ここからの予定は決めていなかったが、いくつかの候補は考えた。
※東京メトロ日比谷線中目黒駅で車両取材
※東京メトロ千代田線代々木上原駅で車両取材
※埼京線浮間舟渡駅でE233系7000番台取材
※東京メトロ副都心線和光市駅で車両取材
※都電荒川線荒川車庫前電停で車両取材
※総武線中野駅で東京メトロ15000系取材
品川から山手線ホームに行ってみて、
恵比寿方面より上野方面の方が空いていたので、まずは内回りに乗り込む。
そこで大塚まで行き都電荒川線に接続しようと思ったが、
上野まで行って日比谷線が接続していることを思い出し、
日比谷線に乗り換えて中目黒を目指す。
その途中で何時か地下鉄博物館に行こうと思いながら、
なかなか行く機会が見つけられなかったことを思い出し、
茅場町で東西線に乗り換える。
しかしここで乗り換えたのが快速だった。
ケータイで地下鉄博物館の場所を調べたら葛西駅に併設されていた。
葛西は快速が停車しないためにいったん浦安まで行く。
浦安は地上駅なのでまずはここで下車して駅取材する。
各駅停車の中野方面に乗り換えて葛西に行く。
葛西駅は東西線の高架区間にあり、高架下を利用して地下鉄博物館がある。
入館料は210円で、PASMOも利用可能だ。
きっぷタイプの入館券を購入し、改札ブースにいる係員が改札鋏を入れてくれる。
さすがは鉄道関係の博物館だけあって考えられた演出である。
一番最初に早川徳次氏の銅像がある。
早川徳次氏は“地下鉄の父”と呼ばれる日本に最初に地下鉄を敷設することを唱えた人物である。
ヨーロッパ視察で地下鉄の存在を知った早川徳次は地質調査や交通量調査を実施、
その必要性を説いて廻り、東京地下鉄道を創設して、
1927年に日本で最初の地下鉄を上野と浅草の間で開業させた。
その後新橋から渋谷の間を開業させた東京高速鉄道と1941年に統合、帝都高速度交通営団となった。
戦時体制維持のための営団は戦後GHQによって解体されていったが、
帝都高速度交通営団は解体を免れ、2004年に民営化されて東京地下鉄になるまで続いた。
鉄道博物館の目玉は丸ノ内線で活躍した300形301号車、
東京地下鉄道銀座線1000形1001号車
、東京高速鉄道100形129号車のカットモデルの実車の所蔵である。
そのほかの収蔵品も堪能して、葛西で駅取材してから地下鉄東西線で中野まで行く。
以前に中野駅に来た時に北口の様相が変わっていたのでこれを駅取材、
東京メトロ15000系が来るのを待ってこれの車両取材する。
総武緩行線で新宿まで行き、埼京線で浮間舟渡まで行く。
ここではE233系7000番台を狙うが、
この区間は埼京線と平行して東北新幹線の線路も走っていて、
長野新幹線E7系も撮影できた。
埼京線の赤羽から大宮の区間は、新幹線建設に反対していた地元住民にて対し、
建設の見返りに並行して建設された在来線で、
そのために東北新幹線と並行して設置されている。
既存の赤羽線や山手貨物線と接続して今の埼京線が完成、
大宮以北は川越線、大崎以南はりんかい線にも相互乗り入れし、
西東京エリアの大動脈として成長していった。
このあと赤羽から京浜東北線に乗り換えて大塚に行き、
都電荒川線の取材しようと思ったが、
午前中の亀戸線取材の疲弊で気力がなくなり、
赤羽では下車せずに列車の終点であった新宿まで行く。
小田急ハルクとビックカメラを見てまわり、
総武緩行線で中野まで行き、夜は「味噌一・中野店」で味噌一らーめん720円など喰う。
中野から東京メトロ東西線で西船橋まで戻り、
東京フリーきっぷでいったん改札を出てSuicaで再入場して帰る。
