昨日、「失語症になりそう」と、
年配のご婦人からSOSの電話があった。
「お忙しいのはわかっているのでお声を聴くだけでいいの」
と、すぐ切ってしまわれた。
なんだかとても気になって彼女が住む国立へ出かけた。
秋津乗換えで行くと1時間足らず。
2時間ほど話をして帰ってきたが、
結局は話を聞いてもらった感がある。
それでも顔を合わせて言葉を交わすことの大事さを痛切に感じた。
同居人は勤めに出ていて日中はお一人、
室内では動けても外出はままならなくなってきている、
そんな状況だけにふと人恋しくなられたのだろう。
相手の状況が見えない電話、
迷惑かもしれないと思っただけで
受話器に手を伸ばしながら引っ込めてしまう。
メールは便利だけれど、
年をとったらきっと満足できなくなるだろうし、
電話だけというのすらも寂しくなって
顔を合わせたくなるのだろう。
私にもそういう老後が目前に迫っている。
昨日はサプライズ訪問にとても喜んでいただけたけれど、
次に来られるのはいつのことやらと思いながら失礼した。
年配のご婦人からSOSの電話があった。
「お忙しいのはわかっているのでお声を聴くだけでいいの」
と、すぐ切ってしまわれた。
なんだかとても気になって彼女が住む国立へ出かけた。
秋津乗換えで行くと1時間足らず。
2時間ほど話をして帰ってきたが、
結局は話を聞いてもらった感がある。
それでも顔を合わせて言葉を交わすことの大事さを痛切に感じた。
同居人は勤めに出ていて日中はお一人、
室内では動けても外出はままならなくなってきている、
そんな状況だけにふと人恋しくなられたのだろう。
相手の状況が見えない電話、
迷惑かもしれないと思っただけで
受話器に手を伸ばしながら引っ込めてしまう。
メールは便利だけれど、
年をとったらきっと満足できなくなるだろうし、
電話だけというのすらも寂しくなって
顔を合わせたくなるのだろう。
私にもそういう老後が目前に迫っている。
昨日はサプライズ訪問にとても喜んでいただけたけれど、
次に来られるのはいつのことやらと思いながら失礼した。