「REI RINGONO status」を第219回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に海浜幕張「麺屋空海・海浜幕張店」を新規公開いたしました。
http://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1510回更新しました。
1782.富山地方鉄道上市駅を公開いたしました。
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1782.富山地方鉄道上市駅を公開いたしました。
「Station-駅から始まる物語」を第1509回更新しました。
1781.富山地方鉄道寺田駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第371回更新しました。
「し」に静岡鉄道静岡清水線新静岡駅を新規公開いたしました。
9.山北鉄道公園のSLと松田駅-無意味な徒歩移動
JR松田駅から乗った313系は、
9分の乗車で山北に到着する。
山北駅は島式1面2線の地上ホームを有する御殿場線の駅である。
北口の駅舎とは跨線橋で結ばれている。
JR御殿場線はもともと東海道本線として敷設された路線である。
現在の東海道本線のルートは山岳地帯を通過するため、
当時の技術では建設が困難とされ、国府津から御殿場を経由して沼津に至る、
現在の御殿場線のルートで建設された。
それでも山岳地帯通過のために補助機関車の連結が必要になり、
その連結作業をしたのがこの山北であり、
山北機関区が併設されており、かつては鉄道の町として栄えた。
改札をSuicaで出場、駅舎取材をしてから山北鉄道公園に行く。
行き方が分からず、交番前にいたお巡りさんに教えて貰った。
跨線橋で北側に渡り、山北鉄道公園に行く。
公園自体はそれほど大きくなく、
保存されているD52形70号機がメインとなっている。
山北機関区に所属し、東海道本線時代の御殿場線の、
山岳地帯通過用の補助機関車として使用された7機のうちのひとつである。
1970年7月21日に山北鉄道公園は開業、
D52形70号機もこの時からは静態保存されていたが、
山北町が中心となり、圧縮空気による動態化が検討され、
2016年10月14日に動態復元された。
保存場所の手前に約12mのレールを継ぎ足して圧縮空気で走行する。
たった12mではあるが、動態復元されたD52形は、山北町の誇りである。
ここを十分に取材して、山北駅まで戻り、10:54の御殿場線で松田まで戻る。
事前にネットで調べて地図をプリントアウトして持参、
JR松田駅北口から徒歩移動で小田急新松田駅まで行く。
しかし新松田駅まで行って気付いたのだけれど、
JR松田駅南口からは小田急新松田駅とは道を挟んで隣接していた。
意味のない徒歩移動だった。
事前に調べておいた新松田駅近くの「ドゥルガダイニング」で昼食を喰い、
改めて小田急新松田駅を取材して、足柄駅を目指すことにする。
「Station-駅から始まる物語」を第1508回更新しました。
1780.富山地方鉄道立山駅を公開いたしました。
「気動車」を第900回更新しました。
国鉄一般形にキハ47 1035の画像を添付いたしました。
JR東日本一般型気動車一覧表を加筆修正いたしました。
8.363mの未乗車区間と松田の夏富士
08:40に新宿駅を出発した「ふじさん11号」は、09:37に秦野に着く。
ここから小田急小田原線は新松田に向けて南下し、
JR御殿場線をアンダーパスして新松田に至る。
しかし特急「ふじさん」はJR御殿場線と交差する直前、
下り方面の右側に363mの渡り線が設置されていて、
これを渡ってJR御殿場線に合流し、直後にあるJR松田駅に到着する。
JR松田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する御殿場線の駅である。
ホームの上り方で御殿場線とアンダーパスする、
小田急電鉄小田原線と渡り線が敷設されていて、
小田急ロマンスカーが御殿場線に乗り入れる。
単式ホームの1番線は小田急の特急専用となっている。
島式ホームの2番線は御殿場線上り国府津方面が使用、
