イギリスの学問の古都ケンブリッジ。
街を南北に貫くケム川沿いに建てられた大学。
川の両側にある施設を行き交う橋がところどころにかけられている、なんとも不思議な800年の歴史を持つ大学と街だ。
31のカレッジが構成する学術コミュニティーのような大学は、セントメアリー教会の時を知らせる鐘の音が聞こえる範囲に暮らすことが義務付けられていたという。
数百年の時を塗りこめてきた建物の壁には、重厚な歴史が生活の寄り添って過ごし、勉学に勤しむ覚悟を、学生たちに植え付けているようだ。
「日時計の時計塔」や「時間を食べる時計」など、永い学問の街として成り立ってきたケンブリッジの教訓が、建物の壁と共に、あるいは大学と街を貫く川の流れのように、「時間は止まることなく過ぎ去り、決して人を待つことはない、ゆえに時間は大切に使わなければならない。」と、あらゆるものに刻み込まれている。
歴史そのものを体現している街に住んでいると、人の持っている時間の短さを嫌顔にも実感させられてしまう。
目に見える、数百年の重みを背負った日本の街に暮らしたことがない。
歴史的遺産としての建造物は、数箇所点在してはいたが、あえてそこに行かなければ、出会えない、限定的なものだった。
生活との接点は、ほぼ無いといっていい。
だから、日本のことの代表格の奈良・京都・鎌倉を散策した時には、日本家屋や塀、昔の面影を残す小道を歩き、そこに暮らす人々は、日本の歴史を肌身で感じながら生きていて、それを体験しないで成長した自分とは、大きく異なる精神形成をするのだろうと、何か日本人として足元がおぼつかなくなるめまいを感じた。
日本文化に深く根ざした建築様式の家に住まず、着物姿になることも見ることもなく、街並みもてんでばらばらのようすに、太平洋戦争以前と以後では、日本の文化様式がすっぱりと断ち切られた感がある。
子供の頃、日本の歴史を習っていても、現在の自分と繋がりのないフィクションのような違和感を覚えた。
初めてヨーロッパを旅した時に、大概どの街も新しくても17・18世紀あたりの建築様式で統一され、そこに住み続ける人たちは、個人が歴史の一部を担っていると意識せずには居れないであろう印象を受けた。
ベニスなどは、14世紀からの建物が現役だったりして、地中海の栄華をほしいままにした華々しい歴史を実感し、誇りを持つ市民たちを思い、羨望を抱いた。
身近に自国の文化や歴史を感じていくことは、とても大切なのではないか?
狭量のナショナリズムではなく、他国の文化や歴史・慣習を尊重するために、偏見に囚われない中立な感覚を養うためにも、まずは足元をしっかりと固めなくてはいけない。
とくに、交通手段、物流・情報や人の流れのグローバル化が進む傾向のなか、日本人としてのアイデンティティーの確立を強固にしないと、日本が分解消滅するような危機感がある。
このままでいくと、ユネスコから「日本」が世界遺産と認定され、WWFに絶滅危惧種として登録されるかもしれない・・・
冗談で済めばいいけれど。
消滅したり、忘れ去られることは、究極の「死」に値する。
「時間は待ってくれない。」
しかし、積み重ね、刻んでいくことはできる。
今の日本人が失ったものが何であるか、ケンブリッジに刻み込まれた時の重さと軽さが、思い出させてくれた。
これから、どうなるか分からない未来だが、もし新たに街を復興させるならば、日本の伝統文化を考慮してみるのもいいのではないかと思う。
日本人の誇り持ち、新しい世界を生き抜いていくためにも。
街を南北に貫くケム川沿いに建てられた大学。
川の両側にある施設を行き交う橋がところどころにかけられている、なんとも不思議な800年の歴史を持つ大学と街だ。
31のカレッジが構成する学術コミュニティーのような大学は、セントメアリー教会の時を知らせる鐘の音が聞こえる範囲に暮らすことが義務付けられていたという。
数百年の時を塗りこめてきた建物の壁には、重厚な歴史が生活の寄り添って過ごし、勉学に勤しむ覚悟を、学生たちに植え付けているようだ。
「日時計の時計塔」や「時間を食べる時計」など、永い学問の街として成り立ってきたケンブリッジの教訓が、建物の壁と共に、あるいは大学と街を貫く川の流れのように、「時間は止まることなく過ぎ去り、決して人を待つことはない、ゆえに時間は大切に使わなければならない。」と、あらゆるものに刻み込まれている。
歴史そのものを体現している街に住んでいると、人の持っている時間の短さを嫌顔にも実感させられてしまう。
目に見える、数百年の重みを背負った日本の街に暮らしたことがない。
歴史的遺産としての建造物は、数箇所点在してはいたが、あえてそこに行かなければ、出会えない、限定的なものだった。
生活との接点は、ほぼ無いといっていい。
だから、日本のことの代表格の奈良・京都・鎌倉を散策した時には、日本家屋や塀、昔の面影を残す小道を歩き、そこに暮らす人々は、日本の歴史を肌身で感じながら生きていて、それを体験しないで成長した自分とは、大きく異なる精神形成をするのだろうと、何か日本人として足元がおぼつかなくなるめまいを感じた。
日本文化に深く根ざした建築様式の家に住まず、着物姿になることも見ることもなく、街並みもてんでばらばらのようすに、太平洋戦争以前と以後では、日本の文化様式がすっぱりと断ち切られた感がある。
子供の頃、日本の歴史を習っていても、現在の自分と繋がりのないフィクションのような違和感を覚えた。
初めてヨーロッパを旅した時に、大概どの街も新しくても17・18世紀あたりの建築様式で統一され、そこに住み続ける人たちは、個人が歴史の一部を担っていると意識せずには居れないであろう印象を受けた。
ベニスなどは、14世紀からの建物が現役だったりして、地中海の栄華をほしいままにした華々しい歴史を実感し、誇りを持つ市民たちを思い、羨望を抱いた。
身近に自国の文化や歴史を感じていくことは、とても大切なのではないか?
狭量のナショナリズムではなく、他国の文化や歴史・慣習を尊重するために、偏見に囚われない中立な感覚を養うためにも、まずは足元をしっかりと固めなくてはいけない。
とくに、交通手段、物流・情報や人の流れのグローバル化が進む傾向のなか、日本人としてのアイデンティティーの確立を強固にしないと、日本が分解消滅するような危機感がある。
このままでいくと、ユネスコから「日本」が世界遺産と認定され、WWFに絶滅危惧種として登録されるかもしれない・・・
冗談で済めばいいけれど。
消滅したり、忘れ去られることは、究極の「死」に値する。
「時間は待ってくれない。」
しかし、積み重ね、刻んでいくことはできる。
今の日本人が失ったものが何であるか、ケンブリッジに刻み込まれた時の重さと軽さが、思い出させてくれた。
これから、どうなるか分からない未来だが、もし新たに街を復興させるならば、日本の伝統文化を考慮してみるのもいいのではないかと思う。
日本人の誇り持ち、新しい世界を生き抜いていくためにも。