rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

大きなおにぎり

2011-06-01 23:36:23 | 随想たち
小さい人が、アトリエにやってきた。
手には、食べかけのおにぎりを持って。
>ちょっと大きかった?
>大丈夫、きっと食べ切れるよ。
 帰ってきてすぐ見つけたんだけど、宿題終わらせてから、ゆっくり食べようと思ったの。
>そう、えらいね。
 おにぎり、ちょっと大きいと思ったんだけど、お昼に炊いた残りで作ったから大きくなったの。
>大好きなおにぎりだから、ピクニック気分で食べて楽しいし、平気。

最近、食べ盛りの小さい人(いつまでこの呼び方が出来るかな?)、学校から帰ると、一膳分の冷ご飯を食べる習慣となっている。
今日は、お昼にご飯を炊いたので、その残りでおにぎりを握ることにした。
案の定、小さい人は大喜び。
自分も子供の頃、夕飯までの空腹を、母が握ってくれたおにぎりが満たした思い出が懐かしく、小さい人にもその気持ちを分けたかったから。
子供にとって、母親とは安心以外の何ものでもない。
そして、日常の何気ない『おにぎり』一つで、”幸せ遺伝”ができるなら、それで子供の心が愛情で満たされるなら、かけがえのない何にも勝る『おにぎり』となるだろう。

今日のおにぎりは、小さい人にとって、どんな『おにぎり』になったのか・・・
ときどきは、「おにぎり」を一つ作っておこう。
きっと、思いがけない宝物発見の気分で、小さい人が目を輝かせると思うから。 

バーボンを味わいながら、アーシル・ゴーキーの絵

2011-06-01 00:47:38 | アート
今日も気温15度に満たない、5月末の梅雨冷の日。
せっかくしまった冬物の服を出すのは惜しいので、あるもの手当たり次第に重ね着をした。
そんな夜、それでもなかなか温かくならないので、体の中から温める高アルコールのバーボンを少し飲んでみる。
バーボンを口に含むと馥郁たる香りが、口内から鼻腔に広がり、焼け付くような刺激を伴って咽喉を滑り降りていく。
少しずつ、ゆっくりと、香りと刺激を楽しむ、いつの間にか、手の指先まで温かくなっている。

バーボンを初めて知ったのは、二十歳になって間もない頃。
アメリカ帰りの絵描きの人、絵の先生、今では友達でもある方が、愛飲していた。
ときどき、仲間とその方の家に遊びにいき、美術に関することはもちろんのこと、本や海外の体験談、その他諸々の話に花を咲かせながら、美味しい手料理とバーボン(ジャックダニエル)をごちそうになった。
もちろん、ほかにウォッカやウィスキー、ジンに日本酒、いろいろな種類の酒を飲み比べてみたりもした。
初めて本格的に外界に触れた、好奇心旺盛な青春の良き日。

そこで、アーシル・ゴーキーについての熱い語りを聞いた。
絵だけは、何度も目にする機会こそあれ、深く印象に残してはいなかった。
その方の熱い思いがきっかけとなって、ゴーキーが数多の画家から注意を払う画家に浮上することになった。

  芸術家と母

  風景・テーブル

”抽象表現主義”、具象的イメージを元に抽象化したような画面構成。
初期の『芸術家と母』をみると、その後の変化がわかりやすいだろう。
カンディンスキー、マルケ、ミロの系譜。
彼の描く線は、繊細すぎる気がする。
画面の細部、隅まで神経質に目配りがされている。
これは、基本なのだが、その気配りが目立ってしまうのだ。
線が細いのも個性化もしてない、でも、彼の心の現われともとれる。
押しの強さは、更に抜きん出るための重要事項。
ゴーキーには、そこが足りなく、時代の代表格に手が届かない理由かもしれない。
それでも、そこがかえってよいのだ、控えめな芸術も。
彼の使う黄色は、やさしく、心を落ち着けてくれるから。