3番線は御殿場線下り沼津方面が使用する。
画像は北口で、単式ホームに隣接する。
単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれ、
島式ホームの東北山方に下り階段が設置されていて、
ここに南口が設置されている。
南口は道路を挟んで小田急電鉄新松田駅と近接している。
一度北口を小田急1日全線フリー乗車券で有人改札を出場、
駅舎を取材してSuicaで再入場する。
跨線橋を渡って島式ホームに行く。
南口側に行くと、今通ってきた渡り線が見える。
13分の乗り換え時間で3番線で御殿場行きを待つ。
ホームからは夏富士が見える。
10:05に到着した313系に乗り込む。
松田駅で3分停車して10:08に松田を発車する。
2駅、9分の乗車で山北に到着する。
7.新宿駅の朝食とMSEの入線-旅の始まり
10月3日日曜日は、晴れていて天候的には問題はなかった。
朝食は喰わず、06:49の総武緩行線に乗車する。
幕張駅で乗り込む時に幕張車両センターから千葉まで回送される、
通称“千葉あずさ”に充当されるE353系を見掛けた。
予定では津田沼で始発に乗り換えて新宿まで行く予定だったが、
思ったよりも空いていたので津田沼では下車せず、
そのまま新宿まで行くことにした。
新宿到着は07:50で、乗り換え時間は50分ある。
まずは小田急の改札口まで行きここの券売機で、
1日全線フリー乗車券と「ふじさん11号」の特別急行券を購入する。
1日全線フリー乗車券は\2,000円、特別急行券は新宿から松田で700円だった。
まずは1日全線フリー乗車券で改札を入場する。
1番線、2番線の特急ロマンスカー専用ホームに、
70000形GSEが停車していた。
これを取材して駅弁を購入しようと思ったが、
前回売店があった場所はセブンイレブンになっていて、
駅弁は売っていそうもなかった。
仕方がないので外で弁当を買おうと思い、いったん改札を出る。
全線フリーきっぷなのでこういう芸当も出来る。
駅弁を買える場所を探していたが、駅蕎麦を見つけ、
まだ出発時間まで30分以上余裕があるので、
予定を変更してここで朝食を喰うことにした。
「箱根そば本陣」で小海老入りかき揚げ天・うどん530円喰う。
このあと再び1日全線フリー乗車券で入場し、列車の到着を待つ。
13分前に60000形MSEが入線してきた。
これは小田原を07:04に出発した「モーニングウェイ52号」である。
観光需要というよりも通勤需要として設定されている特急である。
車内清掃して折り返し08:40始発「ふじさん11号」となる。
入線前に売店でミックスサンド、コルネート、お茶などを買い車内に持ち込む。
車内の座席のグレードはあまり高くは感じないが、
特急料金から考えれば仕方がない。
むしろそれほど混んでいなかったのでこのグレードで十分である。
08:40定時に新宿駅を発車した。
松田駅までは1時間13分の旅である。
6.直前の杞憂と電話問い合わせ-最終計画決定
計画実行の2日前、ふと、疑問に思ったことがあった。
小田急の1日フリー乗車券は小田急の駅でしか利用できず、
JR松田駅で下車することが出来ないのではないか。
そこでJR松田駅で小田急の1日フリー乗車券を使わず、
改札を出る方法として、ひとつ前の秦野で下車し、
ここからは普通切符を購入して後続の特急に乗車することを考えた。
そのため今まで立てていた予定より早めに新宿入りし、
08:20新宿発の特急「はこね53号」で秦野まで行く。
後続の特急「ふじさん11号」は21分後に秦野に到着する。
この間に駅取材し、ここからは特急料金310円、運賃220円を払い、
JR御殿場線松田駅まで行くことにする。
小田急のホームページで確認すると、
“小田急お客さまセンター”でロマンスカーに関する疑問を、
電話で相談に乗って貰えるようである。
そこで出発前日の10月2日土曜日、
この“小田急お客さまセンター”には直電してみた。
係員が調べてくれ、小田急の1日フリー乗車券での下車が可能だと分かった。
ただ、自動改札は使えないでので、有人改札を使用する必要があるとのこと。
小田急の1日フリー乗車券で下車可能なのであれば、
秦野で下車する計画は“没”にして、
