rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

本日は、晴天、西風激烈なリ

2012-03-12 23:48:08 | つぶやき&ぼやき
今日は、朝からすかんと晴れた。
お祭りに備える餅つきをするのに、好天気。
ところが、もち米を蒸かしだした10時ごろから西風が強く吹き出した。
それと同時に、杉の花粉が大量に舞い始める。
ゴーグルをしていては、作業に不自由なので、マスクだけで我慢した。
昼には、餅つきは終了したのだが、すでに花粉まみれ。
目は痒く、止まらないくしゃみ鼻水。
体が悲鳴を上げている。
買い物に行く予定が、とてもそれどころではなくなってしまった。
この季節、まったくもって憂鬱至極。
花の香りを楽しみに、外出するのも憚られる。
でも、薬は使わない、使いたくない。
あと1ヶ月くらいの我慢だもの。

そう、先週は雨の日が多かった。
今日は、久しぶりの晴れ間。
花粉を避けての引きこもりだけれど、やっぱり春の空は気持ちがいい。
家の中で窓越しに眺めるだけでも、気持ち浮き立つ晴れ日和。
庭の梅の古木にも、一輪二輪と花が咲き始め、まだぎこちないウグイスが啼きだした。
命芽吹く季節らしい、朝の美しいひと時があった。

あれから一年、死者も生者にも深い憐れみを。ブラームス:レクイエム

2012-03-12 00:10:16 | 随想たち
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ブラームス;レクイエム第2曲”人は皆草のごとく”

今日、3月11日午後2時46分で、一年経過した。
時間は経てども、悲しみも苦しみもいまだ癒えることなし。
死者の時間は、あのときをもって止まったまま。
生者の時間は、過酷な体験を引きずりながら、明日への不安に苛まれている。

一年の時間は、短いのか、それとも長いのか。
一日一日を生き、先の見通しがつかない中を過ごしていかなくてはならない生者にとっては、長い時間。
命ある者は、明日に向かって生きて生き抜かなくてはならない。
命を大切に、全うしてこそ、生者の務め。
そして、死者を悼み弔うことが、死者への手向けとなるのだ。

過去は、変えることはできない。
未来は、過去を教訓に、よりよき道を模索し、選択の余地がある。
最良で、間違いのない道などありはしないのだろうが、経験と知恵を振り絞り、手立てを講じないのは怠慢。

さて、困苦にあえぐ生者を支えるべき者達は、この一年いかにして手を尽くしてきたか?
”早急に””協議検討を重ねて””滞りなく””尽力””断固たる決意””覚悟を持って”このような文言を、ずらずら並べるばかりの一年ではなかったか?
重大重要なことを避けて隠し通してきたのではなかったか?

日本という人体を構成する細胞に当たる各個人よ、今国を動かしている者も同胞なのだ。
誰かが勝手にやっている事と、知らぬ存ぜぬ、責任無しを決め込んでいていいのだろうか?
日本が、健康な体を取り戻せるように、体の隅々に注意を払う努力をしよう。
あえなく命をうばわれてしまったものたちのためにも。

美しいものは、死者にも生者にも大いなる慰めをもたらす。
希望の火を灯し、心にゆとりと精気が生まれたなら、明日への活力が湧くだろう。
どうか、明日が今日よりも良い一日であるよう、次の3月11日が今日よりも希望に満ちた日になるよう、このブラームスのレクイエムを捧げたい。