林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

千葉「横浜ラーメン 増田家」

2014-10-16 | 飲食店
10月16日木曜日に千葉県がんセンターに行った。
今回の訪問は診察ではなく、事務手続きだけだったが、
基本的に11月5日まで外出禁止、実質的に自宅軟禁状態なので、
制約はあるとはいえ、久し振りに外に出掛けたのは良い気分転換になった。
その帰りに千葉まで戻り、昼食として寄ったのが「横浜ラーメン 増田家」である。
ここはこれまでにも何回か訪問したことがあるし、
海浜幕張にある支店も以前仕事でこのエリアを担当していた時に昼食で何回か入ったことがある。
「増田家」は横浜ラーメンのいわゆる“家系”ラーメン店のひとつ。
横浜ラーメンの詳しい定義はよく分からないが、豚骨系のスープと太麺が特徴的。
その中でも「増田家」は豚骨スープに特徴的な臭いがそれほどきつくなく食べやすい。
オーダーはAセットでラーメンと半チャーハンのセットである。
まず最初に半チャーハンが出てくる。



比較的味の濃いチャーハンで、パラパラ感も充分である。
小さく刻まれたチャーシューもアクセントになっていて、好みのタイプ。
そして少ししてラーメンも登場。



トッピングはキクラゲ、もやし、大きめで丼の縁に張り付いている海苔、そしてチャーシュー。
麺は太めで縮れはなく、濃厚なとんこつスープを搦め過ぎない。
豚骨スープは臭みがそれほど強くなく、
家系マニアには少し物足りないかもしれないが、万人ウケはする味である。
豚骨ラーメンは好きだが、豚骨の臭いが店の中に充満しているところは少し遠慮したい。
そういった意味では「増田家」は個人的にもちょうどいい。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 18.

2014-10-15 | 鉄道・旅行
 18.雲仙普賢岳と霊丘神社でSL-島原鉄道完乗の旅

諫早での乗り換え時間は7分で、この時間に合わせて接続した島原鉄道に乗り換える。
島原鉄道は長崎県島原半島一帯で鉄道、路線バス、船舶などを運営している地方私鉄である。
1908年5月5日に設立され、1911年6月20日に元諫早-愛野村(現・愛野)間が開業した。
同年8月21日には諫早-元諫早間が延伸開業した。
1913年9月24日には島原湊(現・南島原)まで延伸し、島原鉄道線が全通した。
1935年6月1日に雲仙鉄道の営業委託を受けるが、1938年には廃止された。
島原鉄道によって開業した諫早から南島原までを北目線と呼ばれていた。
一方、1919年4月10日に設立された口之津鉄道によって、
1922年4月22日に島原湊-堂崎間が開業、
1928年3月1日には加津佐まで延伸され、全線が開通した。
南島原から加津佐までを南目線と呼ばれていた。
戦時中の1943年7月1日に島原鉄道が口之津鉄道を合併した。
1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳噴火の火砕流で甚大な被害を受ける。
復旧のために1995年10月に資本金増資し、長崎県と沿線市町の出資を受けた。
1997年4月1日に雲仙普賢岳噴火災害復旧工事が完成し運行再開、観光トロッコ列車運転開始した。
しかし2008年4月1日に島原外港-加津佐間が廃止された。
現在の島原鉄道線は諫早から島原外港までの43.2kmである。
かつては国鉄から譲り受けた旧型気動車なども活躍していたが、
現在では新潟鐵工所で製造されたNDCシリーズ第二世代のキハ2500形と、
ブレーキの二重化などの強化を行ったキハ2550形が運行されている。
まずは諫早から島原本社前まで行く。
12:15の列車は急行扱いのため、諫早、本諫早を出ると愛野、吾妻と停まり、
西郷、神代町、多比良町と停まって大三東、島原と停車する。
13:10には島鉄本社前に到着した。
ここは特別取材すべき駅ではないが、駅近くの霊丘神社にSLが静態保存されている。
今回はそれの取材もかねてこの駅で下車したのである。
霊丘神社に併設されている霊丘公園の中にあるが、場所が分からず少し歩き回る。



C12形C1201号機は島原鉄道が鉄道省C12形を自社発注し、
1948年から1949年にかけて導入した5機のうちの一つである。
車体の近くには以下のような略歴が記されている。

    機関車の略歴

 昭和24年5月25日天皇陛下が御来島の折、
 お召列車の牽引車として重要な役割を果たした
 C.12型とは同型車である。
 なお同車の走行距離は853,096,8kmで
 使用期間は20年有余であった。
 昭和43年島原鉄道が蒸気機関車を廃止、
 ディーゼル機関車に切替える時点で同車は運転を中止し、
 車庫入りした。