直接ロノンスカーで松田まで行く計画のままで、
計画を実行することにして、
前日で漸く最終計画は決定した。
10月3日日曜日
06:49幕張※-総武緩行線・三鷹行(6)-06:55津田沼[12]
07:07津田沼※-総武緩行線・三鷹行(53)-08:00新宿[40]
※小田急1日全線フリー乗車券2,000円購入
08:40新宿※-小田急「ふじさん11号」(73/1:13)-09:53松田[13] 特急料金700円
10:05-08松田-御殿場線・御殿場行(9)-10:15-17山北[38]
※山北鉄道公園
10:53-54山北-御殿場線・国府津行(8)-11:02-06松田
新松田-小田原線-足柄
※徒歩移動 大雄山線五百羅漢駅取材
足柄-小田原線-小田原
小田原-小田原線-相模大野
相模大野-小田急・江ノ島線-藤沢
※江ノ島線片瀬江ノ島駅
※江ノ島線鵠沼海岸駅
藤沢-東海道本線-大船
大船-横須賀線・総武快速線-津田沼
新松田からは時間を決めず、現場判断で計画を実行していく。
「Station-駅から始まる物語」を第1507回更新しました。
1779.富山地方鉄道本線岩峅寺駅を公開いたしました。
「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第607回更新しました。
「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
5.計画決定と一抹の不安
小田急ロマンスカーミュージアムの取材に端を発した、
小田急の1日フリー乗車券の旅だが、
相鉄海老名駅の完成を待って、
小田急ロマンスカーミュージアムを取材することにしたため、
メインは山北鉄道公園のSL取材となった。
午前中にこれを取材し、午後から未取材駅をいくつか取材したい。
小田急は新宿から小田原まで、新百合ヶ丘から分岐して唐木田、
相模大野から分岐して片瀬江ノ島と計120.5kmの路線を所有し、
駅数も70になるが、取材済は未発表も含めて9しかない。
そこで午後からはなるべく多くの駅取材をしたいと思う。
松田の渡り線363mの未乗車区間を乗車するために、
新宿から松田までは特急「ふじさん」で特急料金700円を払って利用、
ここからSuica使用で御殿場線で山北まで往復する。
山北鉄道公園でD52形70号機を取材、
徒歩移動で新松田まで行き、ここで昼食を喰ってから、
再び小田急小田原線で足柄まで行く。
徒歩移動で大雄山線五百羅漢駅まで行って駅取材する。
また足柄まで戻り、小田原線で相模大野まで戻り、
江ノ島線に乗り換えて藤沢まで行きここで夕食を喰う。
余力があれば江ノ島線で片瀬江ノ島、鵠沼海岸で駅取材する。
ここで小田急の取材を終了、JR東海道本線で大船、
横須賀線に乗り換えて総武快速線直通で帰宅する。
全国で一律に緊急事態宣言があけた10月に入って最初の日曜日、
10月3日日曜日にこの企画を実行することにした。
しかしよく考えてみたら、小田急の1日フリー乗車券は、
小田急の駅でしか利用できず、JR松田駅で、
下車することが出来ないのではないかと思った。
4.山北鉄道公園のSL-12mの動態保存
D52形蒸気機関車は戦時中の1943年から1945年にかけて、
全285両が製造された貨物用大形テンダー機である。
戦時輸送のために製造されたSLであり、
地方線区での貨物輸送のために設計されたD51形に比べ、
幹線輸送に趣をおいて設計されたが、戦時中であったこともあり、
設計通りの能力を発揮できず、事故や故障で廃車になる車両も出た。
また戦後、旅客輸送のためC62形に改造された車両もある。
東海道本線として開業し、のちに支線格となった御殿場線には、
国府津機関区に配属された7両が電化まで使用された。
その7両のうち、D52形70号機が山北鉄道公園に保存されている。
山北鉄道公園はJR御殿場線山北駅に近接した小さな公園で、
かつて山北機関区の跡地になっている。
開園は1970年7月21日で、
この時、D52形70号機は静態保存だったが、
現役時代の雄志を後世に残そうと山北町が中心となり、
圧縮空気による動態化が検討され、
2016年10月14日に動態復元された。
保存場所の手前に約12mのレールを継ぎ足し、
この区間を圧縮空気によって走行する。
