rock_et_nothing

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巷が廻る街、中国江蘇省;揚州

2012-03-03 01:03:22 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」今回をもって総合での放送終了となった。
残念極まりないのだが、放送局の意向に文句を言っても始まらないのだろう。

気を取り直して、中国の江蘇省揚州は、隋の時代から交易で栄えてきた運河の街。
唐の時代には国際貿易港として、清の時代には塩の貿易で栄華を誇った。
また、日本に馴染み深い、鑑真の生まれ故郷でもある。
旧市街の東関街は、暗灰色の石造りの街並みに、赤い提灯が軒先に点々とぶら下がる美しい景観。
ここは、「巷城」(ちまたじょう)といわれている。
「巷城」は、小道の多い町の意味。
人がやっとすれ違えるほどの道幅なので、ここ専用にとてもコンパクトな消防車が誂えられた。
ところによって、この”巷”、「一人巷」(ひとりちまた)という激細の道がある。
清の時代に、人口が300万人に激増して、住居を拡充したためらしい。
ここで、建物の角を削り取っている箇所がみられる。
それは、角で人や自転車などがぶつかったり、曲がりやすいようにとの知恵と思いやり。
そして、巷は、道としての機能ばかりではない。
生活の場でもある。
路上には、洗濯物が天蓋のようにはためく。
食堂は、巷の広いところを商いのスペースとして使い、なにかの店主は、路上で商品の受け渡しをし、あるいは商品の展示場兼作業場として使っている。
この巷の一角のところどころにある共同井戸は、水道が引かれている家庭でも、頻繁に使われている。
水温が一定の井戸は、冬温かく、夏冷たいので、重宝なのだという。
洗濯する人、野菜を洗う人、井戸口にぴったり合うマイバケツを持参して、思い思いに利用する。
社交場としても、巷は大切な場を提供し、親子の躾の場でもある。
嫁入り前の娘に家事を教えている母親は、「娘は肌着と同じ」といっていた。
どうやら、特に母親にとって一番身近な存在という意味らしい。
この街では、巷に人生が集約されているように感じられた。

ところで、巷で商う麺屋の店主だったか、「食は揚州にあり」などとそらぶいていた。
特に、塩の交易で揚州が隆盛を極めた頃、皇帝に献上する為に作られた宮廷料理の代表でもある「満漢全席」のもとが起こったくらいだから、そう自負したくなる気持ちもあるだろう。
だからなのか、揚州大学には料理学部がある。
中国料理ばかりではなく、西洋料理に製菓、技術・歴史・栄養学も学べる。
ここで中華料理の基礎とも言える、「揚州チャーハン」、3つのポイントがある。
①材料 卵・ハム・ネギ・川エビ
②切る 均等に火が入るように、同じ大きさに切る
③炒める 卵を半熟程度に火を通したらご飯を入れ、飯粒に卵が絡むように炒める
この大学、調理ロボットの開発もしているらしいが、今のところ実用化に時間が掛かりそうと見た。

”巷”が入り組み込み入ったこの街の狭い住居には、浴室設備が整っていない。
そこで、銭湯がある。
100年前から営業する銭湯の老舗はボイラーを備え、商人などの裕福な人の場所だった。
3種類の浴槽があり、一番目は、すのこのようなベッドの上に寝転び高温の蒸気で体を蒸す。
二番目は足を丁寧に洗う場所。
三番目に湯船に浸かり、他の入浴者と情報交換などをする社交場の役目も果たす。
ほかに、あかすりのようなマッサージのサービスも受けられるそうだ。

鑑真が住職をしていたという「大明寺」は、1500年の歴史をもつ”律宗”の寺。
鑑真の貴重な教えの大半は、日本にあるので、その教えを学ぶ為に日本語の習得に励んでいる。
なんとテキストが、「となりのトトロ」として使われていたのには、驚かされた。

揚州、内陸の港町。
ゆったりとした河や運河の流れが人の気質をおおらかにし、張り巡らされた巷が人情を細やかにした。
誰もが皆、この街を愛している。
しかし、経済発展の荒波が確実にこの街にも押し寄せている。
陽が落ちて、街も赤い提灯に明かりが灯ると、古からの揚州が浮かび上がり蘇る。
それは、彼岸の街のようにも見えた。
どうか、揚州の人々が、巷への愛と街への誇りを失わないように祈ろう。
たとえ、杞憂といわれようとも、経済の大波に飲み込まれないところはないこの現実の世界だから。