rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

モネ:日傘を差す女、限りなく明るく軽い色彩のコンポジション

2011-06-26 01:42:18 | アート
「美の巨人たち」クロード・モネの”日傘を差す女”。
3枚の似たモチーフの絵を並べて、それぞれの違いと特徴を紹介していた。
いままで、そうしてみることはしなかった。
漠然と、同じモチーフの絵が数点あると思っていたくらい。
今回、モネの試みの変遷が一目で見えて、興味深い。
単純に、そのうちのどれが好みかといえば、今回のメイン”日傘を差す女”だろう。
では、どこが。
「日傘の女性 モネ夫人と息子のジャン」「日傘の女性(左向き)」には、はっきりとした陰影が描かれている。
方や”日傘を差す女”には、陰影とはっきり分かるものは描かれていない。
幅の狭い同じような明度の色を使って描く輪郭も定かでない絵画は、色のコンポジション、抽象化を押し進めている。
それは、観る者に想像の余地を残し、形という枠から開放された、軽やかな世界を差し出すのだ。
色の快楽を純粋に楽しめる絵画は、モネ以前に存在しただろうか。
形から開放され、パトロンとアレゴリズムから解き放たれ、画家の意思と快楽の赴くままに描かれた絵は、自由の翼を得た。
観る者は、お仕着せの価値観とは無縁に心の感じるままに絵を鑑賞できる機会を得た。

若い頃の自分は、モネを好きではなかった。
快楽奉仕型の絵画を、軟弱とさげすむ気持ちがあった。
しかし、今では、目の楽しみを、観る楽しみを否定することはない。
いかな表現をしても、とことん自分の理想を追求するモネを尊敬する。
睡蓮の連作にいたる軌跡は、一人の画家の魂の遍歴だ。
色の大海原に一人漕ぎ出したモネは、睡蓮の大海で、理想郷に到達できたのだろうか。



オーストリア:インスブルック、15世紀からの佇まいを残す街

2011-06-25 00:40:06 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」オーストリア:インスブルック。
イン川のほとりにある、「イン川に架かる橋」の街という由来の名を持つ。
北側に、万年雪を頂くノルトケッテ連峰を控え、通年スキーなどを楽しめるスキー場がある。
標高1905mのゼーグルーベ駅から眺めるインスブルックの街は、森や農地に囲まれ、豊かな環境の中にその歴史を刻んでいる。

14代目が切り盛りする1500年から続く鐘の工房が、いまもその培われた技術に更なる研鑽をかけて、鐘を製造していた。
ベルリンフィルだったか、444ヘルツの鐘を造れるかと注文されて、ぴたりとその周波数をたたき出したとか、熟練の職人には、賛辞を惜しみなく贈りたくなる。

旧市街には、黄色や薄オレンジにピンクなど、色とりどりに塗られた外壁の建物が並び、窓や屋根飾りにそれぞれの意匠を凝らして、見るものを飽きさせない。
間口一軒ほどの鉛筆ビルならぬ細い建物の種飾りに施された、奇妙な二つの顔の彫刻は、面白い逸話を持つそうだ。
>>路地の土地の所有者が、その道をつぶして建物を建てようとしたとき、左に面した建物の所有者が、道を通れなくなると苦情を言った。
それでもお構い無しに建てようとする道の所有者に、建物を建てたならお前の顔を殴ってやると脅しをかけた。
結局は、建てたもの勝ち、それ見たことかと道の所有者は、建物の屋根飾りに左側に殴られて頬がはれた顔を、右側には、してやったりと微笑む顔の彫刻を掘らせたそうな。<<
それを説明した年配の男性は、「街の者は感心なく、誰も上を見ないでしたばかり向いている。こんなに面白いものがあるのにね。」と、実際住む者たちは、存外無関心なのだと残念がっていた。
たしかに、いつもあるものは、もやは空気となり、住民の気をあえて引かないのだと、思い当たるだろう。