たった12mではあるが、D52形が動く姿が見られるのは、
この山北鉄道公園だけである。
D52形はJR貨物広島車両所の1号機、
JR御殿場駅前ポッポ広場に保存されている72号機、
梅小路蒸気機関車館、現在の京都鉄道博物館に保存されている、
468号機は取材済だが、70号機は未取材である。
これの取材と絡めて小田急の1日フリー乗車券の旅を企画したい。
3.小田急小田原線とJR御殿場線の渡り線の歴史
小田急電鉄新宿駅を発着する特急ロマンスカーは、
箱根湯本行だけではなく、片瀬江ノ島や御殿場にも乗り入れている。
その中で、御殿場行きの「ふじさん」は、
JR御殿場線に乗り入れて御殿場までを結ぶ。
小田急小田原線とJR古田馬仙との渡り線が設置されているのが、
両鉄道線が交差する松田駅である。
新宿発の列車はJR小田原線をアンダーパスして新松田に着くが、
特急「ふじさん」は交差の直前に分岐して、
渡り線を渡ってJR御殿場線に入り、そのまま松田駅に停車する。
この駅で乗務員が交代して御殿場まで行くのだ。
JR御殿場線はもともと東海道本線として敷設された路線である。
現在の東海道本線のルートは山岳地帯を通過するため、
当時の技術では建設が困難とされ、公図から御殿場を経由して沼津に至る、
現在の御殿場線のルートで建設された。
東京から大阪を結ぶ官設鉄道として、
御殿場経由のルートの開通は1889年2月1日である。
小田急小田原線は1927年4月1日に全線が開業した。
この時は勿論、両鉄道線に渡り線は設置されていなかった。
昭和になって丹那トンネルが開削され、熱海経由の新ルートが完成すると、
新ルートが東海道本線となり、御殿場経由のルートは支線に格下げされた。
国府津から御殿場経由で沼津に至る区間は御殿場線と命名された。
戦時中、小田急は東急に合併していたが、
この時代に軍部から松田駅に御殿場線との連絡線設置が要望された。
海に近い熱海ルートが艦砲射撃などで不通になった場合、
御殿場線経由で小田急小田原線から、
新宿に乗り入れる代替ルートを確保するためだった。
用地買収や橋脚工事などが進んでいたが、
連絡線は完成することなく終戦を迎えた。
戦後、東急から独立した小田急は未成線だったこの渡り線を完成させ、
1955年10月1日から御殿場線への乗り入れを開始した。
当時は御殿場線が非電化のため、乗り入れ車両も高出力気動車を、
準急として運行するにとどまっていた。
しかし1968年4月27日に国府津から御殿場間が電化、
同時に渡り線も電化されたため、
同年7月1日から3000形SSEの電車特急の運行が開始された。
ロマンスカー「あさぎり」の誕生である。
1987年4月1日の国鉄分割民営化で、
御殿場線はJR東海に継承された。
小田急も経年劣化の3000形SEの置き換えを検討しており、
JR東海と協議して乗り入れ区間を沼津まで延伸、
小田急は20000形RSE2編成を新造、
JR東海も371系1編成を新造、この3本を「あさぎり」として運用、
1991年3月16日より相互乗り入れという形が完成した。
しかし利用者の低迷などもあり、経年劣化のRSEと371系は、
2012年3月17日のダイヤ改正を以て運用離脱、
再び小田急の片乗り入れとなり、運行区間も御殿場までに短縮された。
使用車両は60000形MSEとなり、愛称も「ふじさん」に変更された。
2.小田急ロマンスカーミュージアムの開業と海老名駅のリニューアル
相模鉄道は大手私鉄の中でも企業規模が小さく、
1990年4月にいずみ野線のずみ中央まで延伸で、
漸く大手私鉄の仲間入りしたものの、
全線開通しても路線の長さでは38.0kmと大手私鉄の中で最も短い。
首都圏の大手私鉄の中では唯一東京都に乗り入れていない。
そのため相鉄の東京乗り入れは同社の悲願だった。
2000年代になって相鉄とJR新宿湘南ライン、
東急目黒線、東急東横線との相互乗り入れプロジェクトが発足し、
JR湘南新宿線との乗り入れが2019年11月30日土曜に開業した。
この渡り線の完乗と羽沢横浜国大の駅取材を、
2020年1月11日土曜日に決行した。
新宿から始発で羽沢横浜国大に行き駅取材、
相鉄新横浜線から相鉄本線に乗り入れ、三ツ境で下車して駅取材、
海老名まで出て車両取材して昼食を喰う。