 1.形式 C.12型
 2.番号 C.1201号
 3.最大寸法 (長)11.35m(幅)2.85m(高)3.90m
 4.重量 50.t
 5.馬力 500.HP
 6.製造年月日 昭和23年1月
 7.製造所名 日本車両、株式会社

公式記録にはないが、昭和天皇が島原半島に来られた時に、
C1204号機がお召し列車に充当されたようである。
ここで充分に取材したあと、徒歩で島原駅まで移動する。
島原本社前から島原までは1.0kmで、1時間42分の時間を取ってある。
途中、ビルの合間からは雲仙普賢岳が見えた。



今はおだやかなこの山だが、ひとたび噴火すれば巨大な土石流が容赦なく人々を飲み込む。
日本人は火山の多い島国の中で、その驚異に畏怖しながら生きてきた歴史がある。
美しい山はその分だけ凶器を火口に隠し持っているのだ。
島原駅近くの「ラーメンセンター島原駅前店」で昼食としてチャンポン650円喰う。
このあと14:52の下りで島原外港に行くことになっているが、
島原駅に到着したのがまだ2:00p.m.前で50分以上時間がある。
余裕を持って計画を立てたがいささか余力が有りすぎた。
そこで上り列車の14:17で大三東まで行く。



ここは「大三東」と書いて「おおみさき」と読む。
ここは相対式ホームの下り線側の向こうには有明海が広がる。
“なにもない”ということを充分に楽しみ、14:41の下り列車に乗り込む。
これは14:52に島原で乗り込む予定の列車で、
2両編成で運行されていたが南島原でうしろ1両を切り離した。
終点の島原外港の折り返し時間は22分で、この間に島原港まで行ってみる。



島原外港は2008年4月1日の加津佐までが廃止されるまでは途中駅で、
その名残として相対式ホーム2面2線構造になっているが、
駅舎の反対側のホームは使用されておらず、構内踏み切りも立ち入り禁止となっている。
ただ、駅舎側のホームから続く線路は暫く延びており、
かつてはこの先にも列車が走っていったことを物語っている。
15:25折り返し列車に乗って諫早まで一気に戻る。
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入社面接

2014-10-14 | 日記
突然、本社総務部に異動になった。
総務部の女性社員が長期休暇に入るので、その欠員補充だという。
しかし彼女が休職後に直ぐ復帰するために人事異動ではなく、
あくまで現支店に在籍しながらのレンタル移籍なのだという。
総務の仕事なんてやったことないし、とても出来るとは思えないけれど、
会社の命令なのだから仕方がない。
本社に出勤し、総務部長に挨拶した。
部長は社内を案内し、そして昼食の場所について説明して来た。
「本社には社員食堂はないが、近くにショッピングモールがあるので、
本社の社員はみんなそこで昼飯を喰っているんだ!」
そう云って会社の隣にあるショッピングモールへ連れて行った。
大きな坂を下ったところにあるそのショッピングモールの食堂は、
フードコートのほかにも有名な居酒屋や中華料理店などが入っており、
よく見ると芸人の有吉弘行氏が後輩芸人を連れて騒いだりしていた。
本社に戻ると部長から今度の新入社員の入社面接を全て任せると云われた。
入社面接なんてやったことなかったが、自分なりのアイディアでやるしかない。
そこで企画書を作成し、“合コン面接”というのを提案した。
学生が入社面接のために会社に来たら、全員を一度に会議室に通す。
しかしいそこは会社の幹部はおらず、美人の女性社員がビールを持って待っている。
ひとり学生にふたりのOLが酒を勧めながら色々学生生活について聞いていくのだ。
最初は緊張していた学生も合コンのノリでつい本音を喋ってしまうだろう。
おいらは手伝いの若手社員に混じって合コンのお世話をするのだが、
その中で学生の評価もこっそりとチェックしていく。
この合コン面接は大成功で、学生たちは大いに盛り上がり、或いは失態を露呈していた。
面接評価表にこっそりと記号を記入しながら、
盛り上がっている学生を漠然と見て、
少し羨ましく思っている自分がいた・・・。
出来れば学生側の立場になりたい・・・。
まあ、自分が学生側だったら絶対に入社は出来ないと思うけれど・・・。

※これは林檎乃麗が入院中に見た夢を文章化したものであり、
実在の企業、及びその人事制度、新入社員面接方法、芸人、その後輩との関係とは一切関係ありません。
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ホームページ更新

2014-10-13 | 更新情報
「REI RINGONO Home Page」を第420回更新しました。

「Diary」に「林檎乃麗日記 長月2014」を公開いたしました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/


