6.新山口の変貌と「幕末ISHIN号」の美祢線
新山口は2009年にも訪問したことがある。
この時には山口線で長門市まで行き、山陰本線で出雲市に向かう予定だった。
直前の豪雨の影響で、1ヶ月前には完売だったSL山口号にキャンセルが出たため、
これに乗って津和野まで行き、在来線に乗り換えて長門市まで行くことにした。
だが、直前の豪雨の影響で山口線に土砂崩れが発生、
SLやまぐち号は仁保という無人駅で運転を中止、
代行バスは津和野まで行くパターンと新山口まで戻るパターンの2種類が用意されたが、
このまま津和野まで行ってもその先の乗り潰しはダイヤが乱れたために不可能と判断、
新山口まで戻って新幹線で岡山に移動してここで宿泊することにした。
ここでは外に出ずに乗り換えだけの予定だったが、
新山口まで戻ったために新幹線の乗車時間までの間、駅取材が出来ることになった。
しかし今回9年ぶりに新山口で驚いた。
自分が記憶していたのと全く違っていたのである。
新幹線口は以前と同じだったが、在来線口は別の駅みたいだった。
※2009年訪問時の在来線口 撮影時刻 2009/07/25 14:01:30
以前は1階に改札口があり、跨線橋から各ホームに移動する形になっていたが、
橋上駅舎化され、跨線橋は南北自由通路になっていた。
更に以前の在来線口は北口駅前広場0番線となっていた。
更にバス停も設置されていて、真新しい駅舎になっている。
ここの駅取材をしてから事前にネットで探していた「桃華園」に行き、
昼食としてBランチ、酢豚定食900円を喰う。
新山口駅まで戻って11:58着の山陽本線を待つ。
これに乗って厚狭まで行き、ここで美祢線に乗り換える。
乗り換え時間は45分あったが、厚狭は既に取材済みだったので改札の外には出ず、
駅舎に隣接した1番線で美祢線の到着を待つ。
美祢線にはJR西日本の標準的気動車であるキハ120系が充当されている。
13:24厚狭始発の美祢線は「幕末ISHIN号」が充当されていた。
山口県は以前の長州藩のあった場所で、
明治維新で活躍した人物を多く輩出した場所でもある。
明治維新150年を記念したキャンペーンをやっているようだ。