2.美祢線と山口線の旅の企画
美祢線は山陽本線厚狭から山陰本線長門市に至る46.0kmの非電化単線の路線である。
厚狭から南大嶺と現在は廃止になった南大嶺から大嶺までは、
大嶺炭田で産出される石炭の運搬のために山陽鉄道が敷設した区間で、
1905年9月13日に全通した。
翌年、1906年12月1日に山陽鉄道が国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で大嶺線となった。
一方、南大嶺から重安までは1916年9月15日に美祢軽便鉄道によって敷設された。
美祢軽便鉄道は1920年6月1日に国有化され、美禰軽便線となる。
同年10月30日には重安から於福までの区間が延伸した。
しかし軽便線の呼称廃止により1922年9月2日に美禰線となった。
1924年3月23日に於福から正明市(現・長門市)まで延伸、
この時の延伸区間と大嶺線が美禰線に編入され、全通した。
美禰線は1963年10月1日に美祢線の表記に変わった。
山口線は山陽本線新山口から山陰本線益田に至る93.9kmの非電化単線の路線である。
鉄道院によって陰陽連絡線として計画された路線で、
1913年2月20日に小郡(現・新山口)から山口までが部分開業した。
この区間は大日本軌道山口支社によって軽便鉄道が運行されていたが、
山口線の部分開業の前日に廃止された。
その後も延伸が続き1917年7月1日に篠目まで延伸、
1918年4月28日に三谷まで延伸、同年11月3日に徳佐まで延伸、
1922年8月5日に津和野まで延伸された。
翌年の1923年4月1日に石見益田駅(現・益田)まで延伸され全通した。
山口線は新山口から津和野までの「SLやまぐち号」の運行も特筆で、
山陽新幹線新山口が開業した4年後、1979年8月より運行が開始された。
2018年の青春18きっぷの旅は土日の1泊2日を3回実行することにして、
会社の土曜日直などの予定なども考慮して、
7月21日土曜日から1泊2日に美祢線と山口線の旅、
8月4日土曜日から1泊2日に京都鉄道博物館と丹鉄の旅、
8月25日土曜日から1泊2日で長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を予定することにした。
青春18きっぷの利用開始の最初の週末である7月21日土曜日から、
最初の青春18きっぷの旅行は山口線と美祢線の旅を企画した。
7月21日土曜日は東海道・山陽新幹線「のぞみ3号」で新山口まで行き、
昼食後に山陽本線で厚狭に出て美祢線を全区間乗り潰しする。
そのあと山陰本線で駅取材しながら益田まで行き、
夕食後に去年利用した益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。
22日日曜日にホテルのバイキングで朝食後にチェックアウト、
山口線で新山口まで乗り潰し、山陽本線で徳山、岩徳線で岩国に出る。
昼食後に錦川鉄道を喰いながら往復して乗り潰し、
帰りは岩国まで戻らず清流新岩国で下車して、
徒歩圏内の新岩国まで行って山陽新幹線「こだま750号」で広島まで移動、
東海道・山陽新幹線「のぞみ52号」で帰京する。