10.松浦鉄道前線取材と普通鉄道最西端の駅
松浦鉄道は国鉄特定地方交通線であった松浦線を引き継ぎ、
1987年12月10日に設立された第三セクター鉄道である。
松浦線は有田から吉井間が伊万里鉄道によって敷設され、
佐世保から吉井までが佐世保鉄道によって敷設された。
伊万里鉄道は1898年8月7日に有田から伊万里までを開業させたが、
同年12月28日に九州鉄道に合併された。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道が国有化され、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称制定によって伊万里線となる。
1930年3月21日には楠久まで延伸、10月1日には今福まで延伸、
1933年6月25日には志佐(現・松浦)まで延伸、
1935年8月6日には 平戸口(現・たびら平戸口)まで延伸、
1933年1月25日には潜竜(現・潜竜ヶ滝)まで延伸、
そして戦時中の1944年4月13日に肥前吉井(現・吉井)まで延伸開業した。
一方、佐世保軽便鉄道は石炭の運搬のため、
1920年3月27日に相浦から大野(現・左石)を経て柚木までを開業させた。
1921年10月17日には大野から上佐世保まで延伸した。
佐世保軽便鉄道は1923年12月26日に佐世保鉄道に社名を変更した。
1931年8月29日には実盛谷から四ツ指(のちの四ツ井樋)を経て臼ノ浦までを開業、
同年12月27日には四ツ指から佐々までを延伸、
1933年10月24日に岡本彦馬専用鉄道を買収、佐々から吉井を経て世知原までを延伸した。
1936年10月1日に佐世保鉄道全線が国有化され、松浦線となった。
軽便鉄道として開通していたため、狭軌に改軌が行われ、
1935年11月9日には北佐世保から佐世保までを延伸、
1943年8月30日には上佐世保から左石までを廃止、実盛谷から相浦までを廃止した。
1945年3月1日に肥前吉井-世知原間を世知原線、佐々-臼ノ浦間を臼ノ浦線、
左石-柚木間を柚木線として分離し、松浦線は有田-伊万里-佐世保間とした。
1984年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止が承認され、第三セクター鉄道への転換が決定した。
1987年4月1日には国鉄分割民営化によってJR九州に継承、
1988年4月1日に松浦鉄道に転換、路線名を松浦線から西九州線に変更した。
西九州線の路線は有田から佐世保までの93.8kmである。
今回は佐世保から有田に向かって旅をする。
松浦鉄道の入口から入って早速九州満喫きっぷの1回(人)に検印を貰う。
しかし松浦鉄道に日付入りスタンプがなかったらしく、
JRとの連絡口の窓口からJR佐世保駅の検印を持ってきて、これで検印して貰う。
何はともあれ、1回(人)に「佐世保駅 5.22 九 ありがとうございます」の印が押された。
松浦鉄道佐世保駅の待合スペースには会社のキャラクター“マックスくん”が設置されていた。
しかもここからはMR-400形が充当されていた。
松浦鉄道は23両の両運転台気動車を保有しているが、
その内訳はイベント対応車のMR-500形「レトロン号」1両と普通車両のMR-600形21両である。
唯一の旧型車両がこのMR400形401で1998年製である。
さい先のいいスタートで、これにのってまずは佐々を目指す。
車中ではトランドール佐世保駅店」で買った菓子パンと自販で購入したお茶で遅ればせの朝食である。
09:56に佐世保を出発した松浦鉄道西九州線上り列車は42分で佐々に到着する。
佐々駅は松浦鉄道の車両基地も兼ねている場所で留置車両の取材も出来た。
予定ではこのひとつあとの列車が11:09に佐々を出発するので、
31分時間をかけて佐々駅を取材することになっていた。
しかし少し時間を持て余していたところに、10:56始発列車の設定があった。
車内の時刻表で調べてみたところ、隣の小浦に到着が10:59で、
11:04に小浦を出て予定通りの11:07佐々着11:09佐々発となる。
そこで急遽、この列車でひとつ隣の小浦も取材した。
小浦からそのまま佐々を通り過ぎ、11:45たびら片戸口で下車する。
ここは松浦鉄道で、・・・というより日本の普通鉄道で最も西にある駅である。
モノレールのゆいレールが出来たため、全ての鉄道事業となると話は違ってくるのだが、
2本の線路の上を走る普通鉄道に限定すれば、日本最西端の駅である。
これにて最北端のJR宗谷本線稚内駅、最南端の指宿枕崎線西大山駅、
そして最東端の根室本線東根室駅に次いで最西端の駅にも下車したことになる。
この駅には謎のオブジェがあった。
ここでの乗り換え時間はちょうど1時間確保してあり、
その間に徒歩で平戸瀬戸市場まで行き、昼食を喰う。
また徒歩でたびら片戸口駅まで戻り、12:48発の列車で伊万里まで行く。
1時間7分かけて13:55に伊万里まで到着する。
本来なら伊万里から筑肥線に乗って唐津経由で博多に戻るべきだが、
ちょうどこの時間は13:19の次は16:23まで列車がない。
そこで今日中に松浦鉄道完乗を完成し、有田まで行くことになったのだ。
松浦鉄道伊万里駅はスイッチバック構造となっており、
基本的に佐世保からと有田からの路線は別系統扱いとなっている。
