今日は、冬至。
一年で最も日照時間が短い日。
今日、夕方に行きたい所がある。
おそらく、仕事で行けないだろうけど・・・。
それは、僕が暮らす町にあるとある山だ。
その山の山頂付近には、とてつもない巨石がある↓
この山の巨石に関することは、昨年のこの時期にもこのブログに書いた。
上記の写真の巨石は、真正面(という表現が適切かどうか分からないが)から見ると
写真のようなキレイな宝珠のような岩なのだが、横から見ると、真っ二つに割れていて
(しかも完全な垂直!つまり人工的な施工)、冬至の日は、その割れ目から日は昇り、
そして同じ割れ目に日は沈む↓
僕はずいぶん前にこのことを文献で知って、数年前から冬至前後の日には
それを確かめにこの山に登っていた。
初めてそれを肉眼で確認できた時は、太古の不思議と浪漫と自然の驚異に、
少なからず感動した。
その頃は、山は雑草と樹木が生い茂り、山頂に登るにはケモノ道のような山道を
歩かなくてはいけなかった。
しかし一昨年あたりに、地元の商工会が巨石の周囲の雑草や樹木を伐採し、
上記の写真のように、麓からも、また山頂からもその巨石が丸見えの状態になった。
おそらく、昨今のパワースポットブームの恩恵を受けようと思ったようだ。
パワースポットか・・・。
たしかにそういう場所はあるんだろうし、ここもいわゆるその類いかもしれないが、
正直言って、イヤな言葉だ。
何がイヤって、そこに行けば、自分が抱えるすべての問題が解決したり、うまく事が
運ぶような意味をその言葉に内包しているような気がする。
なんだか、他力本願の匂いがするのが、イヤなのだ。
それに、太古の遺跡や現代の科学では説明できない場所は、すべて一括りで「パワー
スポット」で片付けているような感じもする。
上記のこの巨石群を、太古の人々がそんなつもりで築いたとは到底思えない。
第一、そんな安易な気持ちでその場に行くのは、とんでもなく無礼な行為のように
僕は感じる。
時代が不況になると、こういう場所への興味や関心が高まる傾向があると聞いたことがある。
早く、“パワースポット”という言葉が死語になって、にわか歴史マニアがいなくなってくれる
事を望む。
にわか歴史マニア・・・僕も、その中にいたりして(爆)
一年で最も日照時間が短い日。
今日、夕方に行きたい所がある。
おそらく、仕事で行けないだろうけど・・・。
それは、僕が暮らす町にあるとある山だ。
その山の山頂付近には、とてつもない巨石がある↓
この山の巨石に関することは、昨年のこの時期にもこのブログに書いた。
上記の写真の巨石は、真正面(という表現が適切かどうか分からないが)から見ると
写真のようなキレイな宝珠のような岩なのだが、横から見ると、真っ二つに割れていて
(しかも完全な垂直!つまり人工的な施工)、冬至の日は、その割れ目から日は昇り、
そして同じ割れ目に日は沈む↓
僕はずいぶん前にこのことを文献で知って、数年前から冬至前後の日には
それを確かめにこの山に登っていた。
初めてそれを肉眼で確認できた時は、太古の不思議と浪漫と自然の驚異に、
少なからず感動した。
その頃は、山は雑草と樹木が生い茂り、山頂に登るにはケモノ道のような山道を
歩かなくてはいけなかった。
しかし一昨年あたりに、地元の商工会が巨石の周囲の雑草や樹木を伐採し、
上記の写真のように、麓からも、また山頂からもその巨石が丸見えの状態になった。
おそらく、昨今のパワースポットブームの恩恵を受けようと思ったようだ。
パワースポットか・・・。
たしかにそういう場所はあるんだろうし、ここもいわゆるその類いかもしれないが、
正直言って、イヤな言葉だ。
何がイヤって、そこに行けば、自分が抱えるすべての問題が解決したり、うまく事が
運ぶような意味をその言葉に内包しているような気がする。
なんだか、他力本願の匂いがするのが、イヤなのだ。
それに、太古の遺跡や現代の科学では説明できない場所は、すべて一括りで「パワー
スポット」で片付けているような感じもする。
上記のこの巨石群を、太古の人々がそんなつもりで築いたとは到底思えない。
第一、そんな安易な気持ちでその場に行くのは、とんでもなく無礼な行為のように
僕は感じる。
時代が不況になると、こういう場所への興味や関心が高まる傾向があると聞いたことがある。
早く、“パワースポット”という言葉が死語になって、にわか歴史マニアがいなくなってくれる
事を望む。
にわか歴史マニア・・・僕も、その中にいたりして(爆)