rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

トカゲ君と遊ぶ

2011-06-20 23:22:32 | 生き物たち
とうとう、梅雨特有のムシムシと暑い日がきてしまった。
寝具の上掛けを夏用に取り替え、半そでのTシャツを箪笥に入れ、エアコンのほこりを掃った。
それから、庭に出て、十分に育ったプチトマトの苗を、大きな鉢に植え付けをした。
そして、体が暑さに慣れてきたのを見計らい、今まで横目で見やっていた、温度と湿度でやたらと勢いついた雑草を取ろうと決心した。
芝に蔓延るカタバミや血止め草を目の敵にして、鎌を使わずに手でむしりとる。
ぶちぶちぶち・・・と、地面に蔓延る茎をはがす音が、静かな庭に響く。
ねこは、人がいると安心して、気持ちよくまどろんでいる。
薔薇に棲んでいたアマガエルが、この近辺を徘徊していたヘビの”チロ”に食べられてしまったと思い、落胆していたが、ラズベリーの葉の上に発見して、安堵した。
そうして、もくもくと雑草を退治していたら、植木鉢の陰に隠れていたらしいトカゲが、ちょろちょろ這い出してきた。
すぐにどこかへ逃げ隠れるだろうと思っていたら、いつまでもうろちょろしているではないか。
尻尾の先まですうっと伸びた、褐色のトカゲ。
よくぞいままで、あのねこの魔の手から逃げ果せているものだと、感心した。
そうしたら、ある出来心がむくむくと芽生えてきた。
「捕まえてみよう」
二度ほどで、なんなくトカゲを捕まえられた。
あらら、おやおや、こんな調子で大丈夫なの?
出来心はさっさと抑え、トカゲをすぐさま開放した。
普通ならば、驚いたトカゲは一目散に植木鉢の下へでも隠れるはず。
なのに、相変わらず人の周りをちょろちょろしている。
もしかして、遊んでいるのかな?
それとも、ねこからうまく逃げ果せているのを自慢しているのかしら。
なにはともあれ、もくもくとやっていた草取りが、トカゲとアマガエルとねこの存在のおかげで、楽しい時間になった。
こうしてブログにも書くことが出来たし、みんな、ありがとう。

アーノルド・ロベール「ふたりはともだち」、あるがままを受け入れること

2011-06-20 00:01:04 | 本たち
これもまた、小さい人に読んだ絵本のこと。
アーノルド・ロベール作「ふたりはともだち」は、がまくんとかえるくんが主人公。
わがままが目立ちうっかり者のがまくんと、彼に献身的に支える賢く優しいかえるくんは、大の親友。
こう説明すると、不公平な感じを抱く。
現に、全くの平等ではない。
それなのに大の親友なのだ。
たいていの話、がまくんに振り回されるかえるくんの姿がある。
なのにどうしてかえるくんは、がまくんと友達でいるのだろう。
それは、不器用なりに誠意を持ったがまくんを、かえるくんは「愛」しているからだ。
”おはなし”には、がまくんが真剣にかえるくんを思いやる姿が書かれている。
かえるくんの期待にこたえようとする、切ないくらい愚鈍に奮闘するがまくんだ。
そんながまくんの姿に、「愛」をかえるくんは見たのだろう。

「愛」、とても難しい行為。
好き・嫌い全てひっくるめて、あるがままを受け入れることだと思う。
利害などの入り込む余地はない。
その、「あるがままを受け入れる」ことの難しさよ。

がまくんは、自分にはとても出来ないだろうと思う難しいかえるくんの願いを、渾身の力振り絞って、自分に考えできることをしようと努力したのだ。
かえるくんの身になってみて、願いを叶えようとした。
そして、かえるくんは、がまくんの気持ちを汲み取って、たとえかえるくんの願いを叶えることが出来なくとも、その全てを受け入れる。
相手の立場にたってみるという「思いやり」が、ひいては「あるがままを受け入れる」、「愛」につながっていくのだろう。

単純な物語の中に、大きなものが詰まっている。
読むたびに、その中身が目の前に少しずつ現れ出てくる。
子供だけの物語としてしまうにはもったいない、どの世代にも通じる、心に湧きだす清らかな泉の源泉になるべき物語になるだろう。
これは、”がまくんかえるくんシリーズ”の中の一冊で、あと三冊ある。
愛に満ち溢れた、よい本である。