rock_et_nothing

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シャッター街、日本中にゴーストタウン予備軍発生中か?

2012-02-19 23:28:33 | つぶやき&ぼやき
かつては県下第二位として栄えた街の繁華街を、通った。
駅前再開発と称して建てられた、大型ショッピングビルが、寂しく聳え立っていた。
その周りに、かつて商店街として活気があった店舗は、日曜の午後だというのに半分以上営業していないのだろう、シャッターが下ろされている。
片側一車線あれば広いような、そんな道が、くねくねと縦横無尽に走る。
地方都市の成人一人に一台自動車を保有する自動車社会では、広い道と広い駐車場が好まれる。
自動車で目的地に乗り付けて、しかも、なるべく歩かないように入り口近くに駐車して、用を果たしたいと思う風潮。
だから、目的地駐車場がないか不足していると、不便だといって、そこへは足が向かなくなるのだ。
こうして、いわゆる旧市街は、寂れていく。
自分が若い頃住んでいた街も、往時の賑わいは全くない。
今日通り過ぎた街も、同じ道を辿っているのだろうと思い眺めていた。
郊外型大型店は、ご存知の通り大変便利である。
店の構成は、大抵どこも共通しているらしく、何十キロ離れている店舗に行っても、戸惑うことなく買い物できるから、安心感がある。
しかし、面白みは全くない。
自分がへそ曲がり変人系だからそう思うのか、物を探して歩くワクワク感が得られない。
知らない路地を進んでいく冒険心を、満たしてはくれない。
快適な買い物をするにはこうあるべきとあらかじめ用意されたコースを、おとなしく従い歩くのは、真っ平ごめん蒙る。
商店主の個性と意気込みがある、そのような街で買い物をしたい。

また、人口減少が当たり前のように予測できたはずなのに、次々と街を拡大拡散するのは、ただの消費行動。
老朽化して耐久性に問題がなければ、その建物を利用して次に生かす。
どうにもならないものは取り壊しても、なるべく無闇に建てるのではなく、50年100年の先を見据えた都市計画に従い、街を再生させていくべきだろう。
シャッターを下ろしたままの旧市街は、次第にゴーストタウン化。
同心円状に広がり、または飛び地のように出来た町は、今から50年と経たないうちに、古くなり利用価値がなくなったとか、そこに住み着いた世代がいなくなり、空き家が点々と増えるだろう。
次から次に建物を立て、打ち捨てて他へまた建てて移っていく。
取り壊し、整地する費用を惜しむ、無責任な人たちによって、ゴーストタウンは製造されるのだ。
時々ある廃墟は、物寂しく美しかったりもするが、廃墟だらけでは何の良さもない。

わざわざ切り開いた場所にある新興住宅地をみると、その何十年後に憂いを覚える。
そうしたところに住居を構えるのには、同情できる理由はある。
土地の値段が、まず高すぎる。
一戸建てをもつのが、理想とされている。
賃貸住宅の家賃が高いから、住宅ローンと天秤かけたくなる。
などなど・・・
社会制度、経済システム、人生の理想形、様々な要因が絡み合っているので、どこかを変えれば収まるものではないけれど。

人の一生で、暮らす場所や住む家は、かなり流動的。
特に都市部に住む場合は、人生のステージに合わせた住環境に変えやすい社会にすると、既存の街が上手く活用できるのではないかと考える。

シャッター街を見て、無性に悲しくなってしまった一日であった。