわります、いや、付き添いが仕事です。
      どっちがどっちか?
      付き添ったり添われたり、いつもいっしょです。



      独身者がペットで癒されているの図ではありません。
      独りもんが犬飼って慰められてるっていう同情は、ちと下世話です。

      親分は愛しかたを教えてくれたのです。
      だから、わたしは人を愛せるようになりました。

      最初はハトがベランダに巣をかけて、ヒナが孵るのを見守るところ
      から始まり、ハトが巣だってからは鳥嫌いだったはずのわたしが
      文鳥のヒナを買い求めました。桜文鳥と白文鳥。
      桜文鳥のチッチは長生きしました。
      途中で一緒に飼い始めたのがミニウサギ、茶色のぐみちゃん。
      そして次にやってきたのがラブラドールのベイビーでした。
      文鳥のチッチは子犬のとりこになっていたある日、家に戻ると
      鳥かごの中で死んでいました。
      チッチが可哀相でなりませんでした。
      心が離れていた隙間に、独りでチッチは亡くなったのだということが
      カナシくてたくさん泣きました。
      
      ヒト以外の生き物に、愛することを教わって
      わたしの長いあいだの人嫌いと厭世観が変わっていきました。

      ベイビーだけでなく、人も愛していますよん。
      
      
      

     
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懇ろ(ねんごろ)

2008-09-03 14:09:20 | Weblog
            ~シマコの背中~

 懇:コン ねんごろ
  
 貇:いのししが怒りたけって牙で土や作物を掘りかえす
   ことを墾といい、作物を根付かせるために深く掘って
   耕す心情を懇という。墾には「心をこめて、手厚く
   ねんごろ、まごころ」の意味がある。
               (常用字解・白川静 より)

  婚姻と同棲、どちらがいいか。
  妙齢の女性が考えている。

  夏ちゃんは同棲2年目でうまくいってるようだけど
  そろそろ結婚してもいいかなと言う。
  相談を聞いた夕美ちゃんは結婚に迷っている最中なので
  どっちがいいとも答えられない。同棲もいいかなと
  思ったりするわけで、結婚前提でつきあっている彼がいる
  けど踏ん切りがつかないのである。

  結論が出ない二人はうさこのところへやってきた。

  「懇ろね」と答えた。

  え、……?
  ふたりとも黙って顔を見合わせて、次ににやにやとした。
  だから~、それはどっちがいいってことですか~?

  懇ろならば、どちらも良し。と言って、うさこは蕎麦を
  ゆでることにした。
  ここいらは土地が貧しいから蕎麦は美味いんだよーと。

  うさこさんはどうして結婚しないんですか? と夏希ちゃんが
  すっとんきょうな声で言う。考えすぎて声が飛び出した感じ。
  それ、言う? と夕美ちゃんはほんとは聞きたかったというのを
  隠せない声だ。

  懇ろだからね。とうさこは答える。
  ところで同棲じゃなくて、それをいうなら共棲じゃないの?
  共棲なら結婚も同じでしょうが。
  財閥のお家相続するわけじゃあるまいし、庶民は同じ屋根の下に
  共に棲むだけでしょ、おんなじおんなじ。
  ふたりとも、「心をこめて、手厚く、まごころを与え合う」暮らし
  をすればよし、ですよ。
  だから、ねんごろなことが大事。
  ふたりで耕すんだわよ。

  蕎麦はすぐにゆであがり、ミョウガとネギをたくさん添えて
  大盛りざるが並ぶと、妙齢のふたりはさっと箸を手にとり
  「いただきまーす」と食い気、全開。
  子供なんだか、年頃の女性なんだかわからない。

  しあわせの形は、ふぞろいでいいのだと、思いますよ。
  無農薬栽培、です。
  
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晴れ間に遊べ

2008-09-02 23:50:26 | Weblog

   暦が替わっても、雨がよく降るので晴れ間が見えると
   人も動物も植物も、みな嬉しい。

   空の青、白い雲。
   キラキラの光。



   走る親分さんと‥



   悠然と歩くシマコ姫。
   カメラを向けても、歩くスピードを変えない。

   自意識過剰、とかいうのは、人だけにしかないようで
   思い込み、とかいうのも、人の脳みその特性で
   考え過ぎ、とかいうのは、犬猫にはありえないようです。

   晴れたら、外。
   メシ、頼む。
   ゴチ、サンキュー。
    (シマコは目を細めるのが、お愛想のしるし)
   以上。シンプルなおふたかたです。

   うさこも、昔に比べれば、だいぶシンプルになり
   あまりに複雑な人とはおつきあいしにくくなりました。
   努力は怠るまいと思っておりますが‥

 
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大雨の跡

2008-09-01 20:06:52 | Weblog

    釣り人、さすがにこの数日みかけない。



    このあたりに車を止めて、渓流釣り。
    川を上っていく。
    川幅いっぱいに水が流れて、とてもじゃないが
    歩けそうにない。
    ふだんは岩場がもっとあちこちに見えているのだが
    深い川へ変貌している。



    ここは源流から1~2キロと近い場所で、ふだんから荒々しくはあるが
    いつにも増して勢いのある流れが、自然の威力をみせつけている。

    大雨のあとは、川と山が暴れないか、そればかりが心配。
    八月後半は本当によく降った。
    降り続きのまま九月。まだまだ、これから‥次は台風だな。

    一号棟を建てている最中、そういえば台風に見舞われた。
    大風にとばされそうになって、梁にしがみついていた。
    まだ壁も屋根もなく、ブルーシートに被われて
    骨組みが出来たばかりの頃だった。
    なぜだか、みんな笑ってた。
     都会っこのアホさかげんまるだし‥‥
     嵐の中に身をさらしたことなどないから、楽しかったのだ。



    もう一つ、雨のあとに現れるもの‥
    それは、モノというわけじゃなくて、この方!
    シマコ姫、赤ちゃん産んでママになっても姫である。

    縁がわに寝そべって、ねずみ師の前で甘えているのだな。
    ぽっこり、まんまるお腹まるだしである。
    ひさびさに、お腹いっぱいになったんだろうし、ま、ご自由にどうぞ。

    備えあれば憂いなし、備えなくとも憂いなし、
    憂いとはほど遠いところに、姫は生きているんじゃないでしょうか。
    他力の他力、極意です。俊敏なのにそう見えない。
    あやかりたい‥‥脱力ぶりである。


    
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