トルニオからすぐトルニオヨッキ河を渡るとそこはスエーデン。フィンランドとスエーデンの国境も河で分断されている。
海岸線に沿ってストックホルムまで続いているE4を南下、途中の道端に面白い教会を見てキャンパーを停めた。教会は閉まっていて中を見ることは出来なかったが、ベルタワーの屋根が板でできているらしい。面白いアイデアだ。
ルリオ(Lulea)の近く、道端に世界遺産のマークを見つけ右折する。数キロ内陸へ行ったところで大きな駐車場にキャンパーや自家用車がたくさん停まっていた。
案内板に拠ればここは町全体が世界遺産になっている教会中心の中世スエーデンの町だとのこと。
1600年初期からこの教会に参拝するためにやってくる近隣の信者の宿泊所として造られたこれらの小さな家々は北スカンジナヴィアのユニークな木造建築ともあいまって1996年に世界遺産に登録された。
教会内部はきれいな装飾で、フレスコ画は色あせてきているが立派なパイプオルガンが備えられていた。
通りに向かって並んでいる各家の窓べには手編みのレース編みが飾られている。
町外れに集められたふるい農家や、住宅などが観光客に開放されていて説明してくれる女性も民族衣装。当地伝統の甘く塩辛いチーズを試食したが、まるで泥を食べているみたいだった。
農家の食糧倉庫や家畜用の干し草収容倉庫、農機具の倉庫などの木製建築物が面白い。
戸棚の中に造られたベッドは寒さを防ぐための手段だそう。
最後にこの野生の黄色い花は今ではスエーデンの道端一面に咲き乱れていて、スエーデンの代表野生花と言っていいくらい。良く見るととてもかわいい花で私の好きな花の内の一つ。
サンズヴァル(Sundsvall)の北7kmの小さなキャンピングサイトは小さな湖にめんし、夕方の明るい光の下子供たちが湖で泳いで楽しんでいた。夕日が沈んだのは10時過ぎていたが空は12時でも明るかった。
夕方5時頃湖のほとりを散歩していたら、小さなかえるが飛び跳ねている。一匹ならず数匹見かけたから同時期に生まれた子供かそれともこのサイズの大人なのかもしれない。
翌朝も朝から雨でサイトを出て近くのショッピングセンターへ行ったものの、大して欲しいものも無くそのまま200kmも南下してしまった。
ソーデルハム(Soderhamn) からロードナンバー50を西に向かいティムロ(Timra)のサイトに停めた。ここも松林の中のサイトで湖のほとりだけれど午後から急激に晴れて西日が湖の向こうに輝きだした。夕日に照らされた景色は日中とは違った趣をかもし出す。夕日が沈む前の9時ごろサイトの周辺を散歩して写真を撮り、まだ明るい空に巨大な半月が出ているのを見つけた。考えて見れば白夜の北極圏内では月を見たことが一度も無かった。
10時ごろには空が激しく燃えたような夕焼けで明日はよい天気になるに違いない。
ティムロのサイトを出てメインロード50に乗ってすぐ広い農場にたくさんの白ビニールで包まれた牧草の塊が並んでいて、数日前に見かけた面白い牧草の塊を思い出した。
ヨーロッパの通りや、駅の線路脇などには大きな落書き(グラフィティと呼ぶ)が見られるが、スエーデンの田舎ではついに白ビニールのカバーにまでカラフルな落書きがして有った。あっけにとられて写真を写すのを忘れてしまったが、なかなかいいアイディアだと思った。
このロードナンバー50は見ものがたくさんあり、ユネスコ指定の18世紀の農家(当時の豪農)が保存されていたり、1846年この地域の信者1200人が教会指導者エリックジャンセンに引き連れられてアメリカ・イリノイスに移民しコロニーを作った。・・・などと面白い歴史がある。
ファルン(Falun)の町の入り口で道に迷いたどり着いた広大なスポーツグラウンドには、スキージャンプのスロープ2基、(これは確実に国際レースを行うのに使われるに違いない。)や野外プール、それにたくさんの人。一体何があるのだろうと行って見ると、何とこの地方のボーリング競技らしい。あの玉投げがこんなにたくさんの人達で競われているなんてと驚いてしまった。
この町の外れには銅を掘り出した坑道や、それに関連した建築物がユネスコに登録されていて、外側から見える部分だけカメラに収めてきた。如何してこんなものがユネスコになるのかが判らない。
最後にこの巨大な乾パンはスエーデンでしか見られない。クリスピーでダイエットにぴったりだけどこの大きなサイズを食べていたらダイエットになるかどうかは判らない。