「Station-駅から始まる物語」を第622回更新しました。

971.JR東北新幹線いわて沼宮内駅を公開いたしました。
53.JR埼京線板橋駅を加筆修正および画像追加いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名表示板コレクション」を第195回更新しました。

駅名表示板コレクションに京福電鉄嵐山本線嵐電天神川駅を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第179回更新しました。

「直流電気機関車 図鑑」にEF210形162号機を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/


「旅の徒然に」を第392回更新しました。

「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」に「博多デイドリーム」のデータを収載いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/


「気動車」を第243回更新しました。

国鉄特急形にキハ183-209の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/


「電車」を第280回更新しました。

「試験用・事業用」の在来線に「JR東日本E993系電車」を加筆いたしました。
「交流」の特急形に「783系『ハイパーサルーン』」の画像を添付しました。
大手私鉄の南海電気鉄道に「2000系南海本線」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/
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ホームページ更新

2014-10-12 | 更新情報
「Station-駅から始まる物語」を第621回更新しました。

970.JR北上線ほっとゆだ駅を公開いたしました。
154.京成電鉄京成千葉駅を更新いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名表示板コレクション」を第194回更新しました。

駅名表示板コレクションに京福嵐山本線太秦広隆寺駅を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第178回更新しました。

「蒸気機関車 図鑑」に7100形6号機を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/


「旅の徒然に」を第391回更新しました。

「全国普通鉄道 乗り潰しの旅」に「みちのくひとり旅」のデータを収載いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/


「気動車」を第242回更新しました。

国鉄特急形にキハ183-3の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/


「電車」を第279回更新しました。

「試験用・事業用」の在来線に「JR東日本E991系電車」を加筆いたしました。
「交流」の特急形に「E751系『スーパーはつかり』」の画像を添付しました。
大手私鉄の南海電気鉄道に「1000系南海本線」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/
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ホームページ更新

2014-10-11 | 更新情報
「Station-駅から始まる物語」を第620回更新しました。

969.JR東北本線北上駅を公開いたしました。
278.JR山陽本線横川駅を更新いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名表示板コレクション」を第193回更新しました。

駅名表示板コレクションに京福嵐山本線車折神社電停を公開いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第177回更新しました。

「交流電気機関車 図鑑」にED76形509号機を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/


「旅の徒然に」を第390回更新しました。

「駅蕎麦コレクション」の東日本エリアに「越後そば」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/


「気動車」を第241回更新しました。

国鉄特急形にキハ183-4の画像を添付いたしました。

http://dieselcar.bokunenjin.com/


「電車」を第278回更新しました。

「試験用・事業用」の在来線に「JR東日本E491系電車」を加筆いたしました。
「交流」の近郊形に「817系鹿児島本線」の画像を添付しました。
大手私鉄の近畿日本鉄道に「30000系『ビスタEX』」の画像を添付しました。

http://train.bokunenjin.com/
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続続続入院の記

2014-10-10 | 日記
本来なら3回目の入院で末梢血幹細胞の採取をやる予定だったが、
思いがけないウイルス感染によって採取が出来ず、
外来で造影剤CTスキャナを行い、4回目の入院が9月22日月曜日に決まった。
当日は10:00a.m.に東4階クラークで受付、体重測定、病室に行って着替える。
同じことを4回も繰り返しているのでさすがに先が読める。
病棟主治医からカンファレンス室で今回の治療に関する今後の方針について伺う。
まずは24日水曜日、25日木曜日にエンドキサンという抗癌剤を単体を点滴、
同時に膀胱への障害の予防のために水分の点滴も同時に行う。
うまくいけば10月4日土曜日からノイトロジンを注射し、
10月7日火曜日から9日木曜日の間に末梢血幹細胞の採取を行うとのこと。
しかしこの時はまだ今回の入院が過去3回よりも辛いものになるとは思ってもいなかった。

入院2日目が秋分の日で祝日になってしまい、いきなり治療がお休みになった。
翌24日水曜日からいよいよ抗癌剤の治療が始まる。
朝食後に制吐剤のイメンドカプセル125mg服用する。
この薬は今回が初めてだ。
そして25日木曜日、26日金曜日は80mgものもを起床時に服用することになる。
まずは水分の点滴であるソルデム3Aを始める。