ヨーロッパの古い街には、よく鋳物や鉄・銅で作られた看板がかかっている。
ここでも、いまなお大切に磨かれ道に張り出していた。
ある通りでは、その看板、動物の意匠を施されたものが多く目立っていた。
どうやら、宿屋の看板で、その当時、宿の名前は動物の名を冠したものがつけられたらしい。
「獅子亭」「白馬亭」など。
そういえば、所は違うし物語だが、「指輪物語」に「踊る子馬亭」という宿屋の名が出てきた。
オーナーの名よりも、印象深い動物の名とか、ハリー・ポッターの「漏れ鍋屋」などのほうが、確かに区別しやすい。
日本で言う、「屋号」と似ていなくもない。
その流れで、「黄金の小屋根」は、屋根を金色にすることで、目立ちやすく、他との差別化を成功させている。
皇帝マクシミリアン一世が、広場を見物するのに作られたバルコニーの屋根。
いまは、結婚公証役場として、市民が利用できる。
市内のアーケードにも施されていたが、ここの天井も梁を弓蓋状にめぐらした造りになっていた。
ゴシック建築の影響なのだろうか。
15世紀の建造だというが、ヨーロッパの保存のよさと現役を保つ努力は、見習いたい。
地震などの自然災害が頻発し、高温多湿で石の建物が不向きで、長期使用と保存が難しいのは、分かっていても。

また、ワルツ発祥の地でもあるインスブルック。
元は農民の踊りで、体を密着させるためあまり上品ではないとされていたが、いつの世でも、どこでも、そんな風紀に逆らいたい冒険者はいるのだ。
宮廷風にアレンジが成され、今では社交界のたしなみとなっている踊りに変身してしまった。

そういえば、今回、なんだか自分の喰い付が弱かったように感じられたが、それは、市場や食べ物が出てこなかったせいであった。
旅行の楽しみの一つに、「食」がある。
その土地ならではの、食材がある。
個人的趣向なのは、重々承知、市場と食べ物をどれか一つでいいから、番組に挿んでいただきたい。
そうすると、脳内旅行に、現実味が増そうというものだ。

小沢書店ー珠玉の本の数々を世に送り出した、敬愛する出版社

2011-06-23 23:21:28 | 本たち
先ほど読んでいた小川国夫の「弱い神」のあとがきに、”小沢書店”が閉められたとあった。
衝撃を受け、喪失感がじわじわと胸に押し寄せてきた。
小沢書店が、倒産閉鎖したのは、2000年9月だという。
そのころ、幼い児の育児に負われていた自分は、世情に思い切り疎くなっていた。
いや、もしかしたら、地味な出版社の倒産は、表立ったニュースにならなかったかもしれない。
しかし、自分には、ことのほか思い入れがある出版社なのであった、小沢書店は。

小沢書店との出会いは、やはり四半世紀前になる。
時間が出来ると、本屋へ足を運んでいたときのこと、フランス文学者の清水茂のエッセイを手に取ったその瞬間からだ。
「アシジの春」「ヴェラ・イコン」「サン・ランベール界隈から」
そして、やはりフランス文学者でもあり文芸評論家の饗庭孝男、「ギリシャの秋」「聖なる夏 ロマネスク教会紀行」「芸術の祝祭 モネからプルーストへ」など。

田舎に居を移してから、小沢書店の本を置いてある本屋とは疎遠になってしまった。
そうこうするうちに、小沢書店がなくなってから10年以上も経って、その消息を知ることに。
たしかに、この10年前、出版業界は苦境に喘いでいた。
美術書専門出版社の京都書院も、小沢書店より1年前になくなっていた。
この京都書院も、「インド宮廷絵画」など優れた美術書を出版した素晴しい出版社だった。
硬く地味な内容の出版社は、本屋のチェーン店化、コンビニエンス化にともない、販売経路が激減したのだろうし、経済不況などで個人の財布の紐もきつくなったせいもあろう。
また、携帯電話やインターネットの普及による本離れなどが、原因とされている。

文化を成長させ、熟成するには、お金にならなくても妥協のない良書を出版しないで、これからの未来を築けるだろうか。
未来は、過去と現在を基にして築けるものなのだ。
きちんと考察成された書物は、文化と歴史の語り部だ。
どうか、今以上に良心ある出版社がなくならないことを、切に願うばかりである。

