「世界ふれあい街歩き」イタリアのサルデーニャ島 にある古い港街カリアリ。
ローマからフェリーで14時間のところにあり、3000年以上昔、ローマ人が来る前より、独自の文化を花開かせてきた街だ。
長い歴史を持つ街らしく、建物の様式も多様で、壁の色をジョンブリヤン、サーモンピンク、ライトレッドなどに塗り分け、古くいかめしい扉との対比が楽しい。
遺跡も、あちこちにたくさん残っている。
古代ローマの地下採石場は、音響がよく、コンサートを催して古代に思いを馳せ、一世紀から二世紀にかけて建造された古代ローマの円形闘技場は、夏に劇場として利用できる。
ヌラーゲ・ス・ヌラージは、カリアリ近郊にある4000年以上前の遺跡。
サルディーニャ島に7000以上もあるといわれているヌラーゲ、要塞とも住居ともその用途はわかっていないらしい。
遺跡のほかにも、今なお根付く文化がある。
ラウネッダスは、サルディーニャ特有の葦で奏者が自ら作る伝統楽器の葦笛。
3本同時に演奏するので、音が途切れない、鼻から息を吸い口から吐く循環呼吸は、古代エジプト伝来の演奏法。
3本のうちの長い一本はベース音、他の二本でメロディーを奏でるのだ。
この島の人にとってラウネッダスの音色は、心の音楽。
サルディーニャ人を強く意識し、誇りに思うのだという。
バレストラは、中世の武器で、大きなボウガンのようなもの。
カリアリは、イタリア全国大会で2位になるほどの強豪チーム。
弓を引くよりも巻き上げる駆動部分には、1500キログラムもの力が掛かり、太い鉄の矢を物凄い勢いで飛ばせる。
矢が的に突き刺さるときは、ドッスッという重い音が響き、その威力を見せ付けれくれる。
街の中には、アンティーク家具の修理屋が、店を構えている。
店というよりも、工房、作業場といったほうが近いかもしれない。
主の年配の男性は、1700年代のサルディーニャ製の椅子が、ここで一番古いものだと自慢する。
元の色に塗りなおし、蘇らせる予定だという。
その作業場に、見事な彫りのベッドのヘッドボードを指して、バラと貝殻が彫刻してあるが、これを作りこむのに6ヶ月は掛かるだろうと、物への愛着と作り手への敬意を語っていた。
カリアリには、使い捨てではない、昔のものを直しては使うものを大切にする習慣があると、誇らしげに話す姿は、自分達の文化への自負心がにじみ出ていた。
中世の衣装を纏った人が、歩いていると、時代をタイムスリップしたかのよう。
その彼らの行く先は、中世レストラン。
中世の格好をして中世の料理で、自分達のルーツを忘れないように、みなで楽しく飲み食いし、歌う。
「黒ワインの歌」は、カンピタ地方のワインの歌で、美味しいワインに感謝する歌なのだそうだ。
サルディーニャ人は、大のワイン好き。
ワインの一大産地でもある。
この島に古くからあるブドウを使ってのワインもあるそうだ。
港近い倉庫では、ワインの量り売りをしている。
1リットル0.85ユーロから、度数の高さとブドウの品種で値段が決まるらしい。
客が持ち寄った容器に、ガソリンの給油のようにワインを注ぐ豪快な売り方は、いかにワインが多く消費されているかを物語っている。
サン・ベネデット市場は、鮮魚ではイタリア随一の売り場面積を誇る。
日本でも馴染みがあるカラスミは、ここの特産品。
すりおろしたカラスミを、茹でたパスタにたっぷりとふりかけからませて食べる。
塩気がマイルドなので、たくさんかけても大丈夫なのだそうだ。
あと、値は高めだが、ウナギも食べる。
ウナギのパナーダは、家庭料理。
ぶつ切りウナギ、ジャガイモ、ニンニク、パセリ、ドライトマトをパイ生地で包んで焼き上げる。
ウナギの味がパイ生地にしみこんで、とても美味しいのだが、ボリューム満点なので、1個食べれば満足だ。
ほかに、ホシザメも食べる。
皮をむいたホシザメを茹で、胡桃のペーストと一緒にオリーブオイルで炒め、12時間マリネしてから食べるらしい。
これは、想像できない味。
映像で見る限りでは、旧市街とはいえ、再開発などで街が、きれいに取り繕われてはいないようだ。
イタリア本島から離れているから?