 ※一部画像を加工しています。

これは48時間続けて点滴をすることになる。
抗癌剤の前に制吐剤のグラニセトロンを点滴、
これが終わってからエンドキサンを4時間点滴する。
エンドキサンが終わってからさらウロミテキサンを点滴する。
これはエンドキサンの造血幹細胞移植の前治療の、
出血性膀胱炎、排尿障害、泌尿器系障害の発現抑制に効果がある。
この点滴が終わる頃から胃にむかつきが出始めた。
夕食の時間に2回目のウロミテキサンが始まる。
就寝時になってもまだ胃のむかつきは続いていた。
25日木曜日も前日と同じスケジュールで始めに制吐剤のグラニセトロンを点滴し、
そのあとにエンドキサンを4時間点滴する。
さらに体重が増えているということでラシックスの点滴も加わる。
点滴を始めたくらいからしゃっくりが出始め、
看護師に相談して芍薬甘草湯を服用する。

栄養士が病棟まで来て相談し、加療食というメニューに変更、主食はおにぎりとした。
化療食はおにぎり小2個と冷たいおかず、プリンなどとフルーツになる。



26日金曜日になっても胃のむかつきは続いていて、
それに伴う体調の悪さも続いている。
これまでも吐き気の伴う抗癌剤治療を受けてきたが、
ここまで酷いものは初めてである。
この胃のむかつきは28日日曜日まで続いたが、
29日月曜日になって漸く少しマシになってきた。
この日の午後に再び栄養士が病室を訪ね、
化療食も完食しているということで普通食の量に戻し、おにぎりは継続にする。
結局体調が完全に戻ったのは10月1日水曜日だった。

4日土曜日からノイトロジンの注射が始まる。
10:00a.m.と5:00p.m.の2回、腕に皮下注するのだが、これが目茶苦茶痛い。
そして腰痛の副作用も伴い、トラムセットいう鎮痛剤を服用する。
これは末梢血幹細胞を採取するために白血球の値を上げるためものもで、
通常は抗癌剤で下がった白血球の量を元に戻すために注射されるのだが、
末梢血幹細胞のために更に量を増やすため、通常よりも更に多量に注射している。

2日木曜日頃から喉がいがらっぽい感じを覚えた。
喉の違和感は暫く続き、5日日曜日2:00p.m.の検温で38.7度になってしまい、
採血をして3:00p.m.から抗生物質の点滴をする。



6日月曜日も熱が下がらず寝坊してしまった。
入院中は消灯が10:00p.m.、起床が6:00a.m.だが、現実には8時間の睡眠は難しい。
普段でも5時間、休日でも6時間も眠れば充分で、
ましてや基本的には病室から出ず、いつでも昼寝が出来る状態なので
夜間に8時間の睡眠を取るのは難しく、
普段は5事前後には目が覚めてウォークマンを聴いて起床時間を待つ。
まさかの寝坊とはやはり熱の影響があるのだろう。
この日は午後からはいったん平熱に下がったものの、
6日月曜日も看護師に起こされて目が覚めた。
関東と関西では1時間の時差があり、関東の方が大阪よりも1時間早い。
日本国政府が東京にあった時は関東時間が日本標準時だったが、
大阪維新の会が進める大阪都構想が実現してからは関西時間が標準時になったため、
1時間の寝坊は許されるのだ・・・。
二度寝している時に変な夢を見た。
結局、抗生物質によって菌は押さえられている筈だが、
微熱は退院の前日まで続いた。

6日月曜日には末梢血幹細胞の採取のためにリツキサンの点滴をする。
この日は採血の予定はなかったが、熱が高かったために緊急で採血し、
その結果、血小板の値が少なくなっており、緊急に輸血することになった。
7日の火曜日の採血によって採取できるかを判定するのだが、
残念ながらこの日は判定は翌日に持ち越し、
8日水曜日の結果も思ったほど白血球の量が上がらず、
この日も末梢血幹細胞の採取は無理だった。
またヘモグロビンの値も下がっているということで、急遽輸血をすることになった。

入院18日目となる9日木曜日も朝一で採血をした。
その結果について病棟主治医からカンファレンス室で話を聞くことになる。
採血の結果、白血球は順調に上がっているものの、
末梢の白血球は全体の0.05%しかなく、採取は不可能とのこと。
このままノイトロジンを注射し続けても、
期待値に到達する可能性は10%くらいしかなく、
治療の継続は不可能だろうとのこと。
CHASE療法と大量エンドキサン療法でそれなりの効果は期待できるので、
今日で抗癌剤治療は終了し、即日緊急退院することとなった。
現在も白血球の値は正常値ではなく、日和見感染の危険性があるので、
退院後も1ヶ月は原則として外出は控え、投薬による治療は継続することになる。
1ヶ月後の11月5日水曜日に外来を受診し、
その日の血液検査を踏まえて今後のことはその時に主治医から話があるとのこと。
予想していた最悪の結果は今回も取れずに再入院というものだったが、
ギブアップとは想定もしていなかった更なる最悪の結果だった。
まさかの敗戦撤退という形で9日木曜日に退院した。
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お知らせ

2014-10-09 | 日記
本日、10月9日木曜日に千葉県がんセンターから退院いたしました。
入院中、ブログの訪問やメールに対してレスが遅れたことをお詫びいたします。
詳しい状況につきましては、近日中にブログにてご報告させていただきます。

           Semisweet Apple Company 林檎乃 麗
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九州満喫きっぷと出雲の旅 17.

