Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スペインの旅 (14) ジブラルタル(Gibraltar)

2010-10-18 20:24:13 | キャンパーヨーロッパ 2010年



タリファの町からアフリカは直線で結んで15Km、昨日は晴天にもかかわらず海はかすんでいてアフリカの大陸は見えなかった。それにはじめから見えるなどとも思っていなかった。それが本音。朝11時過ぎ、タリファのキャンプサイトを出発して町を過ぎると国道は上りになる。見渡す限りの山脈に沿って風力発電のターバインが並んでいてそれが全部高速で周っていた。ここは高さも在るだろうが、もともといつも風が強い地方で有名だそうだ。
山頂付近に駐車場とお土産店兼展望台が在り、アフリカが望めるようになっている。ふもとは青空だったが、山を登るにつれて雲が出てきて、海もアフリカ大陸も雲で覆われたまに山陰らしいのが見えるだけだった。そこでタリファからアフリカをバックにしたパノラマ絵葉書を1枚買って記念にした。







ラ・リニアーとジブラルターの標識を見つけラ・リニアーへ向かう。この町の最突端に英国領ジブラルタルがくっついている。ここは1800年代英国とスペインの戦争で戦勝国の英国がスペインから取り上げたもの、当時は地中海を統御するのに重要な軍事地区だったに違いなく、今も英国領として通貨はポンド。英語圏で狭い領地に林立しているフラットには英国人が住んでいる。





国境の金網の手前に広大な空き地があり、キャンパーが10台ほど停まっていた。ちょうど12時過ぎで、ここに駐車して2-3時間ジブラルタルへ行ってくるのも悪くないと話し合い、なるべくキャンパーの込み合っているほうが安全だろうと、大きなドイツ車の横に駐車した。
もう200年近くも英国領だがスペインは返還要求をしていて、”ラ・リニアもスペイン領だ” と書いた大きな看板がかかっていた。も を強調して皮肉っているのだと亭主が教えてくれた。私など簡単に返してあげたらいいのにと思ってしまうが、ここに住む何万、何十万のイギリス人は土地を追われることになるのかも知れない。対岸のモロッコの一部が今もスペイン領でそれを返すなら、ジブラルタルも返したらよいのにと、知り合ったイギリス人が言っていた。





1950年代亭主がここジブラルタルへ来たときはまだ空港が出来てなくてジブラルタルは島だった。その後島とラ・リニアーの間を埋め立てて、そこを飛行場の滑走路にしてしまった。だからジブラルタルへ入国するときは、入国管理所を通ってこの滑走路を横断しなければならない。飛行機が飛ぶときは両側に遮断機が下り飛行機の通過を待つ。インフォメーションの上空写真で細長い滑走路が見える。島の西側の狭い平地が住宅やビジネス、ショップなどになっている。










ジブラルタルはTax Freeでショッピングによいと聞いたので期待していったが、確かにガソリンやディーゼルは安い。我がキャンパーはディーゼル車だからいつも値段を見比べているが、ここモリソンのスーパーマーケットのガレージではディーゼルが1リットル83ペンス。英国では1ポンド30ペンスくらいはするから1リットルにつき50ペンス近く税金を払っているわけだ。これは頭にきそう。
モリソンのスーパーマーケットのレストランで昼食をと亭主は楽しみにして、一番食べたかったもの・・・ステーキ・アンド・キドニーパイ(牛肉と腎臓が入ったパイ)を注文して満足していた。スーパーの食料は全然安くない。なぜなら英国でも食料には税金がかかってないからで、英国から運んだ運賃分だけ高くなっている。



山の中腹に古い城砦が見えその上にユニオンジャックがひらめいていて亭主が大喜びしていた。外国へ出ると急に愛国者になる人。オーイギリスのポリスマンも居るぞー。









コメント
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