「世界ふれあい街歩き」、イタリアとの国境に面した街で、ルガーノ湖のほとりにあるスイスのルガーノ。
街の北側にそびえるアルプスの峰峰が、冷たい北風から街を守る。
南から流れ込んでくる暖かい空気は、街を暖かく住み良いところにしている。
ルガーノは、自然条件に恵まれた穏やかな街だ。
スイスは、多言語国家。
イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語の4つの言語だ。
ルガーノは、イタリアに接しているから、イタリア語。
そんな多言語国家ならではか、切手には”HELVETIA"(ヘルヴェティア)と書かれていた。
使用言語比率は、圧倒的にドイツ語が6割強と多く、ロマンシュ語にいたっては5分しかいない。
しかし、それぞれの言語表記を併記できない場合(硬貨や切手などスペースがないもの)は、ラテン語の”HELVETIA"を記述する配慮がなされている。
多言語・多民族国家、しかもラテン語という今では学術・専門・祭祀宗教にのみ使われている、いわゆる死言語を使う心憎い気配りではないか。
また、スイスは、早くから電気自動車導入を推進している国だ。
海に面した国々は、安易に汚染物質を海洋投棄できるが、この国ではそれがままならない。
そんな山岳地帯にある観光立国が、そういう選択肢を採らせたのだろう。
それで街には、充電器を設置し、年間使用量を収めると充電器の鍵を渡され、いつでも使用できる仕組みになている。
街によっては、ガソリン車禁止や自家用車を制限しているところもある。
自動車道路よりも、鉄道網が整備されていて、長距離の移動を、列車に自動車を積んでする。
こうした徹底振りでないと、自然と環境保護はできないのだろう。
徹底振りのサンプルに、ゴミ集積箱の地下埋設には驚いた。
確かに景観を保てる。
そのゴミ収集法にも、二度ビックリした。
一人の作業員がハイテクなゴミ収集車を使い、リモートコントロールで操作、クレーンアームを動かしてゴミ集積箱をつり上げ回収する見事さよ。
ゴミの日に、路上に山積みにされるゴミ袋、破れてゴミが散乱し、悪臭を放つ光景が日常化している日本とは、大きく違う。
どうやら、システム整備の観点が、根本から違うのだ。
この街には、19世紀の建物と現代建築がとても上手く混在共存している。
マリオ・ボッタという建築家の作品が、市内とルガーノ近郊のモンテ・タマロの山上などで、その魅力を放っている。
現代的な感覚を採り入れつつ、古いものと調和する精神を持って、建築する。
否定の上に前進するのがよいとされがちな昨今、彼の建築精神は、寛容である。
長生きの秘訣を答えた101歳になる老婦人は、「人と喧嘩せず、人のいう事を聞く寛容な心持で、自分をしっかりもっていたからだ。」と言った。
それは、「文化・文明は、先人たちの道を踏襲しながら、自分の信念を持って新しい道を模索なさい」と言われているような気がした。
生きているからには、時間の経過は無視できない。
過去を否定は出来ないのだ。
だから、過去と未来のどちらかに偏ってはいけないのだ。
過去を踏まえていきながら、未来に進んでいこう。
新しく生まれたにしても、過去を踏まえたうえでのことに回帰しよう。
ルガーノは、新旧交々交じり合いのたいせつさを、どうぞと気前よく見せてくれる街であった。
街の北側にそびえるアルプスの峰峰が、冷たい北風から街を守る。
南から流れ込んでくる暖かい空気は、街を暖かく住み良いところにしている。
ルガーノは、自然条件に恵まれた穏やかな街だ。
スイスは、多言語国家。
イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語の4つの言語だ。
ルガーノは、イタリアに接しているから、イタリア語。
そんな多言語国家ならではか、切手には”HELVETIA"(ヘルヴェティア)と書かれていた。
使用言語比率は、圧倒的にドイツ語が6割強と多く、ロマンシュ語にいたっては5分しかいない。
しかし、それぞれの言語表記を併記できない場合(硬貨や切手などスペースがないもの)は、ラテン語の”HELVETIA"を記述する配慮がなされている。
多言語・多民族国家、しかもラテン語という今では学術・専門・祭祀宗教にのみ使われている、いわゆる死言語を使う心憎い気配りではないか。
また、スイスは、早くから電気自動車導入を推進している国だ。
海に面した国々は、安易に汚染物質を海洋投棄できるが、この国ではそれがままならない。
そんな山岳地帯にある観光立国が、そういう選択肢を採らせたのだろう。
それで街には、充電器を設置し、年間使用量を収めると充電器の鍵を渡され、いつでも使用できる仕組みになている。
街によっては、ガソリン車禁止や自家用車を制限しているところもある。
自動車道路よりも、鉄道網が整備されていて、長距離の移動を、列車に自動車を積んでする。
こうした徹底振りでないと、自然と環境保護はできないのだろう。
徹底振りのサンプルに、ゴミ集積箱の地下埋設には驚いた。
確かに景観を保てる。
そのゴミ収集法にも、二度ビックリした。
一人の作業員がハイテクなゴミ収集車を使い、リモートコントロールで操作、クレーンアームを動かしてゴミ集積箱をつり上げ回収する見事さよ。
ゴミの日に、路上に山積みにされるゴミ袋、破れてゴミが散乱し、悪臭を放つ光景が日常化している日本とは、大きく違う。
どうやら、システム整備の観点が、根本から違うのだ。
この街には、19世紀の建物と現代建築がとても上手く混在共存している。
マリオ・ボッタという建築家の作品が、市内とルガーノ近郊のモンテ・タマロの山上などで、その魅力を放っている。
現代的な感覚を採り入れつつ、古いものと調和する精神を持って、建築する。
否定の上に前進するのがよいとされがちな昨今、彼の建築精神は、寛容である。
長生きの秘訣を答えた101歳になる老婦人は、「人と喧嘩せず、人のいう事を聞く寛容な心持で、自分をしっかりもっていたからだ。」と言った。
それは、「文化・文明は、先人たちの道を踏襲しながら、自分の信念を持って新しい道を模索なさい」と言われているような気がした。
生きているからには、時間の経過は無視できない。
過去を否定は出来ないのだ。
だから、過去と未来のどちらかに偏ってはいけないのだ。
過去を踏まえていきながら、未来に進んでいこう。
新しく生まれたにしても、過去を踏まえたうえでのことに回帰しよう。
ルガーノは、新旧交々交じり合いのたいせつさを、どうぞと気前よく見せてくれる街であった。