2014-10-09 | 鉄道・旅行
 17.究極の早弁-リベンジの筑肥線経由で諫早へ

九州満喫きっぷの旅の3日目、今日は筑肥線経由で諫早に行き、
島原鉄道の完乗と駅取材、車両取材、長与支線経由で長崎に出て、
そこから特急「かもめ」で博多まで戻ることにしている。
筑肥線山本-伊万里間の列車に乗り込むために、
06:52博多駅発の福岡市地下鉄空港線・姪浜方面西唐津に乗り込まなければならない。
そのために5:00a.m.に目覚ましをセットしたが、少し前に目を覚ました。
しかしそれで安心したのがいけなかった。
再びウトウトし、目が覚めたら5:53a.m.だった。
あわててシャワーを浴びてクールダウンの間に昨日購入した駅弁を喰う。



今日は朝食を喰う暇がないため、ホテルで先に済ませることにしていたのである。
6:30a.m.には部屋を出る予定だったが、二度寝のおかげでタイトになってしまった。
それでも朝一で駅弁を喰い、歯を磨いて6:35a.m.にはホテルを出る。
今日はJR博多駅で九州満喫きっぷの3回(人)のところに、
「博多駅 5.24 九 ありがとうございます」と検印して貰った。
昨日は福岡市地下鉄だったので、敢えて別の検印が欲しかったのだ。
しかしここでは入場せず、そのまま地下に下りて
06:52発の福岡市地下鉄空港線西唐津行きに乗り込む。
303系が充当されていた。
土曜日だったが学生が多く乗り込んでいた。
たぶん、部活に出る高校生なのだろう。
姪浜の手前で地上に出て、途中の車窓からはバルーンが何基も見えていた。
佐賀は熱気球の盛んなところなのである。
広い平野が熱気球を飛ばすのに適しているのだろう。
唐津で下車して駅取材する。
ここから唐津線で長崎本線に抜けられることもあって、大きな駅だった。
唐津駅の改札には小さな金持ち神社のオブジェと手形があった。



現駅長の名字が“金持”さんのため、こういうアイディアが生まれたのだろう。
19分の乗り換え時間を十分に利用して駅取材し、
08:33唐津発の筑肥線伊万里行きに乗り込む。
ここからの筑肥線伊万里行きは1日10本しかなく、
9時台、10時台、12時台、13時台、19時台には1本も設定がない。
一昨日断念したこの区間の乗車に拘ってこの計画を立てたのである。
伊万里の5分の乗り換え時間でJR伊万里駅の駅取材をして松浦鉄道に乗り換える。
ここから有田までは一昨日も乗った区間である。
32分の乗り換え時間を持て余して佐世保線で早岐に出て、
ここから大村線に乗り換えて諫早に向かう。



乗り換え時間は8分でその間に駅取材するつもりであったが、
思った以上に駅が大きく複雑で、しかも工事中のために駅取材は断念した。
早岐の隣り駅はハウステンボスで、ここだけオランダに来たかのようである。
途中、竹松で9分の停車時間に駅取材し、
そのまま大村線を乗り潰し、12:08に諫早に到着する。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 16.

2014-10-08 | 鉄道・旅行
 16.“旅人”と緊急追加の篠栗線-豚骨ラーメンな夜、再び

太宰府天満宮を充分に取材し西鉄太宰府駅まで戻ると、
駅には見慣れない車両が停車していた。
これは8000系を改造した観光列車「旅人」だ。
実は駅のポスターなどで今日になってこういう列車があることを知り、
また西鉄二日市から太宰府に向かう途中の西鉄五条では、
上りホームにこの列車が停車しているのを車窓越しにも確認した。
それが偶然、太宰府のホームに停車していたのである。
そこで慌てて太宰府駅に入場し、この列車を取材した。



おかげで結局、梅ヶ枝餅を喰う暇もなかった。
この太宰府観光列車「旅人」は、特別料金不要の普通運賃のみで楽しめる観光列車で、
大幅な改造というより、8000系をラッピング処理しただけの車両のようである。
それでも話題性という面からは良い試みかも知れない。
車内広告のスペースを利用して、以下のような解説がある。




