15.太宰府は春、いずれにしても春
14:22発の特急で西鉄二日市まで行き、ここから太宰府線に乗り換える。
西鉄太宰府線は中間に一駅がある2.4kmの短い路線で、
路線名通り、太宰府天満宮へのアクセスのために敷設された路線である。
駅前を右に折れると太宰府天満宮への参道が広がる。

駅前には菅原道真の有名な句碑が建てられている。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ

菅原道真が太宰府に“左遷”される時に庭の梅を見て詠んだとされる句で、
道真が九州に旅立ってから枝葉が枯れて、
ついには一晩のうちに太宰府まで飛んでいったという“飛梅”伝説の元となった句である。
参道には有名な梅ヶ枝餅の店が軒を並べている。
突き当たりを左に折れるといよいよ太宰府天満宮の境内に至る。

鳥居は花崗岩で造られた鎌倉期のものとされている。
その先には形が漢字の“心”に似ていることから“心字池”と呼ばれる池があり、
そこには3つの橋が架けられている。

一つ目の太鼓橋は“過去”、二つ目の平橋が“現在”、
そして三つ目の太鼓橋が“未来”を顕すという。
さだまさし氏の名曲「飛梅」もこの橋をモデルに別れ話を謳っており、
この曲の入った「風見鶏」というアルバムも持っていたので、
このことは改めて境内の解説を見なくても知っていた。
そしていよいよ本殿である。

菅原道真の墓所とされ、創建は延喜5年、西暦に換算すると905年とされる。
延喜19年、西暦919年に醍醐天皇の勅命により社殿として造営、
その後の戦乱で何度か失火したが、筑前国主の小早川隆景が5年をかけて造営、
天正19年、西暦1591年に現在の姿として誕生したという。
14:22発の特急で西鉄二日市まで行き、ここから太宰府線に乗り換える。
西鉄太宰府線は中間に一駅がある2.4kmの短い路線で、
路線名通り、太宰府天満宮へのアクセスのために敷設された路線である。
駅前を右に折れると太宰府天満宮への参道が広がる。

駅前には菅原道真の有名な句碑が建てられている。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ

菅原道真が太宰府に“左遷”される時に庭の梅を見て詠んだとされる句で、
道真が九州に旅立ってから枝葉が枯れて、
ついには一晩のうちに太宰府まで飛んでいったという“飛梅”伝説の元となった句である。
参道には有名な梅ヶ枝餅の店が軒を並べている。
突き当たりを左に折れるといよいよ太宰府天満宮の境内に至る。

鳥居は花崗岩で造られた鎌倉期のものとされている。
その先には形が漢字の“心”に似ていることから“心字池”と呼ばれる池があり、
そこには3つの橋が架けられている。

一つ目の太鼓橋は“過去”、二つ目の平橋が“現在”、
そして三つ目の太鼓橋が“未来”を顕すという。
さだまさし氏の名曲「飛梅」もこの橋をモデルに別れ話を謳っており、
この曲の入った「風見鶏」というアルバムも持っていたので、
このことは改めて境内の解説を見なくても知っていた。
そしていよいよ本殿である。

菅原道真の墓所とされ、創建は延喜5年、西暦に換算すると905年とされる。
延喜19年、西暦919年に醍醐天皇の勅命により社殿として造営、
その後の戦乱で何度か失火したが、筑前国主の小早川隆景が5年をかけて造営、
天正19年、西暦1591年に現在の姿として誕生したという。