rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

久しぶりの図書館

2013-06-03 17:29:50 | 随想たち
昨日、子供に誘われて、久しぶりに実家の近くにある図書館へ行った。
子供たちは、歩いていけるこの図書館を気に入っていて、実家へ遊びに行った折に自由に行っては本を読むのだ。
すると、中くらいの人は読みたい本を見つけたらしく、借りていきたいという。
ならば、自分も借りてみようと書架を本気で巡りだした。
まずは、ボルヘスの本を2冊、そしてぶらぶらと歩いていると「雲のカタログ」というタイトルを見つけてうれしくなり、これも借りることにする。
そこのコーナーは自然科学が取り揃えてあり、ふと隣の人を見ると、小学生高学年らしい男の子が魚の生態をとりあげた本を興味深そうにめくっていたのだ。
好奇心があるのはすばらしいことで、それを刺激し充填できる本の役割に満足を覚えて歩いていると、やはり小学生あたりの女の子が本を抱え、目をきらきらさせながら書架の間を歩いているのを見た。
ここにも、知的好奇心に満ち溢れた未来ある人が本の森を歩いているではないか。
やっぱり充実した図書館は、なくてはならない場所なのだと再認識した。
インターネットでさまざまな情報を、自宅にいながら得られる時代であっても、書架に並んだ本に敵わないこともあるのだ。
書架に並んだ本の背表紙のタイトルを眺め歩きながら、知りたいことを精査し、また未知のワードを見て好奇心をそそられる効果がある。
そこにあって、手に取り眺められるという身体的刺激も重要だ。
また、本に出版するまでの幾多の人の目と手を介することによって、情報が確かなものになる可能性も大きい。

しかし、世の流れはお粗末で貧弱なものに向かっているようだ。
販売網の変化により、街からはまともな本屋が消えてきている。
田舎はもとより、こと、小中規模の地方都市において本屋の消滅は、もう最終段階へと突入している。
一時期隆盛を極めたリサイクル本を扱うチェーン店も、漫画以外を扱う店は減っている。
だから、いっそう図書館の充実と、地方の田舎町にもまともな図書館を備えて欲しい。
もちろん、学校図書の拡充は言わずもがな。

そういえば、今日、悲しいニュースを聞いた。
ある義務教育課程の学校において、数年にわたり司書が購入した図書を流出させていて、司書の交代でそれが発覚したというものだ。
たとえ生活費に困っても、本を司る司書の行いとしてはお粗末で、しかもそれに気がつく者がいないくらい図書室に人が行かなかったということがやるせなかった。
図書の機能が形骸化していることの表れが、実に悲しい。

もうこの国の人は、知的好奇心が涸れ果ててしまったのだろうか。
小さな希望は、あの図書館のように書架が充実し、そこに集まる子供たちの好奇心の目が輝いていたことだ。
どうか、子供を持つ親の皆さん、大人になった方々、若い人々、図書館で知的好奇心を羽ばたかせてください。