    太宰府観光列車「旅人-たびと-」

その名は旅人-たびと-

 名づけ親は、第39代太宰府天満宮宮司・西高辻信良氏。
 名前の由来は、万葉集の代表的な歌人・大伴旅人(おおとものたびと) 。
 大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任した旅人は、
 この地で多くの歌を残したとされています。
 また旅人は"たびびと" と読めるため、
 太宰府を旅する列車という意味も込められています。

15:14太宰府発の「旅人」に乗って西鉄二日市まで戻る。
この「旅人」は基本的に西鉄二日市と太宰府の間の太宰府線を往復しているようである。
しかし西鉄二日市に到着すると、そのまま回送列車となってしまった。
これで太宰府線の乗り潰しも完了、これにて西鉄全線乗り潰しを完成させた。
しかし時間的にはまだ3時台でホテルに戻るには早すぎるため、
15:27の急行で薬院まで戻り、ここで3000系の車両取材を決行する。
前回もこの場所で車両取材は行ったものの、雨のために車体が濡れていた。
今回は完全な形での取材となった。
薬院から西鉄福岡(天神)まで戻り、16:23の福岡市地下鉄空港線で博多まで戻る。
それでもまだ時間があるので、急遽JR博多駅に入場、
少し車両取材してから篠栗線の取材をする。
篠栗線は“福北ゆたか線”の愛称がつけられている北九州の地方都市線で、
前回は長者原まで行って香椎線に乗り換えた。
そこで今回は路線名の由来となった篠栗まで行くことにした。
ここでちょうど運転系統も変わるようであり、ここで駅取材する。
再び817系2000番台で博多まで戻り、
夕食は博多めん街道内「元祖博多だるま」で全部のせラーメン1,030円を喰う。
昼間、久留米で「とんこつラーメン発祥の地」などという看板を見て、
どうしても豚骨ラーメンが喰いたくなってしまったのだ。
JR博多シティ・アミュプラザ屋上に行き、列車展望スペースを見る。



ここでは列車だけでなく、福岡空港を発着する飛行機も見られる。
ここで暫く空を眺め、JR博多シティ・アミュプラザ7階の丸善で雑誌1冊購入する。
途中つまみなどを買い、ホテルに帰って昨日買った焼酎など飲む。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 15.

2014-10-07 | 鉄道・旅行
 15.太宰府は春、いずれにしても春

14:22発の特急で西鉄二日市まで行き、ここから太宰府線に乗り換える。
西鉄太宰府線は中間に一駅がある2.4kmの短い路線で、
路線名通り、太宰府天満宮へのアクセスのために敷設された路線である。
駅前を右に折れると太宰府天満宮への参道が広がる。



駅前には菅原道真の有名な句碑が建てられている。

 東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ



菅原道真が太宰府に“左遷”される時に庭の梅を見て詠んだとされる句で、
道真が九州に旅立ってから枝葉が枯れて、
ついには一晩のうちに太宰府まで飛んでいったという“飛梅”伝説の元となった句である。
参道には有名な梅ヶ枝餅の店が軒を並べている。
突き当たりを左に折れるといよいよ太宰府天満宮の境内に至る。



鳥居は花崗岩で造られた鎌倉期のものとされている。
その先には形が漢字の“心”に似ていることから“心字池”と呼ばれる池があり、
そこには3つの橋が架けられている。



一つ目の太鼓橋は“過去”、二つ目の平橋が“現在”、
そして三つ目の太鼓橋が“未来”を顕すという。
さだまさし氏の名曲「飛梅」もこの橋をモデルに別れ話を謳っており、
この曲の入った「風見鶏」というアルバムも持っていたので、
このことは改めて境内の解説を見なくても知っていた。
そしていよいよ本殿である。



菅原道真の墓所とされ、創建は延喜5年、西暦に換算すると905年とされる。
延喜19年、西暦919年に醍醐天皇の勅命により社殿として造営、
その後の戦乱で何度か失火したが、筑前国主の小早川隆景が5年をかけて造営、
天正19年、西暦1591年に現在の姿として誕生したという。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 14.

2014-10-06 | 鉄道・旅行
 14.卑弥呼の里の甘木鉄道-日本発祥の地

甘木鉄道は国鉄の第1次特定地方交通線の甘木線を引継ぎ、
1985年7月11日に設立された第三セクター鉄道である。
甘木線は鹿児島本線基山から分岐して甘木までを結ぶ路線で、
1939年4月28日に全線が同時に開業した。
1981年9月18日に第1次特定地方交通線として廃止が承認された。
それを受けて沿線地方自治体や貨物輸送を行っていた麒麟麦酒などが出資して、
第三セクターの甘木鉄道が設立された。
1986年4月1日に甘木線を引継ぎ、開業させた。
甘木線は基山から甘木までの全線非電化単線の13.7kmの路線である。
予定では13:12の列車で甘木に向かうつもりだったが、
基山で50分の時間は必要なかったため、
予定よりも1本早い12:30の列車で終点の甘木に向かう。



