本来なら3回目の入院で末梢血幹細胞の採取をやる予定だったが、
思いがけないウイルス感染によって採取が出来ず、
外来で造影剤CTスキャナを行い、4回目の入院が9月22日月曜日に決まった。
当日は10:00a.m.に東4階クラークで受付、体重測定、病室に行って着替える。
同じことを4回も繰り返しているのでさすがに先が読める。
病棟主治医からカンファレンス室で今回の治療に関する今後の方針について伺う。
まずは24日水曜日、25日木曜日にエンドキサンという抗癌剤を単体を点滴、
同時に膀胱への障害の予防のために水分の点滴も同時に行う。
うまくいけば10月4日土曜日からノイトロジンを注射し、
10月7日火曜日から9日木曜日の間に末梢血幹細胞の採取を行うとのこと。
しかしこの時はまだ今回の入院が過去3回よりも辛いものになるとは思ってもいなかった。
入院2日目が秋分の日で祝日になってしまい、いきなり治療がお休みになった。
翌24日水曜日からいよいよ抗癌剤の治療が始まる。
朝食後に制吐剤のイメンドカプセル125mg服用する。
この薬は今回が初めてだ。
そして25日木曜日、26日金曜日は80mgものもを起床時に服用することになる。
まずは水分の点滴であるソルデム3Aを始める。
※一部画像を加工しています。
これは48時間続けて点滴をすることになる。
抗癌剤の前に制吐剤のグラニセトロンを点滴、
これが終わってからエンドキサンを4時間点滴する。
エンドキサンが終わってからさらウロミテキサンを点滴する。
これはエンドキサンの造血幹細胞移植の前治療の、
出血性膀胱炎、排尿障害、泌尿器系障害の発現抑制に効果がある。
この点滴が終わる頃から胃にむかつきが出始めた。
夕食の時間に2回目のウロミテキサンが始まる。
就寝時になってもまだ胃のむかつきは続いていた。
25日木曜日も前日と同じスケジュールで始めに制吐剤のグラニセトロンを点滴し、
そのあとにエンドキサンを4時間点滴する。
さらに体重が増えているということでラシックスの点滴も加わる。
点滴を始めたくらいからしゃっくりが出始め、
看護師に相談して芍薬甘草湯を服用する。
栄養士が病棟まで来て相談し、加療食というメニューに変更、主食はおにぎりとした。
化療食はおにぎり小2個と冷たいおかず、プリンなどとフルーツになる。
26日金曜日になっても胃のむかつきは続いていて、
それに伴う体調の悪さも続いている。
これまでも吐き気の伴う抗癌剤治療を受けてきたが、
ここまで酷いものは初めてである。
この胃のむかつきは28日日曜日まで続いたが、
29日月曜日になって漸く少しマシになってきた。
この日の午後に再び栄養士が病室を訪ね、
化療食も完食しているということで普通食の量に戻し、おにぎりは継続にする。
結局体調が完全に戻ったのは10月1日水曜日だった。
4日土曜日からノイトロジンの注射が始まる。
10:00a.m.と5:00p.m.の2回、腕に皮下注するのだが、これが目茶苦茶痛い。
そして腰痛の副作用も伴い、トラムセットいう鎮痛剤を服用する。
これは末梢血幹細胞を採取するために白血球の値を上げるためものもで、
通常は抗癌剤で下がった白血球の量を元に戻すために注射されるのだが、
末梢血幹細胞のために更に量を増やすため、通常よりも更に多量に注射している。
2日木曜日頃から喉がいがらっぽい感じを覚えた。
喉の違和感は暫く続き、5日日曜日2:00p.m.の検温で38.7度になってしまい、
採血をして3:00p.m.から抗生物質の点滴をする。
6日月曜日も熱が下がらず寝坊してしまった。
入院中は消灯が10:00p.m.、起床が6:00a.m.だが、現実には8時間の睡眠は難しい。
普段でも5時間、休日でも6時間も眠れば充分で、
ましてや基本的には病室から出ず、いつでも昼寝が出来る状態なので
夜間に8時間の睡眠を取るのは難しく、
普段は5事前後には目が覚めてウォークマンを聴いて起床時間を待つ。
まさかの寝坊とはやはり熱の影響があるのだろう。
この日は午後からはいったん平熱に下がったものの、
6日月曜日も看護師に起こされて目が覚めた。
関東と関西では1時間の時差があり、関東の方が大阪よりも1時間早い。
日本国政府が東京にあった時は関東時間が日本標準時だったが、
大阪維新の会が進める大阪都構想が実現してからは関西時間が標準時になったため、
1時間の寝坊は許されるのだ・・・。
二度寝している時に変な夢を見た。
結局、抗生物質によって菌は押さえられている筈だが、
微熱は退院の前日まで続いた。
6日月曜日には末梢血幹細胞の採取のためにリツキサンの点滴をする。
この日は採血の予定はなかったが、熱が高かったために緊急で採血し、
その結果、血小板の値が少なくなっており、緊急に輸血することになった。
7日の火曜日の採血によって採取できるかを判定するのだが、
残念ながらこの日は判定は翌日に持ち越し、
8日水曜日の結果も思ったほど白血球の量が上がらず、
この日も末梢血幹細胞の採取は無理だった。
またヘモグロビンの値も下がっているということで、急遽輸血をすることになった。
入院18日目となる9日木曜日も朝一で採血をした。
その結果について病棟主治医からカンファレンス室で話を聞くことになる。
採血の結果、白血球は順調に上がっているものの、
末梢の白血球は全体の0.05%しかなく、採取は不可能とのこと。
このままノイトロジンを注射し続けても、
期待値に到達する可能性は10%くらいしかなく、
治療の継続は不可能だろうとのこと。
CHASE療法と大量エンドキサン療法でそれなりの効果は期待できるので、
今日で抗癌剤治療は終了し、即日緊急退院することとなった。
現在も白血球の値は正常値ではなく、日和見感染の危険性があるので、
退院後も1ヶ月は原則として外出は控え、投薬による治療は継続することになる。
1ヶ月後の11月5日水曜日に外来を受診し、
その日の血液検査を踏まえて今後のことはその時に主治医から話があるとのこと。
予想していた最悪の結果は今回も取れずに再入院というものだったが、
ギブアップとは想定もしていなかった更なる最悪の結果だった。
まさかの敗戦撤退という形で9日木曜日に退院した。