9分の乗り換え時間で有田を目指す。
松浦鉄道は国鉄特定地方交通線であった松浦線を引き継ぎ、
1987年12月10日に設立された第三セクター鉄道である。
松浦線は有田から吉井間が伊万里鉄道によって敷設され、
佐世保から吉井までが佐世保鉄道によって敷設された。
伊万里鉄道は1898年8月7日に有田から伊万里までを開業させたが、
同年12月28日に九州鉄道に合併された。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道が国有化され、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称制定によって伊万里線となる。
1930年3月21日には楠久まで延伸、10月1日には今福まで延伸、
1933年6月25日には志佐(現・松浦)まで延伸、
1935年8月6日には 平戸口(現・たびら平戸口)まで延伸、
1933年1月25日には潜竜(現・潜竜ヶ滝)まで延伸、
そして戦時中の1944年4月13日に肥前吉井(現・吉井)まで延伸開業した。
一方、佐世保軽便鉄道は石炭の運搬のため、
1920年3月27日に相浦から大野(現・左石)を経て柚木までを開業させた。
1921年10月17日には大野から上佐世保まで延伸した。
佐世保軽便鉄道は1923年12月26日に佐世保鉄道に社名を変更した。
1931年8月29日には実盛谷から四ツ指(のちの四ツ井樋)を経て臼ノ浦までを開業、
同年12月27日には四ツ指から佐々までを延伸、
1933年10月24日に岡本彦馬専用鉄道を買収、佐々から吉井を経て世知原までを延伸した。
1936年10月1日に佐世保鉄道全線が国有化され、松浦線となった。
軽便鉄道として開通していたため、狭軌に改軌が行われ、
1935年11月9日には北佐世保から佐世保までを延伸、
1943年8月30日には上佐世保から左石までを廃止、実盛谷から相浦までを廃止した。
1945年3月1日に肥前吉井-世知原間を世知原線、佐々-臼ノ浦間を臼ノ浦線、
左石-柚木間を柚木線として分離し、松浦線は有田-伊万里-佐世保間とした。
1984年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止が承認され、第三セクター鉄道への転換が決定した。
1987年4月1日には国鉄分割民営化によってJR九州に継承、
1988年4月1日に松浦鉄道に転換、路線名を松浦線から西九州線に変更した。
西九州線の路線は有田から佐世保までの93.8kmである。
今回は佐世保から有田に向かって旅をする。
松浦鉄道の入口から入って早速九州満喫きっぷの1回(人)に検印を貰う。
しかし松浦鉄道に日付入りスタンプがなかったらしく、
JRとの連絡口の窓口からJR佐世保駅の検印を持ってきて、これで検印して貰う。
何はともあれ、1回(人)に「佐世保駅 5.22 九 ありがとうございます」の印が押された。
松浦鉄道佐世保駅の待合スペースには会社のキャラクター“マックスくん”が設置されていた。
しかもここからはMR-400形が充当されていた。
松浦鉄道は23両の両運転台気動車を保有しているが、
その内訳はイベント対応車のMR-500形「レトロン号」1両と普通車両のMR-600形21両である。
唯一の旧型車両がこのMR400形401で1998年製である。
さい先のいいスタートで、これにのってまずは佐々を目指す。
車中ではトランドール佐世保駅店」で買った菓子パンと自販で購入したお茶で遅ればせの朝食である。
09:56に佐世保を出発した松浦鉄道西九州線上り列車は42分で佐々に到着する。
佐々駅は松浦鉄道の車両基地も兼ねている場所で留置車両の取材も出来た。
予定ではこのひとつあとの列車が11:09に佐々を出発するので、
31分時間をかけて佐々駅を取材することになっていた。
しかし少し時間を持て余していたところに、10:56始発列車の設定があった。
車内の時刻表で調べてみたところ、隣の小浦に到着が10:59で、
11:04に小浦を出て予定通りの11:07佐々着11:09佐々発となる。
そこで急遽、この列車でひとつ隣の小浦も取材した。
小浦からそのまま佐々を通り過ぎ、11:45たびら片戸口で下車する。
ここは松浦鉄道で、・・・というより日本の普通鉄道で最も西にある駅である。
モノレールのゆいレールが出来たため、全ての鉄道事業となると話は違ってくるのだが、
2本の線路の上を走る普通鉄道に限定すれば、日本最西端の駅である。
これにて最北端のJR宗谷本線稚内駅、最南端の指宿枕崎線西大山駅、
そして最東端の根室本線東根室駅に次いで最西端の駅にも下車したことになる。
この駅には謎のオブジェがあった。
ここでの乗り換え時間はちょうど1時間確保してあり、
その間に徒歩で平戸瀬戸市場まで行き、昼食を喰う。
また徒歩でたびら片戸口駅まで戻り、12:48発の列車で伊万里まで行く。
1時間7分かけて13:55に伊万里まで到着する。
本来なら伊万里から筑肥線に乗って唐津経由で博多に戻るべきだが、
ちょうどこの時間は13:19の次は16:23まで列車がない。
そこで今日中に松浦鉄道完乗を完成し、有田まで行くことになったのだ。
松浦鉄道伊万里駅はスイッチバック構造となっており、
基本的に佐世保からと有田からの路線は別系統扱いとなっている。
9分の乗り換え時間で有田を目指す。