昨日の昼下がり、娘を迎えにクルマで出かけた。
日曜日だというのに、娘は朝から塾の学力テストだった。
彼女の受験勉強も、佳境に入ってきた。
今回のテストが最後の学力テストになるそうで、もうこれ以降は、第一志望の高校受験が終わるまで自身の学力を確かめるテストはないらしい。
塾へ向かう途中、交差点の信号待ちに時間を食われた。
真冬であっても、日曜日の午後だ。
買い物なのかレジャーなのか分からないが、交差点付近は、家族で外出途中のようなファミリーカーたちでちょっとした渋滞を起こしていた。
少しイライラしはじめたワタシの視界に、ある光景が映った。
それは、反対側の歩道で信号待ちをしている二人の中年男の姿だった。
一人は痩せ型。一人はぽっちゃりした体型の男だった。
友人同士なのか、兄弟なのか、上司と部下なのか、それとも“ただならぬ関係”なのか、そんなことはもちろん分からない。
でも、付かず離れずの距離間で同じように信号待ちをしているということは、たぶん顔見知りなのだろう。
あれが・・・。
ふと、思った。
・・・あれが、湯川さんと後藤さんだったら、よかったのに。
フロントガラス越しに目にした二人の男の姿に、ワタシはそう思った。
“実は、私たちはシリアには行ってなくて、瀬戸内の小さな街でボケーとしてましたぁ~”
もしもそんな記者会見をしてしまったら、とんでもないことになっていただろう。
昨年のゴーストライターやSTAP細胞や号泣県議どころではない。
国民すべてが不安と恐怖に包まれて、心の底から心配していたのだ。
一億総バッシングの嵐になってもやむ得ない。
きっと、二人は、二度と以前のような生活も仕事もできなくなる。
地位も名誉も何もかも失って、世間の隅の隅の隅で隠れるように残りの人生を過ごさなくてはいけなくなるだろう。
それでも、いい。
生きているのなら。
無事に生きていて、これからも生きてゆけるのなら、それだけでいいじゃないか。
渋滞に巻き込まれたおかげで、塾に5分遅刻した。
娘は、助手席に乗り込むと、開口一番“ダメだぁ~!”と、上半身を丸めて頭を抱えた。
話を聞くと、日本史で撃沈したらしい。
彼女曰く、鎌倉時代と室町時代はあまりにも似ていて、いまだに理解が難しいそうだ。
しかし、その言葉とは裏腹に、あまり深刻な空気は伴っていなかったので、ワタシは娘の後頭部を軽く小突いて、再びクルマを動かした。
生きているのだ、娘は。
家路を辿るクルマを走らせながら、素直にそう思った。
現状に悩んだり、迷ったり、困っているということは、この先も生きていきたい証しなのだ。
そして、そんな娘と接して“こいつ、このままで本当に受験、大丈夫か?”と、ワタシが少し不安になっているのも、この先も生きていきたいと思っている証しなのだろう。
ワタシは、そんな当たり前のことを、彼の地で散った二人から、あらためて教わったような気がしている。
湯川遥菜さんと後藤堅次さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
日曜日だというのに、娘は朝から塾の学力テストだった。
彼女の受験勉強も、佳境に入ってきた。
今回のテストが最後の学力テストになるそうで、もうこれ以降は、第一志望の高校受験が終わるまで自身の学力を確かめるテストはないらしい。
塾へ向かう途中、交差点の信号待ちに時間を食われた。
真冬であっても、日曜日の午後だ。
買い物なのかレジャーなのか分からないが、交差点付近は、家族で外出途中のようなファミリーカーたちでちょっとした渋滞を起こしていた。
少しイライラしはじめたワタシの視界に、ある光景が映った。
それは、反対側の歩道で信号待ちをしている二人の中年男の姿だった。
一人は痩せ型。一人はぽっちゃりした体型の男だった。
友人同士なのか、兄弟なのか、上司と部下なのか、それとも“ただならぬ関係”なのか、そんなことはもちろん分からない。
でも、付かず離れずの距離間で同じように信号待ちをしているということは、たぶん顔見知りなのだろう。
あれが・・・。
ふと、思った。
・・・あれが、湯川さんと後藤さんだったら、よかったのに。
フロントガラス越しに目にした二人の男の姿に、ワタシはそう思った。
“実は、私たちはシリアには行ってなくて、瀬戸内の小さな街でボケーとしてましたぁ~”
もしもそんな記者会見をしてしまったら、とんでもないことになっていただろう。
昨年のゴーストライターやSTAP細胞や号泣県議どころではない。
国民すべてが不安と恐怖に包まれて、心の底から心配していたのだ。
一億総バッシングの嵐になってもやむ得ない。
きっと、二人は、二度と以前のような生活も仕事もできなくなる。
地位も名誉も何もかも失って、世間の隅の隅の隅で隠れるように残りの人生を過ごさなくてはいけなくなるだろう。
それでも、いい。
生きているのなら。
無事に生きていて、これからも生きてゆけるのなら、それだけでいいじゃないか。
渋滞に巻き込まれたおかげで、塾に5分遅刻した。
娘は、助手席に乗り込むと、開口一番“ダメだぁ~!”と、上半身を丸めて頭を抱えた。
話を聞くと、日本史で撃沈したらしい。
彼女曰く、鎌倉時代と室町時代はあまりにも似ていて、いまだに理解が難しいそうだ。
しかし、その言葉とは裏腹に、あまり深刻な空気は伴っていなかったので、ワタシは娘の後頭部を軽く小突いて、再びクルマを動かした。
生きているのだ、娘は。
家路を辿るクルマを走らせながら、素直にそう思った。
現状に悩んだり、迷ったり、困っているということは、この先も生きていきたい証しなのだ。
そして、そんな娘と接して“こいつ、このままで本当に受験、大丈夫か?”と、ワタシが少し不安になっているのも、この先も生きていきたいと思っている証しなのだろう。
ワタシは、そんな当たり前のことを、彼の地で散った二人から、あらためて教わったような気がしている。
湯川遥菜さんと後藤堅次さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。