3.小田急小田原線とJR御殿場線の渡り線の歴史
小田急電鉄新宿駅を発着する特急ロマンスカーは、
箱根湯本行だけではなく、片瀬江ノ島や御殿場にも乗り入れている。
その中で、御殿場行きの「ふじさん」は、
JR御殿場線に乗り入れて御殿場までを結ぶ。
小田急小田原線とJR古田馬仙との渡り線が設置されているのが、
両鉄道線が交差する松田駅である。
新宿発の列車はJR小田原線をアンダーパスして新松田に着くが、
特急「ふじさん」は交差の直前に分岐して、
渡り線を渡ってJR御殿場線に入り、そのまま松田駅に停車する。
この駅で乗務員が交代して御殿場まで行くのだ。
JR御殿場線はもともと東海道本線として敷設された路線である。
現在の東海道本線のルートは山岳地帯を通過するため、
当時の技術では建設が困難とされ、公図から御殿場を経由して沼津に至る、
現在の御殿場線のルートで建設された。
東京から大阪を結ぶ官設鉄道として、
御殿場経由のルートの開通は1889年2月1日である。
小田急小田原線は1927年4月1日に全線が開業した。
この時は勿論、両鉄道線に渡り線は設置されていなかった。
昭和になって丹那トンネルが開削され、熱海経由の新ルートが完成すると、
新ルートが東海道本線となり、御殿場経由のルートは支線に格下げされた。
国府津から御殿場経由で沼津に至る区間は御殿場線と命名された。
戦時中、小田急は東急に合併していたが、
この時代に軍部から松田駅に御殿場線との連絡線設置が要望された。
海に近い熱海ルートが艦砲射撃などで不通になった場合、
御殿場線経由で小田急小田原線から、
新宿に乗り入れる代替ルートを確保するためだった。
用地買収や橋脚工事などが進んでいたが、
連絡線は完成することなく終戦を迎えた。
戦後、東急から独立した小田急は未成線だったこの渡り線を完成させ、
1955年10月1日から御殿場線への乗り入れを開始した。
当時は御殿場線が非電化のため、乗り入れ車両も高出力気動車を、
準急として運行するにとどまっていた。
しかし1968年4月27日に国府津から御殿場間が電化、
同時に渡り線も電化されたため、
同年7月1日から3000形SSEの電車特急の運行が開始された。
ロマンスカー「あさぎり」の誕生である。
1987年4月1日の国鉄分割民営化で、
御殿場線はJR東海に継承された。
小田急も経年劣化の3000形SEの置き換えを検討しており、
JR東海と協議して乗り入れ区間を沼津まで延伸、
小田急は20000形RSE2編成を新造、
JR東海も371系1編成を新造、この3本を「あさぎり」として運用、
1991年3月16日より相互乗り入れという形が完成した。
しかし利用者の低迷などもあり、経年劣化のRSEと371系は、
2012年3月17日のダイヤ改正を以て運用離脱、
再び小田急の片乗り入れとなり、運行区間も御殿場までに短縮された。
使用車両は60000形MSEとなり、愛称も「ふじさん」に変更された。