12.五百羅漢駅と伊豆箱根鉄道大雄山線への乗車
足柄から事前にプリントアウトしておいた地図を見ながら、
伊豆箱根鉄道五百羅漢駅を目指す。
踏切に向かって歩いていると、踏切通過の電車が見えた。
五百羅漢駅は上下線のすれ違い機能を有した駅でもある。
終点の小田原も頭端方式を採用した島式で、折り返す方式だが、
発車調整するために隣の駅ですれ違いした方が、
スムーズなダイヤに出来るのだろう。
伊豆箱根鉄道五百羅漢駅は名前から、
駅舎のない瀟洒な無人駅を想像していたのだが、
実際はマンションの1階部分に駅舎機能を有した、
地方都市の比較的人口集中している場所に多い駅の雰囲気であった。
変わった駅名だが、これは足柄から歩いている途中にあった、
玉宝寺にある五百羅漢像に由来している。
羅漢とは仏教で尊敬される僧のことで、
仏陀に常時付き添った弟子の数が500人であったとされ、
五百羅漢像が彫られ、安置する寺院が全国にある。
玉宝寺もそのひとつなのであろう。
予定ではこのあと再び足柄まで歩いて戻り、
小田急小田原線の駅取材を再開することにしていたが、
再び足柄まで歩いて戻る気力が失せ、大雄山線で小田原まで戻ることにした。
Suicaで入場してホームに上がっていくと、遠くに小田急の高架が見えた。
伊豆箱根鉄道大雄山線は五百羅漢を出ると、
小田急小田原線をアンダーパスして大雄山に向かって線路を延ばす。
伊豆箱根鉄道は西武鉄道の系列会社で、
箱根地区と伊豆地区において鉄道路線と遊覧船を運営をしている。
現在の駿豆線を敷設したのは1893年5月に設立された豆相鉄道で、
1898年5月20日に部分開業、1924年8月1日に全通した。
一方、大雄山線を敷設したのは1922年6月2日に設立された大雄山鉄道で、
1925年10月15日に大雄山線は開通した。
1907年7月19日に伊豆鉄道が豆相鉄道の事業を継承、豆相鉄道は解散、
1912年4月1日駿豆電気鉄道が伊豆鉄道の事業を買収、
1916年10月5日に駿豆電気鉄道は富士水力電気に合併した。
1916年12月7日に設立された駿豆鉄道が富士水力電気から鉄道、軌道事業を譲渡、
1923年には現在の西武鉄道の礎となった箱根土地(後のコクド、現・プリンスホテル)の傘下となる。
1933年には大雄山鉄道も箱根土地の傘下となり、
1941年8月23日に駿豆鉄道が大雄山鉄道を合併し、
1957年6月1日に伊豆箱根鉄道に社名を変更した。
乗り込んだ5000系は自社発注した大雄山線専用車両で、
駿豆線3000系をモデルに設計されている。
1984年から1996年にかけて製造され、
急曲線対応のために18m級、3両編成×7本=21両が東急車輛製造で落成した。
これで小田原まで戻り、Suicaで出場、そのまま小田急の改札に向かう。