帰りはJR相模線で茅ヶ崎に出て、東海道本線で大船まで戻った。
この日、ビナウォークのラーメン店で昼食を喰い、
小田急と相鉄の駅を突っ切り、
ピナガーデンズを歩いて反対側のららぽーと海老名に行ったが、
その途中の看板で「ロマンスカーミュージアム」が、
2021年春に開業することを知った。
小田急海老名検車区には初期のロマンスカーが保存されていて、
これらを移設公開するのだろうと思った。
この「小田急ロマンスカーミュージアム」が、
2021年4月19日月曜日に開業した。
ここの取材を含めて小田急の駅取材を企画しようと思った。
小田急には小田急1日全線フリー乗車券があり、
価格は2,000円で全線が一日乗り放題になる。
最初はこの1日全線フリー乗車券で新宿からアクセスし、
このロマンスカーミュージアムを見学、
午後から小田急の未取材駅をできる限り取材しようと思った。
しかし相鉄海老名駅は現在リニューアル工事中で、
当初は2020年3月に完成予定だったが、
工事が遅れ完成が2022年度に遅れていた。
そこで「小田急ロマンスカーミュージアム」の取材は、
相鉄海老名の駅舎完成時に延期することにした。
1.小田急電鉄の歴史-設立と大東急時代と戦後の顛末
小田急電鉄は1923年5月1日に小田原急行鉄道の名で設立された。
鬼怒川水力電気を経営する利光鶴松氏によって計画された、
利光鶴松氏は郊外鉄道の将来性に着目して東京市内の地下鉄網の東京高速鉄道、
山手線を外周する東京山手急行電鉄、城西地区の開発を目的とした渋谷急行電鉄など、
新たな鉄道を計画したが、実現したのは小田原急行電鉄と渋谷急行電鉄だけだった。
小田原急行の本線格である小田原線は1927年4月1日に全線が開業した。
1929年4月1日には江ノ島線が全線開業した。
1940年5月1日には帝都電鉄を合併し、帝都線とした。
帝都線は山手線外部に第二環状線を形成する計画の東京山手急行電鉄が、
昭和恐慌により計画を頓挫、渋谷から 吉祥寺の路線敷設を計画していた渋谷急行電鉄と合併、
社名を東京郊外鉄道と改称して山手線第二環状線の建設を目指したが、
収益性の高い旧渋谷急行電鉄の路線の建設を優先することにして、
社名を帝都電鉄と改め、1933年8月1日に渋谷から井の頭公園の区間が部分開業、
1934年4月1日に井の頭から吉祥寺まで延伸して全通した。
東京山手急行電鉄が所有していた免許は実現することなく失効した。
小田原急行電鉄の親会社である怒川水力電気が電力の国家管理への移行のため、
日本発送電への統合することになり、鬼怒川水力電気は小田原急行電鉄を合併、
社名を小田急電鉄に変更して鉄道事業に業態を変更した。
しかし中国・山東半島での鉱業への進出失敗などにより経営が悪化、
五島慶太の東京横浜電鉄に事業を譲渡することになった。
戦時中の1942年5月1日に陸上交通事業調整法の趣旨に則り、
京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、同社は社名を東京急行電鉄に変更した。
1944年5月31日には京王電気軌道も東京急行電鉄に統合された。
戦後、1948年6月1日に陸上交通事業調整法の趣旨により合併した、
京王帝都電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄が分離されることになった。
分離に際して東京急行電鉄系列下であった箱根登山鉄道を小田急が渇望し、
その傘下入れる代償として井の頭線を分離し、
経営基盤が脆弱であった京王に組み入れることとなった。
そのため、京王は井の頭線の旧経営会社である帝都電鉄の名を復活させ、京王帝都電鉄とした。
1998年7月1日、会社設立50周年を機に京王電鉄に社名変更した。
1950年8月1日には箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本までの乗り入れを開始、
翌年には1700形がロマンスカーの愛称を使用して運行され、
1957年6月22日には3000形がロマンスカー“SE”として登場、
特急専用車両による本格的な運行が開始された。
優等列車である小田急ロマンスカーは私鉄有料特急の中でも観光特化の列車として有名である。