それとも、イタリアは、ヨーロッパバブルの仲間入りをしなかったのか。
時々人は、自分の利点を忘れることがある。
確かに、そこに暮らす人たちは、便利な最新式の住環境に憧れる。
とくに、時間に終われて多忙を極めるならば、なおのこと。
それでも、使えるものならばそのままに、または修理や改修をして使い続けられたなら、そのほうがいい。
文化と、それをなした先人の労に報いる為にも。
不自由さをあえてし、しのぶことで培われる心のゆとり。
その様な、真の豊かさをカリアリの人は持っているのだろう。
過去を過去として葬らないで、今を共に歩んでいく。
積み重なる地層は、下の層が上を支えているのだ。
切り離すことはできない。
ましてや、なかったことにして忘れてしまうなどとは。
自分達のルーツを忘れてはいけないのだ。
今夜もまた、カリアリは、その様なことを教えてくれたのであった。
ローマからフェリーで14時間のところにあり、3000年以上昔、ローマ人が来る前より、独自の文化を花開かせてきた街だ。
長い歴史を持つ街らしく、建物の様式も多様で、壁の色をジョンブリヤン、サーモンピンク、ライトレッドなどに塗り分け、古くいかめしい扉との対比が楽しい。
遺跡も、あちこちにたくさん残っている。
古代ローマの地下採石場は、音響がよく、コンサートを催して古代に思いを馳せ、一世紀から二世紀にかけて建造された古代ローマの円形闘技場は、夏に劇場として利用できる。
ヌラーゲ・ス・ヌラージは、カリアリ近郊にある4000年以上前の遺跡。
サルディーニャ島に7000以上もあるといわれているヌラーゲ、要塞とも住居ともその用途はわかっていないらしい。
遺跡のほかにも、今なお根付く文化がある。
ラウネッダスは、サルディーニャ特有の葦で奏者が自ら作る伝統楽器の葦笛。
3本同時に演奏するので、音が途切れない、鼻から息を吸い口から吐く循環呼吸は、古代エジプト伝来の演奏法。
3本のうちの長い一本はベース音、他の二本でメロディーを奏でるのだ。
この島の人にとってラウネッダスの音色は、心の音楽。
サルディーニャ人を強く意識し、誇りに思うのだという。
バレストラは、中世の武器で、大きなボウガンのようなもの。
カリアリは、イタリア全国大会で2位になるほどの強豪チーム。
弓を引くよりも巻き上げる駆動部分には、1500キログラムもの力が掛かり、太い鉄の矢を物凄い勢いで飛ばせる。
矢が的に突き刺さるときは、ドッスッという重い音が響き、その威力を見せ付けれくれる。
街の中には、アンティーク家具の修理屋が、店を構えている。
店というよりも、工房、作業場といったほうが近いかもしれない。
主の年配の男性は、1700年代のサルディーニャ製の椅子が、ここで一番古いものだと自慢する。
元の色に塗りなおし、蘇らせる予定だという。
その作業場に、見事な彫りのベッドのヘッドボードを指して、バラと貝殻が彫刻してあるが、これを作りこむのに6ヶ月は掛かるだろうと、物への愛着と作り手への敬意を語っていた。
カリアリには、使い捨てではない、昔のものを直しては使うものを大切にする習慣があると、誇らしげに話す姿は、自分達の文化への自負心がにじみ出ていた。
中世の衣装を纏った人が、歩いていると、時代をタイムスリップしたかのよう。
その彼らの行く先は、中世レストラン。
中世の格好をして中世の料理で、自分達のルーツを忘れないように、みなで楽しく飲み食いし、歌う。
「黒ワインの歌」は、カンピタ地方のワインの歌で、美味しいワインに感謝する歌なのだそうだ。
サルディーニャ人は、大のワイン好き。
ワインの一大産地でもある。
この島に古くからあるブドウを使ってのワインもあるそうだ。
港近い倉庫では、ワインの量り売りをしている。
1リットル0.85ユーロから、度数の高さとブドウの品種で値段が決まるらしい。
客が持ち寄った容器に、ガソリンの給油のようにワインを注ぐ豪快な売り方は、いかにワインが多く消費されているかを物語っている。
サン・ベネデット市場は、鮮魚ではイタリア随一の売り場面積を誇る。
日本でも馴染みがあるカラスミは、ここの特産品。
すりおろしたカラスミを、茹でたパスタにたっぷりとふりかけからませて食べる。
塩気がマイルドなので、たくさんかけても大丈夫なのだそうだ。
あと、値は高めだが、ウナギも食べる。
ウナギのパナーダは、家庭料理。
ぶつ切りウナギ、ジャガイモ、ニンニク、パセリ、ドライトマトをパイ生地で包んで焼き上げる。
ウナギの味がパイ生地にしみこんで、とても美味しいのだが、ボリューム満点なので、1個食べれば満足だ。
ほかに、ホシザメも食べる。
皮をむいたホシザメを茹で、胡桃のペーストと一緒にオリーブオイルで炒め、12時間マリネしてから食べるらしい。
これは、想像できない味。
映像で見る限りでは、旧市街とはいえ、再開発などで街が、きれいに取り繕われてはいないようだ。
イタリア本島から離れているから?
それとも、イタリアは、ヨーロッパバブルの仲間入りをしなかったのか。
時々人は、自分の利点を忘れることがある。
確かに、そこに暮らす人たちは、便利な最新式の住環境に憧れる。
とくに、時間に終われて多忙を極めるならば、なおのこと。
それでも、使えるものならばそのままに、または修理や改修をして使い続けられたなら、そのほうがいい。
文化と、それをなした先人の労に報いる為にも。
不自由さをあえてし、しのぶことで培われる心のゆとり。
その様な、真の豊かさをカリアリの人は持っているのだろう。
過去を過去として葬らないで、今を共に歩んでいく。
積み重なる地層は、下の層が上を支えているのだ。
切り離すことはできない。
ましてや、なかったことにして忘れてしまうなどとは。
自分達のルーツを忘れてはいけないのだ。
今夜もまた、カリアリは、その様なことを教えてくれたのであった。