甘木鉄道では車両として軽快気動車を使用している。
これは富士重工のLE-DCシリーズのひとつで、2001年から導入、
一般型のAR300形は7両、イベント用AR400形1両が在籍する。
AR400形は「卑弥呼」の愛称がつけられている。
甘木駅は車両基地も兼ねており、側線に停まっている未投入の車両取材もする。
駅前には「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」という石碑がある。



ここ、甘木は邪馬台国の所在地候補のひとつとなっている。
邪馬台国の場所については近畿説、九州説があり、
九州説の中にも北部九州広域説、大宰府天満宮のあたり、
大分県の宇佐神宮、宮崎県西都原古墳群など諸説があり特定していない。
甘木が卑弥呼の出身地とする説も論拠が揃っているわけではなさそうだが、
地元にとってはこれも大きな観光財産となるのであろう。
邪馬台国が日本史の中で初めて出てくる中央集権的国家であり、
そういった意味ではもし甘木が卑弥呼生誕地であれば、
ここかせ日本発祥の地と云ってしまってもいいのかも知れない。
ここから西鉄甘木線の甘木駅まで歩き、13:31甘木発の列車に乗る。
予定ではこれで花畑まで行くつもりだったが、
気が変わって西鉄久留米で下車し、ここで駅取材する。
14:22発の特急に乗り込み、次の西鉄二日市まで行く。
甘木から通り越した宮の陣までが西鉄甘木線で、この区間も完乗したことになる。
これで西鉄の未乗車区間は太宰府線のみとなった。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 13.

2014-10-05 | 鉄道・旅行
 13.西日本鉄道完乗への旅-基山のカレー

多少の擦った揉んだはあったものの、予定通り07:38に天神に到着する。
ここから地上に上がり、西鉄福岡駅に移動する。
朝食はもう済ませてあるので、結局予定より速い列車に乗り込むこととなった。
西日本鉄道は福岡を中心に九州に広く路線展開している鉄道会社であり、
現在本線に当たる天神大牟田線のほか、3路線を所有する。
1908年に設立され、1911年に開業した九州電気軌道がその始まりで、
1942年施行の陸上交通事業調整法により、
福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道等と合併して西日本鉄道となった。
かつて現在の埼玉西武ライオンズである西鉄ライオンズを所有していたこともあった。
その所有路線は以下の通り。

 天神大牟田線/西鉄福岡(天神)-大牟田 74.8km
 太宰府線/西鉄二日市-太宰府 2.4km
 甘木線/宮の陣-甘木 17.9km
 貝塚線/貝塚-西鉄新宮 11.0km

このうち、本線格の天神大牟田線とは独立している貝塚線は既に取材済み、
全区間乗車済みだが、天神大牟田線は西鉄福岡から薬院までしか乗ったことがない。
そこで今回の旅では西日本鉄道未乗車区間の完乗を目指すことにしたのである。
本当は08:02の特急に乗ろうと思っていたのだが、西鉄福岡駅で並ぶところを間違え、
07:47急行西鉄二日市行きに乗ってしまった。
仕方がないので先に西鉄二日市で駅取材し、ここで改めて特急に乗り換える。
ここでも早めに動いたために予定よりもひとつ多く駅取材が出来た。
08:20に予定通りの特急に乗り換えて終点の大牟田へ。
ここはJR鹿児島本線と共同使用駅となっており、ここからJRに乗り換える。
あっという間だったが、西鉄天神大牟田線の完乗は完了した。
JR鹿児島本線でひとつ下った荒尾に行き、ここで駅取材する。
そのあと新幹線停車駅である筑後船小屋の駅取材に行く。
その前に急遽、銀水で下車して駅取材する。
銀水は以前、青春18きっぷの旅で乗った列車の終着駅で偶然下り、
木造の駅舎が気に入ったのだが既に夜だったために日中に訪問したいと思っていたのだ。
そして筑後船小屋はここはもともと船小屋という駅名だったが、
新幹線開業時に駅名変更した駅であり、正確には新幹線と在来線の駅舎は別となっている。



新幹線開業に伴って現在地に在来線の駅が移設された。
駅名は近くの矢部川の船小屋が多くあったからという在り来たりのものだった。
駅には「2016年、ホークスのファームが来る!」という垂れ幕がかかっていた。
10:55の列車で久留米まで行き、ここでも駅取材する。
久留米も九州新幹線の接続駅である。



駅前では松田聖子の「青い珊瑚礁」が流れていた。
彼女は久留米出身なのである。
また駅前には「久留米はとんこつラーメン発祥の地」とも書かれていた。
う~ん、夕食はまた博多ラーメンを喰おう・・・。
11:29の門司行きで基山まで行く。
ここから甘木鉄道の取材に入るのだが、その前にここで昼食を喰うことにする。
駅には「立体駐輪場の裏 カレー」という看板が見えた。
立体駐車場を突っ切ると、「Wスパイス」としいう名のカレー専門があり、
ここでカレーライス500円を喰う。
ここから甘木鉄道に乗り換えて終点の甘木を目指す。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 12.