この夜ルリオのキャンプサイトを探し、一軒目は広大なサイトだったが満員で断られた。
今からスエーデンの夏休みに入ったのだろうか?行き交う国道もキャンパーやキャラヴァンが自家用車の数とほとんど変わらない。
ノルゥエーの北極圏内も一日にすれ違うキャンパーやキャラヴァンは150台は下らない。
ここでもすごい数のキャンパーが北へ向ってゆく。
翌朝激しい雨の中を南下、道草を食っていたらしいトナカイの親子が高速道路から出られなくなって必死で車と競争していた。スエーデンのトナカイ注意の表示板はノルゥエーとも違っていて面白い。
こんなかわいいキャラヴァンをひっぱった車に追い越されてしまった。
途中の町にスキージャンプの高台が2基も備えられていて、冬にはこのあたりでスキー大会?あまり山があるようには見えないのにスキーリフトが備えられていたりする。
この夜停まったキャンプ場はきれいな海水の入り江の松林の中、キャラヴァンでもう何週間も住んでいるらしい人たちは、キャラヴァンの周囲に素晴らしい鉢植えの花を植え生活を楽しんでいる。
翌朝すばらしい晴天の下途中の道路に自然公園の標識を見て3km松林の未舗装道路を走った。ここから徒歩で2kmほど、木道がしっかりしていて、数年前に行ったボルネオのムール自然公園を思い出した。
緩やかな岡の上から見る景色は、ノルゥエーとは比べられないが、それでもこの地域が海から隆起して出来上がった、High Coast(高い海岸線)として世界遺産になっている。
この自然公園を出てすこしの距離に、また見つけた世界遺産の表示はこのそそり立つ岩山で家族連れが皆で登攀にチャレンジしていた。この岩山も海底から隆起したもので世界一の高さとして記録されている。ここには立派な観光案内所がありスエーデン中の案内書やパンフレットなど入手できる。
スエーデンの田舎はノルゥエーやフィンランドと変わらず雪深い時期の郵便配達のためだろう。ズラッと並んだ郵便箱。
コッパバリ近くで見つけたキャンプサイトで一泊、ここにはインターネットがあり、午後の数時間をサイトのオフィスでこのブログを書き込むのに費やしてしまった。いろいろなキャンプサイトを見てきたがこんな面白い人形の歓迎があるのはこのサイトだけ。
この頃は英国が30度近くの気温に上がり真夏を謳歌しているがここスエーデンでも晴天、気温も24-26度くらいになってきた。
コッパバリは17世紀に銅を発掘したことで富を得たマーティン・フィンにより築かれた町でこの教会は1635年にオリジナルが出来上がり、スエーデンでも最も美しい教会の一つに挙げられる。教会外壁は魚のうろこ状の木版で覆われ、内部もすべてが木製で目を見張るものがある。
この教会の近くには元裁判所に使われた観光案内所があり、内部を写真に撮ったりしてでて来ると、なんだか17,8世紀にタイムスリップしたような気持ちになってしまった。
この町から数キロ行った田舎の湖の側にオペラハウスがあると聞き、出かけた。
大きな倉庫のような建物が湖の側に建っていて、チケット売り場のおばさんに声をかけたところ、親切にオペラハウスへ案内してくれた。
客席750の木造建築で木の隙間から外光がさしこんでくる。7月末にセビリアの理髪師が公演されるから今は舞台を造るのに工事現場の有様だった。
近くに非常に小さな駅があってオペラ公演の時だけ、ストックホルムからの電車が停まると言うことだった。
スエーデンを斜めに横切ってノルゥエーに入ると景色が違って見える。湖は山や岩を映し深い切り込んだフィヨルドが見えてくる。晴天もあって水はあくまで青く、黒い湖で泳いでいる親子たちも歓声を上げて楽しんでいた。
6年前この近くを通り青銅期時代に石に描かれた絵のあることを知った。ところがこの日はオスロから南のトロルハッタン(Trollhattan)まで激しい雨でミュージアムまでたどり着いたものの外へ出歩くなどとてもできない。諦めて南下したが、今回は素晴らしいチャンス。
暑いくらいの晴天でミュージアムで地図と説明書をもらい、まづはミュージアムから道路の反対側にあるメインの絵を見に行った。ここは1994年ユネスコ世界遺産に登録された。
オスロから真っ直ぐ南下したスエーデン西海岸線は、ノルウェーと同じように太古の昔は氷河で覆われ氷河が削った深いフィヨルドと氷河で磨かれた岩山から成る。
