オルニャオのキャンプサイトは大きすぎて、長期にわたってその地に住んでいないとサイトの住人から無視されてしまう。
それで12日間も住んでいたが毎日顔を合わせおしゃべりできたのは、隣のキャンパーに一人で住んでいるオランダ人のおじいさんだけだった。彼は毎朝自転車に乗ってマーケットへ買出しに行く。そして彼から土曜日は魚・野菜市場の周囲に土曜市が開かれることを聞いた。
雲ひとつ無い青空の下、二人でテクテク歩いてマーケットへ向かっていたら、おじいさんがおはようの挨拶と共に自転車で追い越していった。
土曜市はどこからこんなに人が湧き出てきたかと思うほどの賑わい。魚・野菜市場の建物の後ろの広場に屋台を出した近隣のお百姓さんやマーケット専門の屋台のお店屋さんでいっぱいだった。ここのマーケットは以前に行ったクェイテーラの水曜マーケットよりぐんと大きく、見て歩くだけでも楽しい。
今一番シーズンなのはオレンジで1Kg50セントから、そしてポルトガル産のアーモンド、胡桃、乾燥いちぢく、はちみつが売られている。オリーヴの塩漬けと殻を取ったアーモンドの実など野菜と一緒にしっかり買い込み、お菓子の元をぐるぐる搾り出して油で揚げた面白いもの(下の写真)を買ってみた。ローカルの人たちは上げたてをすぐ砂糖にまぶしているが、それは遠慮してそのまま紙に包んでもらい熱いのをかぶりつく。まるでヨークシャプディングを油で揚げたような味だったが、油でギトギトになった。
魚市場も大盛況、写真を写していたら魚屋のお兄さんが ”はい、チーズ ”とポーズをとってくれた。新鮮な鯖や鯵が安い。先日レストランで食べ損ねた鯵のから揚げをしようと1Kg買って3ユーロ、骨が嫌で魚が食べられない亭主の為にマグロの切り身700g--赤身のマグロは刺身にしてもトロほど美味しくないことが初めて判った。
新鮮な鯖はしめ鯖にしようと2Kg も買い、残りは3枚におろして冷凍に。これだからマーケットはやめられない。
オルニャオの町は意外と大きく、新市街地に新しいショッピングセンターが建っている。1-2階はお店が並んでいて、地下は駐車場、三階がフードコートになっていて、最近はやりのテント様式の屋根がモダンだ。この3階はテントの屋根とガラスの仕切り戸の間が開いていてすずめが出入りしているし、全体に暖房がまったく無い。雨は降り込まないが風は通り抜ける。寒い北国では信じられないような公共の場だった。
ここで昼食を食べることにした。くるくる寿司も在るが食指が沸かない。亭主はサンドイッチのお店でトーストサンドなるものを注文し、私もほかに何かを注文しようとしたら、お店のお兄さんが”これはとっても一人で食べられないよ、二人分はあるから”と言ってくれた。
中に薄い肉とチーズ、それにサラダが挟まっていて6ユーロ、暖かくとってもおいしかった。この巨大なトーストサンドイッチ!!!!
キャンプサイトから歩いて5分くらいのところに自然公園が在った。毎日すばらしい青空だったから、一日この公園で過ごそうとサンドイッチに飲み物も準備して出かけた。
公園の入り口で入場料二人5ユーロを払い、公園の地図をもらった。
ここはファーロからタヴィーラまでの海岸線が長い砂丘と小島で防波堤のようになった内海で、遠浅の海は潮の満ち干が特に激しい。
そしてアフリカへ渡る渡り鳥が一時翼を休めるところであり、潮の満ち干を利用して延々と続く塩田は、夏には働く人たちで賑わっているであろう。
磯しぎやオイスターキャッチャー、千鳥の群れがいたるところに見られ、特に気に入ったのがスプーンビル(ヘラサギ)これらは20羽ほど群れになり人を恐れてだんだん遠くへ行ってしまい、望遠でもやっと写った位だった。バードウオッチングのおじいさんが一人、日焼けして赤くなった鼻をテラテラさせて挨拶していった。
この公園の海岸べりには巨大な湖が2つありそれが一部で海水を引き込むようになっている。ちょうど引き潮時で水門から海へ流れ出る水の早さには驚いた。どんどん水が減ってゆき湖はほとんど干上がりそうになっていった。その満ち干の激しさを利用して、この地では昔から小麦の精製などしていたから、この公園内に説明案内が設置されていた。
ウームーー昔からここの人たちは偉かったんだ。
繁華街の真ん中の騒音の中に巣を作っているコウノトリだが、地上に降り立ったときには極端に臆病になり、決して近寄らせてくれない。コウノトリも鶴の仲間だなーと思ったのは彼らが飛んでいる時の姿がまるで日航のサインと同じだったから。
公園内の砂浜に自転車を停めた土地の人たちは遠浅の海を横切ってゆく。20-30分もすると公園と向かいの島の真ん中に砂地が現れ、潮干狩りの人たちがせっせと掘り起こしているのが見える。彼らは採ったアサリをマーケットや道端で売っていた。
公園内の中心に立派なインフォメーションセンターがあり、その玄関広間にマグロ漁業の模型が在った。それでスペインのロッシェで赤さびた膨大な数の碇がこれに使われていたことを知った。最近スペイン・ポルトガルのマグロ業は乱獲の為に不振が続いていて、港に放置されていたのだ。