ペンネ・アラビアータ、ピリ辛で食欲増進

2011-06-21 22:54:42 | 食べ物たち


今日のお昼は、ペンネ・アラビアータ。
昨夜の茹で残りのペンネパスタを、ささっと料理。
暑くて、ちょっと食欲がないときには、ピリ辛のパスタがちょうどいい。

【材料】  1人分
・ペンネ       100g
・ニンニク      1かけをスライス
・タマネギ      1/2個を粗みじん切り
・トマト        中1個を賽の目切り
・唐辛子       1本、半分に切り、中の種を取り除く
・スイートバジル   生葉を5枚、5mm幅に千切り
・ブラックオリーブ  6個を輪切り
・塩漬けケイパー  小さじ1
・オリーブオイル   大さじ3
・粗挽きコショウ 
・塩

【作り方】
・ペンネは、たっぷりのお湯に塩とサラダ油を加え、アルデンテに茹でる。
・オリーブオイルにニンニクと唐辛子を入れてから、中火で香りだしをする。
・タマネギを加え、透き通るまで炒め、トマトを入れて炒める。
・ブラックオリーブとケイパーを加えてから、塩と胡椒で調味する。このとき、塩漬けケイパーの塩加減を考慮すること。
・ペンネを加え、さっと炒め和えたなら、皿に盛り付けて、バジルを散らせば、出来上がり。皿に、バージンオリーブオイルを一垂らしすると、風味豊かに。
※岩塩と粗挽き胡椒、ガーリックが合わさった、クレージーソルトがあれば、お手軽で便利。これを、調味料として使う。

我が家では、ブラックオリーブやケイパーの塩漬けが、常備食品。
暖かい季節には、スイートバジル、イタリアンパセリ、パセリをいつでも使えるよう、植木鉢で栽培している。
つまり、パスタが大好きなのだ。
だから、ロングパスタ、ショートパスタを山ほどストックしてある。
家人は、この時だけにわかイタリア人に変身して、優に3人前はあろうパスタを軽く平らげてしまうのだった。


   


トカゲ君と遊ぶ

2011-06-20 23:22:32 | 生き物たち
とうとう、梅雨特有のムシムシと暑い日がきてしまった。
寝具の上掛けを夏用に取り替え、半そでのTシャツを箪笥に入れ、エアコンのほこりを掃った。
それから、庭に出て、十分に育ったプチトマトの苗を、大きな鉢に植え付けをした。
そして、体が暑さに慣れてきたのを見計らい、今まで横目で見やっていた、温度と湿度でやたらと勢いついた雑草を取ろうと決心した。
芝に蔓延るカタバミや血止め草を目の敵にして、鎌を使わずに手でむしりとる。
ぶちぶちぶち・・・と、地面に蔓延る茎をはがす音が、静かな庭に響く。
ねこは、人がいると安心して、気持ちよくまどろんでいる。
薔薇に棲んでいたアマガエルが、この近辺を徘徊していたヘビの”チロ”に食べられてしまったと思い、落胆していたが、ラズベリーの葉の上に発見して、安堵した。
そうして、もくもくと雑草を退治していたら、植木鉢の陰に隠れていたらしいトカゲが、ちょろちょろ這い出してきた。
すぐにどこかへ逃げ隠れるだろうと思っていたら、いつまでもうろちょろしているではないか。
尻尾の先まですうっと伸びた、褐色のトカゲ。
よくぞいままで、あのねこの魔の手から逃げ果せているものだと、感心した。
そうしたら、ある出来心がむくむくと芽生えてきた。
「捕まえてみよう」
二度ほどで、なんなくトカゲを捕まえられた。
あらら、おやおや、こんな調子で大丈夫なの?
出来心はさっさと抑え、トカゲをすぐさま開放した。
普通ならば、驚いたトカゲは一目散に植木鉢の下へでも隠れるはず。
なのに、相変わらず人の周りをちょろちょろしている。
もしかして、遊んでいるのかな?
それとも、ねこからうまく逃げ果せているのを自慢しているのかしら。
なにはともあれ、もくもくとやっていた草取りが、トカゲとアマガエルとねこの存在のおかげで、楽しい時間になった。
こうしてブログにも書くことが出来たし、みんな、ありがとう。