この表面が滑らかな岩に1500点もの石で彫った画が描かれている。博物館では観光客が見やすいように赤色を入れてある。色の無いものもあって、これらは一箇所ではないからもしかしていまだに発見されていない絵も多いのではないかと思われる。
これらの絵は後期青銅器時代から初期鉄器時代まで1500BCから2ADまでに描かれたものだと言われる。
船の絵が多くその頃はこの地域が海辺であったことが知られている。
北ノルゥエーのアルタにも同じような古代の絵がある。アルタはここスエーデンよりも古く石器時代に遡り、船の絵も多いがそれよりも狩猟や、牧畜等の動物の絵が多い。
このあたりの絵は船や戦士、子供、カップ、四輪車、セックスをしている男女、繁殖を司る巨大な男神、太陽などが描かれている。
一応メインの3箇所を車で回って写真に収めてきた。
博物館の後ろには青銅器時代の家屋が作られていて自由に見学できるようになっている。
その当時も羊がいたかは知らないが、数匹の羊がのんびり草を食んでいた。
博物館の前の麦畑はライ麦でたった一本の矢車草が麦に混じって咲いていた。
海辺や草むらに群れている野生の鴨、朝夕列を作ってギャーギャー鳴きながら飛んでゆく。
スエーデン西海岸はなだらかな内陸の湖水地帯と異なり、入り組んだフィヨルドと氷河で分断された大小の無数の島から成っている。 これが魚釣りの最後のチャンスかもと思い海岸線のキャンプ場を探して4日間海岸線を移動したが、何しろホリデーのピークでどこのキャン・サイトも超満員、午前中に気に入ったところに行き当たらなければ、その日は内陸のサイトを探すしかなくなる。 おまけにこの地帯のキャンプサイトは6月から8月の3ヶ月しか開かないところが多く3ヶ月に一年分を稼ごうとするから料金がめちゃ高い。
行く先々で写真を写しているが皆海岸線で、橋でつながった島か、フェリーが運航している所ばかりで気に入った数箇所を書いてみた
先ず初日はハンブルグサンド(Hamburgsund)キャンプサイトはこの町から数キロはなれたフィヨルドのそばで只一箇所空いていた場所に一日だけと契約して停まった。 堤防が3箇所出ているその先端で鯖つりをして細くてみすぼらしいような夏鯖を7匹釣り上げた。 この町は1軒のスーパーとお土産店が数軒ですぐ町は尽きてしまい対岸の教会や住宅地へはフェリーで渡らなければならない。
キャンプサイトを探して海岸線を南下するうちに、狭い運河?にかかる移動式の橋に着いた。約30分ごとに警報がなり運河にかかる橋が横にスライドしてゆく。すると待機していた大小のボートや帆柱の高いヨットなどが何十艘も運河を渡ってゆく。地図で見るとここもこの橋だけで結ばれた島で、島の西海岸線に広がるフネボストランド(Hunnebostrand)のキャンプサイトも家族連れのキャンパーやキャラヴァンで満杯。海岸線はたくさんの海水浴客で太陽を満喫している。
スマーゲン(Smogen)は岬の最先端に作られた高い橋で結ばれた島でこの地域では一番有名な観光リゾート地、晴天の下フィヨルドを横切ってゆくボートやマストの高いヨット、カラフルな家々、島の後ろに広がる海も白い帆柱がいっぱい立っていて、セーリングを楽しんでいるのが見える。街中へ入ってみると駐車場が満杯でどこにも停められず諦めて来た、見た、と言うだけでここを去るしかなかった。
ヨテボリ(Goteborg)の北、いくつもの橋で結ばれたマールストランド(Marstrands)へたどり着いた。早めに着いたから一泊できたがここも家族ずれのキャラバン、キャンパー、テントなどで大賑わい。町の散策へ行って見ると向こうに大きなお城が見えた。ところがここもフィヨルドで分断された2つの島で対岸へはフェリーでしか渡れない。それに対岸には大きな道路も見えるが車が一切走っていない。この町に駐車場が多いのがそのなぞを解く鍵になりそうだ。
この島は13世紀にノルゥエーの王によって開かれた自然の良港で、その後ヨーロッパが鰊の油を灯火としているときには、ヨーロッパ最大の漁港として栄え、海水浴がファッションになり始めた19世紀には上、中流階級の別荘地として今に至っている。 夏の3ヶ月間スエーデン人たちの熱い視線を浴びているこの地方は、この旅で初めて知ったスエーデンのホリデー事情を物語るものであろう。