11.予定外の南武線駅取材-南多摩と谷保
朝、早めに支度して家を出たため、
前倒しで予定をこなしていた。
稲城長沼で再入場し、下り立川行きを待つ。
予定では10:30稲城長沼発で立川に行き、
中央快速線で八王子まで行くことにしていた。
ここで11:00a.m.開店のラーメン店に行くことにしており、
早すぎると八王子での食事の予定も狂ってしまう。
乗り込んだ立川行きは09:54で、予定より36分早い。
そこで予定にはなかったが、
隣の南多摩で下車し、駅取材することにした。
JR南多摩駅は島式1面2線の高架ホームを有する南武線の駅である。
1番線は下り立川方面、2番線は上り川崎方面が使用する。
画像は北口で、高架下に駅機能が集約されている。
南武鉄道が1927年11月1日に延伸した時、終着駅として開業した。
開業時の駅名は大丸で、現在地より300mほど川崎寄りにあった。
大丸は1931年に多摩聖蹟口場に改称、
1934年10月21日に開業した南多摩川貨物駅を、
1939年9月14日に多摩聖蹟口が併合し、
現在地に移転して南多摩駅に改称した。
駅前には稲城市の「大河原邦男プロジェクト」の一環として、
「ヤッターマン」に出てくるメカのヤッターワンが設置されていた。
さすがに実物大というわけにはいかなかったが、
リアルアニメとは逆のタツノコプロのゆるいアニメのデザインが設置されていた。
ヤッターワン
偶然見つけたこれを取材し、南口を取材して再入場する。
まだ時間があるため、未取材の谷保でも下車する。
JR谷保駅は、相対式2面2線の地上ホームを有する南武線の駅である。
1番線は下り立川方面、2番線は上り川崎方面が使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。
南武鉄道が1928年12月11日に屋敷分(現・分倍河原)まで延伸した時、
この時、谷保も同時に開業した。
1979年に橋上駅舎化されるまでは、
南口側にのみ駅舎があった。
現在の駅所在地名は東京都国立市大字谷保字御経塚だが、
開業当時は谷保村だったため、この駅名になった。
谷保とは「湿地帯の多い台地」の意で、この近辺では稲作が盛んだった。
鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があった。
もともとの読みは「やぼ」と読まれていたが、
南武鉄道開通時に「やぼ」が「野暮」に聞こえるのを嫌って、
「やほ」と名付けたといわれている。
谷保で再入場し、10:35の立川行きに乗り込む。
これは元来の予定のダイヤより1本速い電車である。