1.小田急電鉄の歴史-設立と大東急時代と戦後の顛末
小田急電鉄は1923年5月1日に小田原急行鉄道の名で設立された。
鬼怒川水力電気を経営する利光鶴松氏によって計画された、
利光鶴松氏は郊外鉄道の将来性に着目して東京市内の地下鉄網の東京高速鉄道、
山手線を外周する東京山手急行電鉄、城西地区の開発を目的とした渋谷急行電鉄など、
新たな鉄道を計画したが、実現したのは小田原急行電鉄と渋谷急行電鉄だけだった。
小田原急行の本線格である小田原線は1927年4月1日に全線が開業した。
1929年4月1日には江ノ島線が全線開業した。
1940年5月1日には帝都電鉄を合併し、帝都線とした。
帝都線は山手線外部に第二環状線を形成する計画の東京山手急行電鉄が、
昭和恐慌により計画を頓挫、渋谷から 吉祥寺の路線敷設を計画していた渋谷急行電鉄と合併、
社名を東京郊外鉄道と改称して山手線第二環状線の建設を目指したが、
収益性の高い旧渋谷急行電鉄の路線の建設を優先することにして、
社名を帝都電鉄と改め、1933年8月1日に渋谷から井の頭公園の区間が部分開業、
1934年4月1日に井の頭から吉祥寺まで延伸して全通した。
東京山手急行電鉄が所有していた免許は実現することなく失効した。
小田原急行電鉄の親会社である怒川水力電気が電力の国家管理への移行のため、
日本発送電への統合することになり、鬼怒川水力電気は小田原急行電鉄を合併、
社名を小田急電鉄に変更して鉄道事業に業態を変更した。
しかし中国・山東半島での鉱業への進出失敗などにより経営が悪化、
五島慶太の東京横浜電鉄に事業を譲渡することになった。
戦時中の1942年5月1日に陸上交通事業調整法の趣旨に則り、
京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、同社は社名を東京急行電鉄に変更した。
1944年5月31日には京王電気軌道も東京急行電鉄に統合された。
戦後、1948年6月1日に陸上交通事業調整法の趣旨により合併した、
京王帝都電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄が分離されることになった。
分離に際して東京急行電鉄系列下であった箱根登山鉄道を小田急が渇望し、
その傘下入れる代償として井の頭線を分離し、
経営基盤が脆弱であった京王に組み入れることとなった。
そのため、京王は井の頭線の旧経営会社である帝都電鉄の名を復活させ、京王帝都電鉄とした。
1998年7月1日、会社設立50周年を機に京王電鉄に社名変更した。
1950年8月1日には箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本までの乗り入れを開始、
翌年には1700形がロマンスカーの愛称を使用して運行され、
1957年6月22日には3000形がロマンスカー“SE”として登場、
特急専用車両による本格的な運行が開始された。
優等列車である小田急ロマンスカーは私鉄有料特急の中でも観光特化の列車として有名である。