rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

今日から3月、いまだ花の便りは届かない

2012-03-01 23:28:11 | 植物たち
今年は、いつまでも寒さ厳しく、庭の梅はいまだ硬い蕾のまま。
例年通りならば、梅の花の凛とした香気が風に乗って流れ、水仙の鮮やかな黄色が眩しく、スミレの小さな花が可憐に咲き出しているころ。
およそ半月は季節が遅れているように思える。
小さい人は、早くたくさんの花が咲き出さないかなと、待ち遠しげにつぶやく。
でも、いいこともある。
スギ花粉の飛散が遅れていること。
部屋の窓を開けて、さっぱりと空気交換をしながら掃除ができる。
外に洗濯物が干せる。
マスクにゴーグル、帽子にコートの完全武装をしなくても外出できる。
それなのに、今日の午後あたりから、ぼちぼち花粉が飛び出したらしいと、中くらいの人が目をしょぼつかせて報告してきた。
とうとう来たか。
花粉アレルギーになってからは、春の楽しさは半減した。
花の香りを堪能できず、ゴーグル越しに花を愛でるのは、なんとも無粋。
なんとも厄介至極。
それでも、やはり春は心浮き立つ季節だ。
花に溢れる季節、3月だもの、もうそこまで来ているならば、一日も早くやって来ておくれ。

雪混じりの冷たい北風が何もかも凍えさせる。そして筒井康隆”虚人たち”

2012-03-01 00:18:37 | 本たち
今日は、2月29日、閏の日。
夜明け前から降り出した雪は、横殴りの北風とともに、全ての色彩を奪い取り、痛いほどに凍えさせている。
蛍光灯の明かりと、幾分暖かみのあるのは、居間だけ。
ドアの向こう側は、無彩色の世界。
音を立てても、空しくどこかへ消えていく。
そこには、過去も未来も、連続した時間が存在しない異空間のようだ。
あえて”今”と名付けるしかないものが、あると思い込まなくてはいけないみたいだ。

筒井康隆の”虚人たち”を読み始めてから、一ヶ月してやっと読み終えた。
読むのが、辛く、面白く、辛かった。
気分が滅入った。
頭が混乱した。
でも、そこから抜け出たいから、読み進めるしかなかった。
到底、薔薇色のハッピーエンドなどあると思えなくても。
しかも、今日の日といったら、閏日で無彩色の全てが冷温停止しているかのような、小説の中の時空間とリンクしているような日。
虚構と現実の境が曖昧な、心許なく虚ろな雰囲気に浸されている。
つい虚構に引き寄せられて、自分もふっと消え入りたくなった。

理不尽に、不条理の世界に放り込まれたら。
この虚構は、現実よりも生々しい。
でも、今自分が信じて生きているこの現実は、何を持って真実だとしているのだろう。
心の中は、いつでも直線的な時間を生きているとはいえない。
過去に戻り、直未来に行き、居間に立ち戻り、近未来に、過過去へ舞い戻る。
ああ、そのそこここに無力感と絶望が居座っていたなら、もう消えてしまいたくなりはしないだろうか。

どうなのだろう、あの国中が狂乱したバブル期以降、なんともいえない不気味なものが、あらゆる場所に巣くってはいやしまいか。
何ものをも受け止め、受け入れない、狭く小さな殻が、増殖しているように思われる。
狭く小さな殻は、孤立し完結してしまうのだ。
何故に。
その殻の周りも、中も、殺風景な景色しか入っていない。
なにかあっても、それは、映画や舞台のセットのように、張りぼての装置。
助けの手は差し延べられず、助けを求める声もたてられはしない。
終わりは、跡形もなく消えるばかり。

光明は、照らされるものではない。
自らの内から迸らせなくては、何も変えることはできないとしたら、まずは、狭く小さな殻を破るべきだ。
閉じこもることなく、諦めることなく、声を上げ、手を伸ばし、眼を開いて。
先を、良くなることを信じるしか、色彩豊かな世界を繫ぎとめられはしない。
負の骸を眼下に納めながら。