今週の「美の巨人たち」は、フェルメール「地理学者」。
43年という生涯の中で、現存する作品が36点と寡作な作家だ。
しかし、悔しいことにその作品どれもが完成度が非常に高く、つまり駄作がないのだ。
画家自らが選別して、納得のいく作品以外は処分したのではないかと勘繰ってみたくなる。
凡才のひがみ・・・
フェルメールの作品は、構図・色彩・ドラマ性・高度な技法・時代性など、どれをとっても練られている。
鑑賞者の間口は広く、奥は深い。
観る者全てに語りかける術を持っている。
普遍性を具えた、稀有な作品を描いた画家。
表現を志すものにとって、それがどんなに難しく、激しく切望するものか!
神の領域。
フェルメールは、自分の作品が「神の領域」に到達したと認識したのであろうか?
おそらく、確信していただろう。
描くモチーフや主題は、宗教色は薄くともすると風俗画として見られ低く扱われることを知りながらも、小説的世界を描き続けた。
神の御技の光を中心に据えて、平易な言葉で語り続けたのだ。
だから、派手さや荘厳さはないけれど、見続けているとその世界の広さと深さがひたひたと身に染み入ってくる。
そこでは、光によって照らし出されるものと、それ以外の影の中にも形と色彩が存在し、真の闇は存在しえないのだと言っている。
画面の隅々まで、画家の愛が行き渡っている。
彼の絵を観ていると、いつまでたっても飽くことがない。
むしろ、もっと観ていたいと、観なくてはいけないとすら思ってしまう。
無限の空間を持った世界に、魅入られてしまうのであった。
心地よく愛に満ちた完璧な世界は、地上にある天国の覗き窓かジオラマであろう。
何も、プルーストに見出されずとも、フェルメールはその存在が返り咲く、復活するのを約束された画家だったのだ。
完全な死とは無縁の、奇跡的な画家フェルメールよ!