アニメ「フランダースの犬」の再放送を、某テレビ局でしている。
今、物語はクライマックスにはいったところ。
小さい人がこのアニメを見ているのだが、夕食時に重なり、家人と中くらいの人と自分は、どうも食事が咽喉を通りにくく感じてしまう。
だから、画面が視界に入らないよううつむいて食事をした。
自分が小学生に上がる頃、母が本を買ってきて読み聞かせしてくれたのが、この物語との出会い。
毎日寝る前に数ページずつ読んでもらった。
貧しくともひたむきに生きるネロ少年を、心から応援し、幸せになれるよう願って話を聞いていた。
ルーベンスの祭壇画、アントワープ、白黒の絵・・・幼い子供心に、特別な物として刻み込みながら。
その当時使っていたコーヒーカップの絵柄が、木々の生い茂る小川のほとりにある水車小屋だったか、銅版画のタッチで描かれ、それを拠りどころに物語の風景を想像して聞いていた。
それから数年後に、テレビアニメとして「フランダースの犬」が放映されたとき、話の筋を知りながらも毎週欠かさず見たものだ。
まだ、子供だったのだ。
今の小さい人と変わることなく、ただ楽しく見ていただけ。
でも、今は、辛すぎてとても見てはいられない。
ネロは、いつの世でも世界中に存在すると思うから。
人は、貧困や飢えなどだけで死ぬわけではない。
生きる希望が消え失せたときに、死ぬこともあるのだ。
生きようとする気力を削がれることは、自らの命を諦めるに等しい。
自分を振り返っても、それは考えすぎなのだが、子供に見せたい物語・アニメではない「フランダースの犬」。
何でも、アメリカでは、この物語の悲惨な結末は子供向きではないとして変更したと聞く。
そうまでしなくともいい、進んで見せるものではないだけだ。
夕食が終わり、すぐさま後片付けに台所へ向かった。
小さい人が続けて見ていたところ、耐え切れなくなった中くらいの人にチャンネルを変えられたと、報告にやって来た。
さて、どうしたものか。
ただの物語として見ている小さい人の気持ちも分かるが、中くらいの人の気持ちも分かる。
夕食の団欒のひと時を、理不尽な悲しみ色にしたくない気持ちが勝って、中くらいの人をあえて咎めないと小さい人に告げた。
小さい人は・・・今の時点では、それを理解できないだろうと思うけれども。
今、物語はクライマックスにはいったところ。
小さい人がこのアニメを見ているのだが、夕食時に重なり、家人と中くらいの人と自分は、どうも食事が咽喉を通りにくく感じてしまう。
だから、画面が視界に入らないよううつむいて食事をした。
自分が小学生に上がる頃、母が本を買ってきて読み聞かせしてくれたのが、この物語との出会い。
毎日寝る前に数ページずつ読んでもらった。
貧しくともひたむきに生きるネロ少年を、心から応援し、幸せになれるよう願って話を聞いていた。
ルーベンスの祭壇画、アントワープ、白黒の絵・・・幼い子供心に、特別な物として刻み込みながら。
その当時使っていたコーヒーカップの絵柄が、木々の生い茂る小川のほとりにある水車小屋だったか、銅版画のタッチで描かれ、それを拠りどころに物語の風景を想像して聞いていた。
それから数年後に、テレビアニメとして「フランダースの犬」が放映されたとき、話の筋を知りながらも毎週欠かさず見たものだ。
まだ、子供だったのだ。
今の小さい人と変わることなく、ただ楽しく見ていただけ。
でも、今は、辛すぎてとても見てはいられない。
ネロは、いつの世でも世界中に存在すると思うから。
人は、貧困や飢えなどだけで死ぬわけではない。
生きる希望が消え失せたときに、死ぬこともあるのだ。
生きようとする気力を削がれることは、自らの命を諦めるに等しい。
自分を振り返っても、それは考えすぎなのだが、子供に見せたい物語・アニメではない「フランダースの犬」。
何でも、アメリカでは、この物語の悲惨な結末は子供向きではないとして変更したと聞く。
そうまでしなくともいい、進んで見せるものではないだけだ。
夕食が終わり、すぐさま後片付けに台所へ向かった。
小さい人が続けて見ていたところ、耐え切れなくなった中くらいの人にチャンネルを変えられたと、報告にやって来た。
さて、どうしたものか。
ただの物語として見ている小さい人の気持ちも分かるが、中くらいの人の気持ちも分かる。
夕食の団欒のひと時を、理不尽な悲しみ色にしたくない気持ちが勝って、中くらいの人をあえて咎めないと小さい人に告げた。
小さい人は・・・今の時点では、それを理解できないだろうと思うけれども。