シモネッタ・ヴェスプッチの肖像
マグダラのマリア
ルネサンス期の芸術家を記した、ヴァザーリの「画家・彫刻家・建築家列伝」によると、ピエロ・ディ・コジモは、人嫌いの変わり者であったという。
その中で逸話として紹介されているものに、”自宅の庭に草が生い茂るままにしているのは「自然のままがいいのだ」”としているのがある。
一般的に欧羅巴の庭は、きちんと手入れが行き届いたものが良しとされている、そのような中でのこの有様は、なんとも奇異に周りの目に映ったことだろう。
彼の描く絵は、どことなく違う雰囲気が漂い、独特の美意識が感じられる。
温度のない潔癖さというべきか、いや、異空間、パラレルワールド、この世界ではないところの孤立した美が、目の前に置かれているようなのだ。
手の届かない美しさ。
人のちっぽけな価値観に縛られない、広大無辺な美の宇宙に向けられたコジモのまなざし。
他人におもねない美意識が、偏屈者と映っても、それは本望なのだろう。
何より、自分の美学に自信があったのだ。
それが、絵に強さと距離感をもたらしたに違いない。
最近、めっきり自信喪失だった自分だが、根拠のない自信でもあれば励みになるというもの。
割り切りと切り替えをして、自信を創出して、新たに一歩踏み出そうか。
まずは、偏屈者になってみよう。
どうあがいても、自分の人生だもの。
勝利のアレゴリー