※東京メトロ日比谷線中目黒駅で車両取材
※東京メトロ千代田線代々木上原駅で車両取材
※埼京線浮間舟渡駅でE233系7000番台取材
※東京メトロ副都心線和光市駅で車両取材
※都電荒川線荒川車庫前電停で車両取材
※総武線中野駅で東京メトロ15000系取材
品川から山手線ホームに行ってみて、
恵比寿方面より上野方面の方が空いていたので、まずは内回りに乗り込む。
そこで大塚まで行き都電荒川線に接続しようと思ったが、
上野まで行って日比谷線が接続していることを思い出し、
日比谷線に乗り換えて中目黒を目指す。
その途中で何時か地下鉄博物館に行こうと思いながら、
なかなか行く機会が見つけられなかったことを思い出し、
茅場町で東西線に乗り換える。
しかしここで乗り換えたのが快速だった。
ケータイで地下鉄博物館の場所を調べたら葛西駅に併設されていた。
葛西は快速が停車しないためにいったん浦安まで行く。
浦安は地上駅なのでまずはここで下車して駅取材する。
各駅停車の中野方面に乗り換えて葛西に行く。
葛西駅は東西線の高架区間にあり、高架下を利用して地下鉄博物館がある。
入館料は210円で、PASMOも利用可能だ。
きっぷタイプの入館券を購入し、改札ブースにいる係員が改札鋏を入れてくれる。
さすがは鉄道関係の博物館だけあって考えられた演出である。
一番最初に早川徳次氏の銅像がある。
早川徳次氏は“地下鉄の父”と呼ばれる日本に最初に地下鉄を敷設することを唱えた人物である。
ヨーロッパ視察で地下鉄の存在を知った早川徳次は地質調査や交通量調査を実施、
その必要性を説いて廻り、東京地下鉄道を創設して、
1927年に日本で最初の地下鉄を上野と浅草の間で開業させた。
その後新橋から渋谷の間を開業させた東京高速鉄道と1941年に統合、帝都高速度交通営団となった。
戦時体制維持のための営団は戦後GHQによって解体されていったが、
帝都高速度交通営団は解体を免れ、2004年に民営化されて東京地下鉄になるまで続いた。
鉄道博物館の目玉は丸ノ内線で活躍した300形301号車、
東京地下鉄道銀座線1000形1001号車
、東京高速鉄道100形129号車のカットモデルの実車の所蔵である。
そのほかの収蔵品も堪能して、葛西で駅取材してから地下鉄東西線で中野まで行く。
以前に中野駅に来た時に北口の様相が変わっていたのでこれを駅取材、
東京メトロ15000系が来るのを待ってこれの車両取材する。
総武緩行線で新宿まで行き、埼京線で浮間舟渡まで行く。
ここではE233系7000番台を狙うが、
この区間は埼京線と平行して東北新幹線の線路も走っていて、
長野新幹線E7系も撮影できた。
埼京線の赤羽から大宮の区間は、新幹線建設に反対していた地元住民にて対し、
建設の見返りに並行して建設された在来線で、
そのために東北新幹線と並行して設置されている。
既存の赤羽線や山手貨物線と接続して今の埼京線が完成、
大宮以北は川越線、大崎以南はりんかい線にも相互乗り入れし、
西東京エリアの大動脈として成長していった。
このあと赤羽から京浜東北線に乗り換えて大塚に行き、
都電荒川線の取材しようと思ったが、
午前中の亀戸線取材の疲弊で気力がなくなり、
赤羽では下車せずに列車の終点であった新宿まで行く。
小田急ハルクとビックカメラを見てまわり、
総武緩行線で中野まで行き、夜は「味噌一・中野店」で味噌一らーめん720円など喰う。
中野から東京メトロ東西線で西船橋まで戻り、
東京フリーきっぷでいったん改札を出てSuicaで再入場して帰る。