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りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

不器用な愛想笑い。

2012-05-29 | Weblog
昨日、用事があったので仕事の帰りに高校時代の友人に会った。

用事が済んだ後、そのまま他愛もない雑談をしていたのだが、友人が突然、こう言った。

「あ、そうだ、お前知ってるか?Mちゃん、亡くなったんだって」

はぁ?・・・こいつ、何言ってるんだ?
それが、ボクの胸に去来した素直な気持ちだった。
別にMちゃんのことを忘れていたわけでもないし、久しぶりに名前を聞いて驚いたわけでもないし、
ましてや、雑談のついでに人の生死に関わる話をされて憤慨したわけでもない。
ボクの中で“Mちゃん”という名前と“亡くなった”という言葉が、どうしても結びつかなかったのだ。

友人はそう言った後、ボクの顔をしばらくの間、不思議そうに眺めていた。
おそらく、その時のボクの顔からは、一切の表情がスッポリと抜け落ちていたのだと思う。

Mちゃんは、高校時代の同級生だった。

2年生と3年生の時に同じクラスになった。
顔が小さくて、髪の長い女の子だった。
ボクとMちゃんはごく普通のクラスメートだったのが、高校3年の卒業間際になって、なぜか急に
仲よくなった。
当時、1軒しかなかったレンタルレコード屋に一緒に行ったり、喫茶店で待ち合わせをしてお茶を
飲んだり。
バレンタインデーにアップルパイのようなクッキーとチョコの詰め合わせをボクにくれたのも、
たしか彼女だった。

3月下旬。
大学進学が決まり、広島にアパートを借りたボクは、生まれ育った実家を出ることになった。
明日いよいよ住み慣れた実家を出る、という日の夜遅く、家の電話が鳴った。
Mちゃんだった。
彼女は進学せずに、地元の会社に就職が決まっていた。
「明日電話しようかと思ったけど、たぶんバタバタしてるだろうと思って・・・」
開口一番、彼女はそんなことを口にした記憶がある。
その後、ボクとMちゃんは日付が変わる頃まで、長いこと話しこんだ。
だから18年間暮らした実家で、ボクが最後の最後に電話で話したのは、男友達でも先輩でも後輩でもなく、
Mちゃんだったのだ。

大学へ進学して実家を離れてからは、さすがに会うことはほとんどなくなったが、それでもたまに帰省した
時に会うことがあった。
あれは20歳の時だっただろうか。
夏休みに帰省したボクは、Mちゃんを含めた高校の同級生数人で飲みに行った。
そして何軒かハシゴをした後、どういう経緯でそうなったのか今ではまったく憶えていないが、ボクは
Mちゃんと2人でドライブへ出かけた。

クルマを東へ走らせ、となり街の福山の港にたどり着いた。
だだ広い駐車場にクルマを停めると、岸壁に腰掛けて、対岸に見えるオレンジ色に染まった不夜城の
ような製鉄所の光景を眺めながら話をした。
その時の話の中身は、今ではほとんど憶えていない。
たぶん、他愛もない話ばかりだったのだと思う。
でも、その時に彼女が口にした言葉で、今でもハッキリと憶えている言葉がひとつだけある。
それは彼女が勤めている会社の話をしていた時だったと思う。
ひととおり自分の会社や仕事の話をした後、まるで独り言を零すように、Mちゃんはこう言った。

「愛想笑いって、しちゃうんだよね・・・したくないけど」

当時、学生という身分にかこつけて、毎日ブラブラブラブラと怠惰な生活を繰り返し、思いっきり世間を
ナメ切っていたボクには、その言葉の意味がよく分からなかった。
しかし社会に出て20年が過ぎ、それなりに年齢を重ねた今では、その言葉の意味は痛いほどよく分かる。

30歳を少し過ぎた頃、仕事で市役所に行った。
正面玄関を入り、いつもならば見向きもしないで通り過ぎる受付のカウンターで、ボクの視線が止まった。
カウンターの向こうに、懐かしい顔があった。
そこに、Mちゃんがいた。
驚いた表情でボクが近づくと、周りに気遣うように小さく手を振り、嘱託で先月から働いているのだと、
小さな声で告げ、その後、ボクに向かってこう言った。

「結婚、したんだね」

彼女は超能力でもあるのか?と一瞬驚いたが、Mちゃんの視線の先を追うと、カウンターに置いたボクの
左手の薬指に行き着いた。

「まぁ、勢いっていうか・・・もう30も過ぎたし、子どももいるしね・・・」

なぜかボクは少し狼狽して、聞かれてもいないことまで喋ってしまった。
その後、挨拶もそこそこに、そそくさとその場を離れ、逃げるようにエレベータへと向かった。

それが、最後だった。

ボクが生まれ育ったこの街は、狭い。
そんな再会の後、Mちゃんの噂を耳にすることがあった。
Mちゃんは結婚して遠い町で暮らしていたそうだ。
だが30歳を迎える少し前に、元の名字に戻った・・・とのことだった。

それからまた、約10年の時間が過ぎた。

その間に、ボクは家庭を築き、仕事を続け、ささやかながらも自分なりの人生を創りながら、
気がつけば40代になり、そして昨日、友人からMちゃんの話を突然、聞いた。

彼女の死因が何だったのか、ボクは知らないし、知りたいとも思わない。
友人もそこまでは知らなかったし、彼自身も人づてに聞いた話だったので、そもそも、その話自体が
事実なのかどうかさえ、確証はなかった。

願わくば、嘘であって欲しい。
素直にそう思う。
近くでも遠くでもどこでもいいから、今日も誰かに向かって、不器用な愛想笑いをしていて欲しい。

でもその一方で、おそらくそれは事実なのだろうと、思っている自分もいる。
ハッキリとした確証は、ボクにもないが。
でもおそらく近いうちに、同じような噂が、全く別の方向から耳に入ってくるような気がしている。
だって、ボクが生まれ育ったこの街は、本当に本当に狭い町なのだから・・・。

Mちゃん、ありがとう。
さようなら。
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