2014-10-04 | 鉄道・旅行
 12.間違えた地下鉄と福岡空港で朝食を

昨日は前日に焼酎をオン・ザ・ロックで飲み過ぎて寝坊したたが、
今日はちゃんと6:00a.m.起床予定前の5:45a.m.には目が覚めた。
シャワーを浴びて支度をして、6:45a.m.にホテルを出る。
今日は07:32の福岡市地下鉄空港線で天神に移動し、ここから西鉄で大牟田まで行く。
JR博多シティまで行き、地下に下りて福岡市地下鉄の改札で、
九州満喫きっぷの2回(人)のところに、
「福岡市交通局 26.5.23 博多駅(博多口)」の検印を貰う。
少し早めに到着したので早めの列車に乗り込んで天神へ・・・と思ったのだが、
気が付いたら福岡空港にいた。
逆方向に乗ってしまったのである・・・。
とほほ・・・。
今日は寝坊はしなかったが、やはり焼酎の影響で二日酔いだったのだろうか・・・。
予定では天神のうどん店で朝食を喰おうと思ったのだが、
折角空港まで来たのだから、ここでモーニングを喰うことにする。
福岡空港第2ターミナルビル3階カフェテリアの「VENT ET LUNE」で、
パン2個とコーヒー730円でまったりとモーニングする。



食事を終えて再び地下に戻り、福岡空港始発07:27の列車に乗る。
考えてみれば、この列車は博多駅で07:32に乗る予定だった列車である。
結局、早めに起きて空港でモーニングをした分、旅の予定を早めただけとなった。
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九州満喫きっぷと出雲の旅 11.

2014-10-03 | 鉄道・旅行
 11.筑肥線回避の佐世保線と唐津線-博多への帰還

伊万里から筑肥線1本で博多に帰れると思っていたが、
実際の筑肥線は姪浜から唐津、西唐津の系統と、
伊万里から山本、唐津線経由の唐津、西唐津に分断されていて、
名前は一緒でも同一系統にはなっていない。
これは紀勢本線の和歌山と和歌山市が完全に分離しているのに似ている。
伊万里から松浦鉄道で佐世保線有田まで出る。
有田はその名の通り有田焼で有名な場所で、駅にも有田焼が飾ってある。



ここまで来た列車の伊万里も焼き物では有名な場所で、
この辺りではたぶん焼き物に適した土などが産出されるのかも知れない。
有田から長崎本線久保田まで向かう。
佐世保線と長崎本線の合流地点の肥前山口で、
停車時間が8分あったのでこの時間に駅取材する。
肥前山口は九州新幹線長崎ルートでは途中駅が設置される予定の場所でもある。
長崎から武雄温泉まではフル規格、武雄温泉から新鳥栖までは在来線に乗り入れる予定である。
この乗り入れに関しては現在走行テスト中のフリーゲージトレインが採用の予定であるが、
JR西日本ではフリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れには難色を示しており、
今後はまだ予断を許さない。
それでも新幹線停車駅になれば駅も整備されることから、
このタイミングでの取材には価値がある。
久保田から唐津線に乗り換え、終点の西唐津に向かう。
平日ということもあり、学生を中心に混み合っていた。
西唐津で筑肥線に乗り換える。
ここからは福岡市地下鉄空港線に乗り入れるため、
JR九州で唯一の直流電化区間となる。
国鉄時代の直流通勤形電車103系を改造した103系1500番台が充当されていた。



そのほかにもJR九州が新造した直流通勤形電車303系も在籍する。
西唐津から我慢の1時間30分の旅で漸く博多に到着する。
夕食は筑紫口中比恵公園通りにある「洋食屋とまと畑」へ行くつもりだったが、
漸く場所を見つけていったら閉店だった。



仕方がないのでJR博多駅まで戻り、
ヨドバシ博多ビル4階の「Hamburg steak CALIFORNIA」で、
ハンバーグ&サイコロステーキ1,490円喰う。



博多駅中央街の酒屋で麦焼酎を購入してホテルに戻って飲む。
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